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映画・演劇のレビュー

『アフタースクール』

2008-07-09 18:59:27 | 映画
 内田けんじ監督の本格劇場用映画デビュー作。PFFのスカラシップで撮った『運命じゃない人』、さらにはそのPFFに出品して入選した『ウイークエンド・ブルース』という先行する2作品を継承して、そのやり方が商業映画でも充分に通用することを証明して見せた記念すべき作品。

 もちろん先の2作品がインディペンデントで撮られたものであったとしても、メジャー並みの面白さを持っていたことは見た人なら充分承知のことであろう。今回の作品を見ても、ことさら驚きはしまい。内田けんじなら当然このくらいのこと、やらかしてくれて当たり前とみんな知っていたはずだ。

 彼は僕らの期待通りの映画を作ってくれた。ただ、それだけのことなのだ。しかし、その「ただ、それだけのこと」が実はとんでもなく困難を伴うものであることは想像に難くない。

 みんなの期待を裏切らず、見事に期待通りの映画を作り上げること。そのプレッシャーたるもの、想像を絶する。期待通りのどんでん返しを用意する、だなんて普通の人にはできません。手の内を見せた上で、それでもしっかり騙してくれる、なんて。しかも彼らしいだ、なんて言われるくらいに見事にやられてしまうのである。この男ただものではない。

 主人公となる3人の男たちがそれぞれいい味を見せてくれる。プロの俳優を使っても全く怯むことはない。反対に彼らの持ち味を生かして、自分の世界にきちんと取り込んでいくなんて、彼はほんとうにプロだ。

 特にメーンの大泉洋と佐々木蔵之介がとてもいい。ナチュラルな芝居で映画をリードしてくれる。こんなにも嘘くさい話なのに、嘘っぽさが全くないのだ。彼らが小手先の芝居をしたならこの作品世界はぶち壊しになる。さすがだ。

 よくわからない謎を追いかけて、2人が右往左往していくうちに事件の核心に少しずつ迫ってくる。そして、あっと驚くどんでん返しが連鎖する。ハラハラドキドキして、ええっ、と驚く。いつも通りのうちだけんじ健在。傍役まできちんと目配りがなされており、作品世界は完全に作りこまれている。

 このやりかたで、あと何本、彼は映画が撮れるのか。なんだか心配だが、それもまた楽しみかもしれない。内田けんじの挑戦は、まだ始まったばかりだ。

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