習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

ステージタイガー『リング・リング・リング』

2011-06-15 21:51:57 | 演劇
とても暑苦しい芝居だ。今時こういう芝居は流行らない。だが、芝居は流行り廃りでするのではない。自分たちの目指すものをひたむきに追求していけばいい。たとえそれがたくさんの人たちの支持を受けなくともかまわない。妥協することなく、臆することもなく、自分の信じた道を愚直なまでに邁進すればいい。

この芝居を見ていて気持ちがいいのは、先にも書いたように、作り手の側にはためらいも迷いもないからだ。面白いものを見せようとする姿勢は、時として観客におもねることになる場合がある。しかし、彼らにはそんなさもしさは微塵もない。これは一心寺シアターで「つかこうへい追悼企画」として、上演されている連作の1本なのだが、このステージタイガー作品は、受け身にはなってないのがいい。

 つかの芝居を今、上演することには、危険が伴う。作り手の側が、あの異常なテンションを支えきるだけのエネルギーを持ち得ないからだ。中途半端に手を出すと、ただの支離滅裂な出来損ないの芝居になる。これは理屈なんて通用しない世界である。勢いだけで、突っ走っていかなくてはならない。観客が息切れしても困るが、役者が息切れしたら芝居にならない。見てられない。時代はもうこういう作品を認めていない。そんな時代の中で、敢えてこれをやるためには、それなりの戦略が必要だ。

ステージタイガーは、ステージ上で、自分たちの肉体を痛めつけることで、身体の特権化を図る。それによって主人公たちの心の襞を表現する。とてもストレートなアプローチだ。顔を歪ませて、痛みや苦しみを表現する。つか流の無茶苦茶なセリフや論理がリアリティーを持つためにはこれしか方法はない。理屈ではなく体で示す。ラストのファイトシーンが感動的なのは、そこに尽きる。

全体を2部構成にしたのは、役者のスタミナの問題なのか、と思ったが、そうではなく、このテンションの高さに冷却期間をおくためらしい。論理の飛躍を納得させるためでもあるようだ。そして、観客にきちんとこの作品と向き合ってもらうためでもある。あくまでも観客目線の作り方だ。彼ら自身には、一気に2時間を走り抜けるだけのスタミナはある。だが、観客を置き去りにする気はない。その優しさがなんともうれしい。役者たちはいずれもよく頑張っている。身体を張った力演が心地いい。先にも書いたが、それがなくては成立しない世界なのだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『トルソ』 | トップ | 劇団きづがわ『トイレはこち... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。