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映画・演劇のレビュー

『恋の光』

2022-06-22 14:56:29 | 映画

小林啓一がやってくれた。始めて見た彼の映画は『逆光の頃』だ。なんなんだ、これは、と驚いた。70分ほどの短い映画の衝撃は大きい。従来の映画文法に乗っ取らない作りはさりげなく大胆。でも、それを気負うことなくやっているのが凄いと思った。何かの間違いではないか、と思うほどに。だから、あの1本で彼を信じようと思う。それからずっと潜伏する彼をひそかに見守ってきたつもりだ。(というか、この名前を忘れなかっただけ、だけど)『殺さない彼と死なない彼女』で彼の名前を見たとき、「きたきた!」と狂喜した。本格的メジャー商業映画初挑戦となったあの作品は彼らしい個性が光る秀作だったけど、『逆光の頃』のような衝撃はない。

今回満を持して、彼のとんでもない個性が十全に展開するまさかの映画になった。こんな商業映画を見たことがない。大学生のキャンパス・ライフを描く恋愛映画というスタンスを取りながら、そんな生ぬるい規範を完全に逸脱する。主人公の西条(神尾楓珠)は「先生」と呼ばれているが、大学生。(将来学校の教師になる予定)彼は、恋が目に見えるという特異体質だ。恋している女性が彼の目にはキラキラ輝いている。(スクリーンにはそのキラキラが安っぽい処理で描かれる)それって何なのか、と思う。

恋とは何かを研究している。恋を論理的に定義付けするために常に思索に耽る。そんな彼の横で常に適切な距離を保ちながら北代(西野七瀬)はずっと彼のアシスタントをしてきた。ふたりは幼馴染で彼女は彼にずっと付き添う、変人である彼の唯一の理解者だ。そんな「先生」はある日、ついに恋の対象を見つける。その相手東雲さん(平祐奈)は彼と同じように普通じゃない女の子だ。そこからお話は始まる。3人の女(もうひとりは略奪愛命の変な女。馬場ふみかが演じている。先の2人に彼女も絡んできてお話は展開する)と彼のお話で、4角関係のラブストーリーということにしておくけど、そんな単純なお話ではない。ゴダールのような理屈っぽさで、トリュフォーのような清新さ。ロメールでもいいけど、という感じ。

このめんどくさい映画は、ただただ彼が恋について思索する姿を描くばかりだ。行動はしない。コメディではないし、キラキラ青春映画でもない。(だいたい、もうキラキラ青春映画なんてブームは去った)では、何なのかというと、よくわからない。よくわからないけど、なんだかとても大事なことが描かれているような気がする。ふざけているのではない。こいつらは本気だ。

北代が東雲さんと彼女の自宅に行くシーンが素晴らしい。大学から電車とバスを乗り継ぎ、ようやくたどり着く。こんな田舎の立派なお屋敷に彼女は一人で住んでいる。その村の庄屋のうちだ。なんだかよくわからないけど、不思議なロケーションで、こういうところが、小林啓一らしい。『逆光の頃』の京都がそうだった。この映画の魅力を説明するのは難しい。なにがいいのか、よくわからないところが実にいいのだ。こんなへんてこな映画が作られていいのか、と驚く。スクリーンから一瞬も目が離せない。わけがわからないのに、楽しい。主人公の4人がとてもいい。

だいたい映画の冒頭は馬場ふみか演じる宿木さんがカフェで頭にパフェの残りをかけられるシーンから始まる。そのアップの顔がスクリーンいっぱいに映される。なんですか、これは、という奇を衒った始まり方なのだが、それがなぜが無表情で淡々と綴られる。なんで彼女のアップなのか。主人公でもないし。映画の中では4番手で、他の3人は主役だけど、彼女だけは助演の位置なのに。なんだか歪なことばかり。でも、そこが見ていてたまらないのだ。チープな恋のキラキラ星といい、このトップシーンといい、どうでもいい謎ばかり。単純に笑えるし。でも、それだけではないのも確かだ。

神尾楓珠は凄すぎ。昨年12月には『彼女が好きなものは』があったし、今年『20歳のソウル』があったばかりで、本作である。凄い映画3連発。しかも、どれも微妙にその凄さがわかり辛い映画だから、見てもなんとも思わない人だっているかもしれない。微妙な立ち位置にいて輝いている。だから凄いのだ。西野七瀬も初めていいと思った。ふつうの女の子を見事に演じている。ただものではない。


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