久々に難病物の映画を見た。昔はアイドル映画の定番だったのだが、今ではもうアイドル映画なんて言うジャンルが消滅してしまったから、自然となくなったけど、こんなところに隠れていたなんて。広瀬すずと山崎賢人主演の青春映画という次元でさすがにうんざり、という気もしたのだが、監督が新城毅彦なので、やはり外せない。8月の『青空エール』の時も同じような理由で見たけど、あれは期待通り、やはり面白かった。三木孝浩がつまらない映画を作るわけがないからだ。でも、新城毅彦の場合は少し心配もある。ということで、今回は幾分ギャンブル。
で、答えは、まずまず、という感じだった。そうそう期待もしないのに、傑作ばかりは生まれない。だいたい今は「学園もの」はもう食傷気味なので、自ずとハードルは高くなるのだ。恋愛物はもういい、と思った。それは僕だけではなく、みんな同じではないか。作ればちゃんとヒットするから、量産される。その結果あまりにたくさん作られ過ぎた。気鋭の作家たちが挑むから、それなりの作品が作られる。そこに企業は頼り過ぎた。その結果さすがに飽きられる。6月の廣木隆一の『オオカミ少女と黒王子』くらいで打ち止めにすべきだったのだ。もうこの先は、きっと思うようには動員は出来ないはずだ。現に作品の完成度とはうらはらに『青空エール』は苦戦した。さらに、この作品はもっと苦しい。
『青空エール』に続き、これも「音楽物」だ。弾けなくなったピアニスト。これを大人にさせないのが今の時代の特徴だ。夢物語はもう大人の世界にはないから、舞台は高校で、高校生。でも、ピアニストとバイオリニスト。なんだか、浮世離れしているなぁ、と思って見ていたら、なんと、先にも書いたように難病物に移行する。最初はウソだろ、と思ったけど、新城監督である。やるよ、本気で! (もちろん、これは彼のオリジナルではなく、例によってのヒット・マンガが原作だが。)
お涙頂戴映画は今ではもうシラケルから作られない。この作品も観客の涙腺を絞ろうとは思ってない。さらりと流す。彼女の死を見せない。彼が彼女との出会いを通して立ち直るまでのお話として構成されてある。登場人物も絞り込んだ。主人公の2人と、彼らに心を寄せる(でも、恋敵なのだけど、恋敵ではない! 優しい友人として彼らを支えるのだ。みんな「いいひと」ばかり。 昔の映画のようなややこしいことは描かない。)
ふたりの関係もさらりと描く。そのへんも今風だ。めそめそしないし。あっさり死ぬ。死ぬことへの葛藤は描かれない。それよりも、キラキラした生の輝きを描く。病気でやつれた広瀬すずではなく、いつも元気で明るい彼女の姿だけでいい。そういう姿勢が好ましい。最後の瞬間まで輝いている。(現実はそうじゃないことは十分わかっている。そこを見せないのは現実から目を逸らすのではない。そんな映画の背景なんて、見せなくても想像できるからだ。)いきなりの展開もそう考えると、理に叶う。『ただ、君を愛してる』の頃から、新城監督は見せないことで見せるのは得意だった。宮崎あおいの失踪と広瀬すずの入院は彼の中で同じことなのだ。そういう意味でもこれは実に彼らしい映画だと思う。甘いけど、たまにはこういう甘い映画に酔いしれたい。それもまた映画の楽しみ方だと思う。