駅前の中心部にあるにも関わらず建設途中のまま、ほっぽり出されたままのビルがある。工事は中断されたまま月日が経ち、廃墟と化している。5階建てのこのビルの最上階の窓から、女が飛び降り自殺した。
そんな事件の後も、ここは取り壊されることもなく、ましてや工事が再開されることもなく、放置されたまま、今もある。
ここに毎朝集まって来て、ラジオ体操をして去っていく一団の物語である。彼らは死んだ女と生前関わりのあった人たちで、それぞれ彼女の死というものが心に引っかかったまま日々の生活を続けていた。ある日連絡が入る。7週間、仕事の前の7時から、ここでラジオ体操をして、亡くなった彼女を送り出して欲しい、という知らせだ。見知らぬ人からのそんな連絡を受け入れて、ここにやって来る必要なんてない、と思う。しかし、気になってやってきてしまう。同じように集められた人たちがいて、同じように毎日黙々とラジオ体操をして、去っていく。
ストーリーが大きく展開していくことはないし、変な謎解きもないまま終わっていく。ここに集まった男女が、死んでしまった岩田さんという女のことを語る。彼女と自分の関わり、彼女の事をどう思っていたのか。それらの言葉の中で描かれる彼女の姿は重なることはない。同じ女性のことを話ているのに、まるで別人である。
それぞれの中で作られた別々の岩田さんの姿は決して嘘ではないのだろう。まるで芥川の『藪の中』のように食い違ったまま放り出されていく。
岩田さんそっくりの女がここにやって来ることや、全く岩田さんのことを記憶していない女がこのグループの中に混ざっている、ということがちょっとした隠し味にはなっているが、そこからドラマを纏め上げようとはしない。全てを宙ぶらりんにしたまま終わらせていく。説明的な作り方はせず、この一つの異様な状況をさらりと提示するだけで、終わっていく。とてもよく出来た台本だと思う。芳崎さんの意図はしっかり伝わってくる。
ただ、それが芝居として、ドキドキするものを見せるには至っていない。人と人との関係性がこの空間から見えてこないのだ。彼らはただバラバラにここにいるだけ。それでも、それが芝居としての力になっていたなら、それはそれで面白いのかもしれないが、この芝居の場合はただ居るだけにしか見えない。役者たちの見事なアンサンブルとして見せれたならいいが、残念だが演出力が伴わない。
中心にある空洞としての岩田さんという女性を幽霊として、具体的に見せてしまったのは悪くはないが、そこから話をもう1歩先に進める工夫が必要だ。実際に目に見える彼女が彼らの前を浮遊することで、不在の彼女のイメージをひとつの方向に向かわせることで何かが見えてくるはずだ。なのにその何かが描けてない。岩田さんという女性は狂言回しにすぎないが、芝居は、彼女の死を通して、みんなの中に居座る彼女を描き込む必要があった、と思う。
そんな事件の後も、ここは取り壊されることもなく、ましてや工事が再開されることもなく、放置されたまま、今もある。
ここに毎朝集まって来て、ラジオ体操をして去っていく一団の物語である。彼らは死んだ女と生前関わりのあった人たちで、それぞれ彼女の死というものが心に引っかかったまま日々の生活を続けていた。ある日連絡が入る。7週間、仕事の前の7時から、ここでラジオ体操をして、亡くなった彼女を送り出して欲しい、という知らせだ。見知らぬ人からのそんな連絡を受け入れて、ここにやって来る必要なんてない、と思う。しかし、気になってやってきてしまう。同じように集められた人たちがいて、同じように毎日黙々とラジオ体操をして、去っていく。
ストーリーが大きく展開していくことはないし、変な謎解きもないまま終わっていく。ここに集まった男女が、死んでしまった岩田さんという女のことを語る。彼女と自分の関わり、彼女の事をどう思っていたのか。それらの言葉の中で描かれる彼女の姿は重なることはない。同じ女性のことを話ているのに、まるで別人である。
それぞれの中で作られた別々の岩田さんの姿は決して嘘ではないのだろう。まるで芥川の『藪の中』のように食い違ったまま放り出されていく。
岩田さんそっくりの女がここにやって来ることや、全く岩田さんのことを記憶していない女がこのグループの中に混ざっている、ということがちょっとした隠し味にはなっているが、そこからドラマを纏め上げようとはしない。全てを宙ぶらりんにしたまま終わらせていく。説明的な作り方はせず、この一つの異様な状況をさらりと提示するだけで、終わっていく。とてもよく出来た台本だと思う。芳崎さんの意図はしっかり伝わってくる。
ただ、それが芝居として、ドキドキするものを見せるには至っていない。人と人との関係性がこの空間から見えてこないのだ。彼らはただバラバラにここにいるだけ。それでも、それが芝居としての力になっていたなら、それはそれで面白いのかもしれないが、この芝居の場合はただ居るだけにしか見えない。役者たちの見事なアンサンブルとして見せれたならいいが、残念だが演出力が伴わない。
中心にある空洞としての岩田さんという女性を幽霊として、具体的に見せてしまったのは悪くはないが、そこから話をもう1歩先に進める工夫が必要だ。実際に目に見える彼女が彼らの前を浮遊することで、不在の彼女のイメージをひとつの方向に向かわせることで何かが見えてくるはずだ。なのにその何かが描けてない。岩田さんという女性は狂言回しにすぎないが、芝居は、彼女の死を通して、みんなの中に居座る彼女を描き込む必要があった、と思う。