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映画・演劇のレビュー

魚クラブ『Bar 月光 ~それぞれのペーパームーン~』

2018-05-09 22:33:43 | 演劇

2ヴァージョンで上演。しかも「女装男」、「女たち」という2パターン。どうして、『屋上のペーパームーン』という作品をそういうかたちで上演するのだろうか、不思議でならなかった。でも、きっと昇竜之介のなかでは勝算のある行為なのだろう。では、それってなんだろうか、と興味津々で劇場に向かう。この3年間で大竹野戯曲を3作品連続で取り上げた後の4年目の挑戦である。

 

大竹野作品を原作として自由脚色した。原作を解体して、自分の世界に引き寄せる。まず、舞台設定を屋上から地下のバーへと変更した。解放された空間から閉ざされた場所へ。男たち7人の話を、女たちへと変更する。(ただし、途中から介入する部外者だけを男にする。女装男たちのヴァージョンではこの役だけを女にする。)そんなふうにして性の問題を前面に押し出す。

 

お話自体の説得力はなくなるのを承知での改変である。昇さんにとって、このお話の魅力はニセ夜間金庫事件にあるのではなく、社会的弱者たちによる暴走、というところにあるのだということが明確になる。マイノリティの存在を前面に押し出す。それは男に対する女、であったり女装する男であったり。そんな彼女たちが社会に対する抗議として、このバカバカしい犯罪に嬉々として取り組む。彼女たちはこの遊戯のような犯行を楽しんである。だから失敗してもそれほど悔しくはない。原作はもっと、事件自体にフォーカスしていたが、この芝居では、事件はあくまでも入り口でしかない。

 

社会からつまはじきにされた彼らの存在、というところに興味を持ったのだろう。ペーパームーン=偽物。でも、彼らは決して偽物なんかじゃない。女は男の偽物ではないし、女装する男は女の偽物ではない。マイノリティであることが、彼らを傷つけ、虐げるような社会。そんな世の中に対する断固としたNO。それがこの芝居の目指すところなのだろう。

 

大竹野作品にインスパイアーされて、そこから自由に自分の世界を展開していく昇さんのやり方はとても面白い。ただここまでするのなら、完全オリジナルでもよかったのではないか、と1本目を見た時には思ったが、2本続けて見た時、この頑迷さは、この設定から生まれたのだろうと思い、こういう芝居もありか、と思わされた。

 


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