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映画・演劇のレビュー

『アマルフィ』

2009-07-30 16:59:17 | 映画
 この映画には何の可能性も感じない。なぜフジテレビは開局50周年記念大作にこの映画を選んだのだろうか。このお話で映画としてヒットさせることはできない。TVならこういう海外ロケのサスペンスでも観客の食指をそそるだろうが、劇場にまで足を運ばせ、お金を出させるだなんてことは無理だ。当然ガラガラの劇場で見ることになるのだろうと思った。なのに、なんと平日のお昼なのに客席は8割くらいの入りである。信じられなかった。こんな時間に誰が見に来るのか、と周囲を見渡せば、老若男女、さまざまな層が入り乱れている。彼らが何を期待してここにやってきたのか、僕には理解不能だ。(でも、まぁ大ヒットおめでとう!)

 じゃあ、おまえはなぜ見るのか、と問われるだろうから、先にその辺を説明する。まぁ、僕は何でも見るのだが、数ある映画の中から今日これを選んだのは、監督が西谷弘だったからだ。それと、織田裕二が主演してること。彼らがコンビを組んだ映画がつまらないわけがない。

 そうは言っても、この題材にはどう考えても勝算がない。同じようにローマロケの大作で『天使と悪魔』があったが、あの映画もなぜ当たったのか僕には理解不能だ。まぁ、原作がベストセラーで、前作『ダヴィンチ・コード』があれだけヒットしたのだから、観客はああいうものを嗜好するのか、とも思う。というと、この映画もロケ地だけでなくお話の方向性がよく似てるから、今の観客のニーズに答えてるのかもしれない。と、いうことは僕が勝手に誤解しただけなのか?なんだか、よくわからん。だが、僕にはこの安っぽい話に惹かれる観客はバカなCGアクションに集まった客と変わらないと思える。こんなにも、一方的に否定するなら見なければいい、と言われそうだが、見てしまったのだから仕方ない。ごめんなさい。

 西谷監督はTVのディレクター出身なのだが、ただのTVもどきの映画ではなく、映画らしい映画を作る信用のおける作家だ。デビュー作『県庁の星』はエリート役人が傾きかけたスーパーに派遣されて建て直しを図るというお話で、織田裕二のキャラクターは今回とちょっと似てる。伊丹十三の映画とよく似た設定だが、西谷監督は青春映画のさわやかさをあの映画に注ぎ込んだ。続く昨年の『容疑者xの献身』は前身となったTVシリーズ(『ガリレオ』)とはまるでタッチを変えて、原作のよさをうまく表現した。そんな彼が今回の題材をどう見せるのか。実は興味津々。

 原作の真保裕一は『ホワイトアウト』で織田裕二と一度組んでいるが、あの時は『ダイハード』の路線だったので、狙いは明確だ。だが今回は、ターゲットも絞り込みにくく、かなり難しい。邦人誘拐事件、ローマを舞台に外交官がその謎に挑む。それに首脳会議にやってきた外務大臣暗殺計画。「テロと誘拐」がひとつに重なりクライマックスを迎える、という娯楽映画。ハラハラドキドキして、おもしろければいい。それだけの映画だ。だが、そういう単純娯楽大作って難しい。これまで西谷監督が作ってきた映画はそこにもう少しの『何か』があった。だが、今回ない。もちろん単純な観光地映画ではない。だが、これだけでは納得がいかない。織田裕二の外交官のキャラクターは面白いし、彼がただのスーパーヒーローではないのもいい。あの男の隠された部分がもっと巧みに見え隠れするとさらに面白くなったかもしれない。

 見終えて、予想通り少しがっかりしたのがくやしい。やっぱり、と思った。つまらない映画ではないのだが、これだけでは映画にならない。最初からわかっていたことだが、残念だ。このチームなら奇跡を起こしてくれるのではないか、と思った。『ごくせん』や『ルーキーズ』のような映画は僕の範疇ではないから見ない。だが、これはそれらとは一線を画する。TV局が作る映画は多様化している。だが、大作はそうはならない。リスクが大きいから冒険ができないというのでは、つまらないではないか。あと一歩が欲しかった。

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