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映画・演劇のレビュー

江國 香織『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』

2015-04-29 15:47:46 | その他

今年一番の凄い小説だ。たくさんある彼女の優れた作品の中でもかなりの上位に位置する傑作ではないか。たった5歳の子供の心に迫る。

彼の中では世界はまだ確立されてない。未分化の世界は神の領域と近い。彼は小さな虫たちと話ができる。でも周囲の人たちとはうまくしゃべれない。というか、彼はまだふつうには、しゃべらない。言葉が足りないのではない。しゃべるという行為を理解しないのだ。家族の彼に向けて発した言葉にも反応しないこともある。それは言葉がわからないから、とか、無視するとかではない。聞こえないのだ。言葉というものではなく、もっと別の何かと感応する。別に言葉なんか発しなくても、彼には相手の心がわかる場合もある。特定の人に対してなのだが。彼の姉はわかるけど、彼の母も、当然父も理解しない。近所の霊園のおじさんはわかる。最初は信じないけど、信じざる得なくなる。だって、彼が反応するのだ。無言の問いかけに心で答えるのだから、驚く。

少年は「たくと」、という名前だ。拓人、と書く。小説は、彼の内面と、周囲の人たちの内面を描く部分を交互にして、描く。35章仕立てで、34章までは、それぞれが別れている。「たくと」の内面から発する部分は、なんと全部がひらがなで書かれる。これには最初かなり戸惑う。読みにくいから、ね。いちいち漢字に変換しなくてはならないのは、手間だ。読む時間は通常より1,5倍くらい必要になる。速く読めない。イライラする。でも、それこそが作者のねらいで、そのうちそれにも徐々に慣れてくるけど。

最初は、かなりイライラした。たくとのしゃべる内容もストーリーとはあまり関係ない、なんて思いながら、でも、飛ばすわけにもいかないし。そうなのだ。僕たちはお話としてこれを読む。だって、これは小説だから、当然のことだ、と最初は思う。だが、半分くらいまで来た時、そうじゃない、と気づく。(遅いよ。おれ)周囲の人たちのドラマより、たくとのお話のほうがいい、と思い始めた時、この作品の世界は鮮明になる。そこまでは大人たちのドラマの展開に気を取られていた。この先どうなるのかと、そちらが気になるから、ひらがなだらけのたくとの章になると、早く終われ、と思っていたのだ。

だが、たくとの見る世界にだんだん染まってくる。自分が彼に感情移入していることに気づく。5歳児の世界、そのスピードが、徐々に心地のよいものとなる。つまらない大人の世界のあれこれに一喜一憂していた自分がバカだったと思う。

まるで彼を理解しない母親。家に寄りつかない自由人の父親。隣の一人暮らしの老婆。父の愛人。ピアノの先生とその両親。そして、霊園のおじさん。「たくと」の世界の周囲にいる人たちのお話が同時進行していく。彼らは刻々と移り変わる自分を巡る状況と向き合いながら、生きている。だが、たくとは、自分の世界で生きる。姉だけは彼と一緒にいるけど、ずっと、ではない。姉にも自分の世界があるからだ。姉の世界は通常の世界とつながっている。そこは周囲との関係性によって成り立っている。でも、たくとの世界は違う。彼の内面だけで閉じている。しかし、そこにはヤモリやカエル、シジミチョウがいて、彼らは姉と同じように存在している。母やほかの人間は虫たちほど鮮明ではない。

最終章でたくとは拓人になってしまい、そこでは小説はふつうに漢字を使った表記になる。読みやすくなるのに、すこしもうれしくない。僕たちはそこで残酷な子供時代の終わりに立ち会うこととなる。拓人は、ふつうにことばを発し、虫たちの声を見失う。

「あのころ、僕たちは幸せに包まれていた。いまはもう思い出すことができない。」


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