イ・チャンドンの新作である。ようやく、見ることが出来た。1日1回上映になっていて、しかも、お昼の上映しかないから、1日休める日にしか見れない、というハンディーを乗り越えようやく劇場で見ることが叶う。うれしい。この傑作を見逃すくらいなら、10本の映画を見落とすほうがましだ。つまらない映画が束になって見叶わない映画がある。ならば、当然凄い映画をちゃんと見るべきだろう。
震える。スクリーンから一瞬も目を離せない。緊張の中で主人公を見守ることになる。彼女の行動、選択に目を瞠る。こんなにも厳しい映画だったのだ。これは66歳の老女が主人公だ。彼女は孫と2人でつつましく暮らす。中学3年の孫は、まともに話すらしない。彼の母親は、彼女に子供を預けたままプサンで働く。彼女はおしゃれで、若々しい。見た目の派手さが、とても彼女を魅力的にしている。ヘルパーの仕事をしている。ある時、思い立って公民館で行なわれている詩の講習に参加する。昔、詩の才能がある、と言われたことがあった。生きがいを求めて、勇気を奮う。そんな彼女の日常を追うだけでも興味深い映画になったであろう。だが、そうではない。最初からある事件を提示する。まず、事件がある。
孫がクラスの仲間とともに同級生の少女をレイプする、という事件だ。偶然彼女は被害者の母親が事件を聞いて取り乱す瞬間を目撃する。その時はそれが孫の関わる問題だとは思いもしない。この事件からお話は始まる。
彼女は示談金として500万ウォンを支払わなくてはならない。だが、そんな大金はない。事件に関わった子供たちの保護者たちがコンタクトを取る。父親たちは、なんとか示談にして、穏便に済ませたい。子供たちを傷つけたくはない、らしい。でも、死んだ少女はどうなるのか。少女を傷つけたのは彼らである。責任は6人ん少年にあるはずなのだ。
これは彼女が、今ある自分を見つめていく話だ。孫への愛情はある。だが、事件を通して、2人の交流が描かれるのではない。その後も、少年とのドラマはまるで描かれないのだ。2人の断絶を描くのでもない。彼は心を開かないのではない。だが、何も言わない。彼女も何も聞かない。お互いの想いはわかりあっている。でも、どうしようもないものがある。もどかしい。
祖母と少年のドラマではないか、と思っていたから、最初はそれが、不思議だった。だが、そうではなかった。可愛い孫のため、どうするかのドラマではなく、自分がこれからどう生きるのか、今までどう生きてきたのか、それがこの映画のテーマだ。事件で、平穏だった彼女の時間は壊れていく。更には、医者からアルツハイマーであることを告げられる。自分の未来に不安を感じる。
事件を通して、彼女が、今ある自分を改めて見つめ直し、レイプされたことで自殺した少女(アグネス)と、その母親の心情を、自分自身と重ねる。加害者である自分の孫ではなく、被害者である少女に寄り添う。加害者の保護者を代表して被害者の母親を訪ねる。このシーンがこの映画のクライマックスだ。彼女は何も言えない。畑仕事をする母親とただ、世間話をする。自分のことは何も明かさない。ただ、通りすがりの老人として接する。
ラストも衝撃だ。あんな形ですべてに決着をつける。その厳しさがこの映画の素晴らしいところだ。あれでなくてはならない。
震える。スクリーンから一瞬も目を離せない。緊張の中で主人公を見守ることになる。彼女の行動、選択に目を瞠る。こんなにも厳しい映画だったのだ。これは66歳の老女が主人公だ。彼女は孫と2人でつつましく暮らす。中学3年の孫は、まともに話すらしない。彼の母親は、彼女に子供を預けたままプサンで働く。彼女はおしゃれで、若々しい。見た目の派手さが、とても彼女を魅力的にしている。ヘルパーの仕事をしている。ある時、思い立って公民館で行なわれている詩の講習に参加する。昔、詩の才能がある、と言われたことがあった。生きがいを求めて、勇気を奮う。そんな彼女の日常を追うだけでも興味深い映画になったであろう。だが、そうではない。最初からある事件を提示する。まず、事件がある。
孫がクラスの仲間とともに同級生の少女をレイプする、という事件だ。偶然彼女は被害者の母親が事件を聞いて取り乱す瞬間を目撃する。その時はそれが孫の関わる問題だとは思いもしない。この事件からお話は始まる。
彼女は示談金として500万ウォンを支払わなくてはならない。だが、そんな大金はない。事件に関わった子供たちの保護者たちがコンタクトを取る。父親たちは、なんとか示談にして、穏便に済ませたい。子供たちを傷つけたくはない、らしい。でも、死んだ少女はどうなるのか。少女を傷つけたのは彼らである。責任は6人ん少年にあるはずなのだ。
これは彼女が、今ある自分を見つめていく話だ。孫への愛情はある。だが、事件を通して、2人の交流が描かれるのではない。その後も、少年とのドラマはまるで描かれないのだ。2人の断絶を描くのでもない。彼は心を開かないのではない。だが、何も言わない。彼女も何も聞かない。お互いの想いはわかりあっている。でも、どうしようもないものがある。もどかしい。
祖母と少年のドラマではないか、と思っていたから、最初はそれが、不思議だった。だが、そうではなかった。可愛い孫のため、どうするかのドラマではなく、自分がこれからどう生きるのか、今までどう生きてきたのか、それがこの映画のテーマだ。事件で、平穏だった彼女の時間は壊れていく。更には、医者からアルツハイマーであることを告げられる。自分の未来に不安を感じる。
事件を通して、彼女が、今ある自分を改めて見つめ直し、レイプされたことで自殺した少女(アグネス)と、その母親の心情を、自分自身と重ねる。加害者である自分の孫ではなく、被害者である少女に寄り添う。加害者の保護者を代表して被害者の母親を訪ねる。このシーンがこの映画のクライマックスだ。彼女は何も言えない。畑仕事をする母親とただ、世間話をする。自分のことは何も明かさない。ただ、通りすがりの老人として接する。
ラストも衝撃だ。あんな形ですべてに決着をつける。その厳しさがこの映画の素晴らしいところだ。あれでなくてはならない。