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映画・演劇のレビュー

小手鞠るい『乱れる海よ』

2022-12-28 18:33:15 | その他

1972年5月30日、イスラエルのテルアビブ空港で起こった乱射テロ事件の犯人の軌跡を追うノンフィクションに挑むライター。彼女がこの50年も前のできごとにこだわるのはなぜなのか。空港でのテロ事件を引き起こした彼の正義のための戦い、その是非を問うわけではない。たとえどんな動機や理由があろうともテロは許せない。そんなことは本人だってわかっているはずだ。已むに已まれずの行為。切実な想い。犯行を起こした事件の首謀者、渡良瀬千尋の正義と使命感。そこに焦点を見出すのでもない。主人公は彼のことを書こうとしたアメリカ在住の売れない女性日本人ノンフィクションライターのほうで、彼女が千尋のことを調べ、書いていく過程が描かれていく。だが、周縁から攻めてきて核心に至る、というパターンでもない。冒頭である記者が事件の起きた場所に向かう姿が描かれる。何か重大なことが起きたらしい。だから空港へ迎えという指示だけを受けた。この記者は冒頭とラストだけ出てくる。主人公のライターの個人的な想い、彼女が書く原稿。劇中劇ならぬ劇中原稿。彼女の書いたノンフィクションがこの小説の中に何度となく挿入される。さらには実際の犯人渡良瀬千尋の手紙も。この何重にも施されたメタフィクションはもちろん事実をモデルにしている。なんとも不思議な構造をなす小説なのだ。

あくまでも彼女の個人的な想いにポイントが置かれる。彼のことを書くために彼女がどういうふうにしたのか。いかに挑んだのか、それが描かれていく。アプローチの仕方、取り組み方。それがどんな紆余曲折をたどるか。どうしてここまで彼のこだわるのか、自分でもわからない。彼の犯罪を糾弾するわけでもない。ましてや援護するわけでもない。60年代から70年代にかけての学生運動の意味、意義の検証でもない。大仰なテーマを掲げるのではなく、いろんなことがわからない、だから気になる。どうして彼はあんな行為に至ったか。個人的な興味、でもそれはあの時代、革命を夢見た学生たちの熱い想いに直結する。でも、やがてそれが歪んだ想いにつながる。どうしてそんな迷路に至ったか。

小手鞠るい自身の戸惑いをそのまま形にした、そんな小説だ。モデルになった実在のテロ犯人は彼女の母校に先輩にあたるらしい。そういうこともあり、彼に心惹かれたようだ。でも、それはあくまでもただのきっかけでしかないだろう。テロの正義というお題目があり、そこに向けて少しずつ歩み寄る。これはそんな小説だ。何が正しくて何が間違いであるのか、なんてわからない。冷静に自分が信じるものの是非を問う。答えはない。


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