習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『トンマッコルにようこそ』

2006-10-15 22:30:48 | 映画
 去年の3月、プサンに行った時、ちょうどこの映画が上映中だった。劇場のポスターを一目見て、とても気に入ってしまい、見たいと思った。女の子が緊張した面持ちで目をまんまるにして立っている。その横には、ぽっちゃりした男の子が手を振る。二人の背後に並ぶ大人たちはみんな笑顔で手を振っているという集合写真のようなポスターである。(日本版も最終版は同じポスターを使っている。)   

 あれから1年と7ヶ月、ようやくの日本上陸である。韓国で大ヒットしたのに、いつまで経っても輸入されないし、なんとか公開が決まってからも、かなり待たされ、いいかげんにしてくれと思っていたが、とうとう見ることができた今作は、期待にたがわぬ力作だった。

 桃花源記の現代韓国版である。(といっても時代は1950年、朝鮮戦争を背景にしている。)山の中にある純朴な村。そこに連合軍のアメリカ兵が飛行機ごと落ちてくる。さらには、連合軍の韓国兵や、人民軍までがここに迷い込んでくる。
両者は最初もちろん敵対するが、この村で暮らしていくうちにいつのまにか戦う事をやめみんなでこの村の平和を守ろうとする。
天真爛漫な少女を中心にした、村人達のおおらかな生活に兵士達は少しずつ巻き込まれていき、気付くと彼らと同じように、生活しているのだ。北とか南とか、関係なく自分達がここで幸福を感じれたならそれでいい。理想郷での生活をまるでファンタジーのように見せつつも、ドラマ自体は作りものめいたものにならず、この村での平和な日常生活をスケッチするように描いていくだけだ。あくまでも、リアリズムをベースにしている。

この映画の何が韓国の人たちの心をこんなにもとらえたのだろうか。決して極上の映画というわけではない。しかし、この映画の持つ温かさと小さな平和をなんとしても守りきろうとする姿勢が心をうつ。年老いた村長が、アメリカ兵を救助するためやってきた連合軍の兵士に滅茶苦茶に殴られるシーンがある。誰もがその圧倒的な暴力の前でなす術もないのだが、村長は毅然として、動じることも、怯えることもなく殴られ続ける。僕たちは、あのシーンを見ることで、この映画の平和がそんなとても強い意思のもとに、守られているということを理解するのだ。これがただのファンタジーでないというのは、そういうことなのである。

だからその後の、村で生活してきた兵士が、自分達の命ですら犠牲にして、この村を守るためにアメリカ軍の圧倒的な爆撃と戦うラストシークエンスも、その嘘のような戦いぶりなのに納得させられることとなる。さらに、胸いっぱいにさせられるのは、北と南の兵士が、力を合わせて自分達の村のために、アメリカと戦うという図式ゆえである。この映画が韓国人たちの胸をとらえたのは、その夢のような瞬間を描いたからではないか。

少女の死という痛ましい現実をきっかけとして、ドラマが動いていくのも、この映画をただの美しい話に終わらせない理由だ。この作品は作り手の痛みを基点にして、この理想郷を作り上げようとするところにある。ただの甘いだけのファンタジーとは、一線を画する。そしてこの映画が主人公達ひとりひとりの優しさを基盤にして、成立しているところも素晴らしい。あのオマヌケと紙一重の能天気に見えるポスターのリアリティはそこから生ずる。

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