映画を見てこんなに泣いてしまったのは久しぶりのことだ。ある特定のシーンだけではなく断続的に泣かされていた。いろんなことが琴線に触れたのだろう。原作を読んだ時にも泣いてしまって困ったけど、その比ではない。小説は冷静に対応できるけど、映画は感情的になるということも影響したのだろうか。目の前で彼女たちが自分の今と向き合い、戦っている。そのことに涙する。決して泣き言は言わない。どちらかというと2人はへらへら笑っている。でも、それだから、彼女たちの痛みはわかる。
映画館の暗闇の中でなら泣いても大丈夫。誰も見ていない。けなげな少女の姿が愛おしいのではない。数奇な運命に導かれて、ありえないような人生を歩んだひとりの女の子の10数年に及ぶ日々が丹念に綴られていく。小学4年生の女の子のお話と、高校3年生の女の子のお話が同時進行で描かれていく。ふたりの少女のドラマはやがて重なり合い、新しい時間へと移行していく。なんなんだ、これは、と思いつつ、スクリーンに釘付けされる。見ていてこの先が気になる。原作を読んでいてお話を知っているにも関わらず、である。
高校を卒業して、父親のもとを離れて一人暮らしをスタートする。ずっと両親に守られ育ってきた女の子が自活する、というのはよくあるお話だ。ただ、この映画の主人公の女の子の置かれた環境はふつうじゃないから、独立することの意味は重い。
こんなことはどこにもない。彼女だけのことだ。だけど、この子の辿った12年ほどの歳月は誰をも引込む。このお話から目が離せない。いったいこれは何なんだろうか、と思う。こんなのありかと、思う。
考えられないほど、ありえない母親。血のつながりはないけど、そんなことどうでもいい。彼女はこのとんでもない母親と過ごす時間を受け入れる。この母親の愛情はふつうじゃない。自由奔放すぎて、普通の神経では付き合いきれない。でも、彼女の周りの男たちは彼女を全面的に受け入れる。現実にはありえないだろう。だけど、この映画の彼らは受け入れる。こんなのは映画ならではの嘘だけど、それがこんなにも心地よい。娘のために生きる。この母親を石原さとみが演じる。
主人公の女の子を演じた永野芽衣(と、稲垣来泉)が素晴らしい。結果的に彼女は3人の父親と2人の母親を持つことになる。その顛末が綴られていく。何があっても笑顔を崩さない。おかしいんじゃないか、と思うわせるほどに。笑うことで今ある現状から抜け出す、さらに先に進める。嫌がらせにも笑顔で応対する。相手から気味が悪いと思われるほどだ。
誰かを心から愛おしく思い、大事にする。たくさんの人から愛情を注がれて大人になる少女。ありえないような環境に育ち、でも、それを受けいれ、周囲の大人たちを結果的に幸せにして、自分も幸せになる。これはある種のメルヘンかもしれないけど、こんな幸せに涙する。彼女はいろんなことを我慢して他人から見たら不幸にしか見えないような現実のなかで、最高の幸福を掴む。この血のつながらない母親と娘のお話は、3人の男たちだけではなくたくさんの人たちを幸せにしていく。大事なものは何なのかを教えてくれる。
12年間の軌跡は、人が生きていく歴史でもある。一番多感な時期を乗り越えていくためにたくさんの人たちの援助がある。たくさんの愛に包まれて、生きた。今そのことに気づくのではない。そんなことずっとわかっていた。だから耐えられたし、幸せだった。これは最高に幸せだった12年間の物語だ。2時間17分の長尺映画なのに、あっという間の出来事だった。今までいろんな映画を作ってきたけど、『こんな夜更けのバナナかよ』を経て、ようやくたどりついた前田哲監督の代表作であり、最高傑作。