こんな映画を作るんだ。こんな話が映画になるんだ。しかも、それなりに面白いし。すごい面白い、わけではないところもいい。こんな地味な映画なのに、そこそこ面白くて、2時間退屈させない。でも、何もない。ただのお弁当のお話。昨年の『今日も嫌がらせ弁当』の姉妹編のような映画。あれが母と娘の話なら、こちらは父と息子。でも、こちらのほうがずっと地味。
高校受験に失敗した息子は、1年間の浪人生活を経て、1年遅れで高校生になる。大学受験の浪人とはまるで違うプレッシャーだ。後輩たちと同学年になり、一つ上には中学の頃の級友たちがいる。そんな当たり前のことが、苦しい。そんな彼の3年間の高校生活を父親の作るお弁当を通して綴る。
弁当を食べるシーンばかりが続く。同じように父親が弁当を作るシーンが何度となく描かれる。それだけだ。息子の高校生活のスケッチはないわけではないけど、よくあるようなイベントやクラブ活動とかは一切描かれない。2人の友人との語らい(ほとんどは弁当を食べながらだが)や、好きな女の子への想いとかも描かれるけど、それは実にさらりとした描写だ。ミュージシャンをしている父親の方も、仕事の描写もあるけど、こちらもそこに特別なドラマが用意されているわけではない。それからこちらにも恋人とのお話もあるけど、息子の部分と同じで、淡い。たわいもない日常のスケッチなのだ。
ドラマチックからは程遠い。商業映画のはずなのにこんなにも何もない映画でいいのかと心配になるほどだ。でも、監督の『キセキ あの日のソビト』(とてもいい映画だった)の兼重淳は堂々としたタッチでこの姿勢を貫く。しかも、アート映画のような気取った作りではなく、あくまでも普通の娯楽映画のテイストだ。もちろんスター(V6の井ノ原快彦)を主人公に配している。だけど、彼はスター然としていない。
父親の作るお弁当は卵焼きを中心にして基本はワンパターンだ。息子の友人たちはおいしい、おいしいと言うけど、それほど目新しいものではない。でも、その変わり映えのしない、でも、とても丁寧に作られたお弁当は確かに愛情が込められたものだ。それを卒業まで一日も欠かさず作り続ける。そんな毎日の積み重ねが描かれる。それだけの映画だ。たわいもない、といえばこれほどたわいもないものはない。確信犯だ。最初と最後の2度「これは毎日のお弁当の話だ。それ以上でも、それ以下でもない」という息子のナレーションがある。それがこの映画のすべてなのだ。