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映画・演劇のレビュー

絲山 秋子『北緯14度』

2009-01-14 20:52:23 | その他
 「なぜ、セナガルなんだろう」と本人も言っている。きっかけは、30年前TVで見たドゥドゥ・ンジャエ・ローズのライブを偶然に見たこと。フランス語をフランス以外の国で喋りたかったこと。絲山さんの中で明確にされるこの答えは必ずしも絶対的な理由ではない。これもまた単なるきっかけでしかない。

 もしかしたらどこでもよかったのかもしれない、と思うくらいに淡い。なんとなく日本から遠く離れた異国の地で、別の自分になって暮らしてみたかった。それだけのことなのかもしれない。2ヶ月間、セネガルで生活した。そんなドキュメントであるこの本を読みながら、旅ではなく、暮すこと。でも、ただの旅行者でしかないこと。そんなあやふやなスタンスがなんだかふわふわしてて面白かった。

 セネガルの首都ダカールはもちろんジャングルなんかではなく、大都会だ。今時アフリカ=未開地なんていう図式はありえない。だが、アフリカは遥か遠く普通の日本人にとってはこの世の果てでもある。絲山さんはここでなんとなく暮す。最初は編集者まで付き添う。これはただの旅行ではないが、暮すというにはなんだか浮ついている。

 特別なことなんてほとんど何もない。観光だってあまりしない。最初はいろんな人とも出会わない。狭い世界で、ほんの一握りの人と接して、うんざりしているだけ。だけど、そんな日々のスケッチと、どうでもいいような会話とかを綴っていくことを通して、見えてくるものがある。もしかしたらとても大切なことがここにはある。それはありきたりな答えではない。セナガル人と同じ視点に立って物事を見て、食べて、付き合っていくことで、自分はツーリストでしかなく、でも、彼らが受け入れてくれることで、ここに確かに今、自分がいて、生活があると知る。

 別に何があるというわけではない。ただなんとなく、そこにいてトッカリさんの家とかで、ゴロゴロしたりして、時を過ごした。それだけがなぜか心に沁みてくる。なんだろう、この気分は。明確な答えはやはりない。だが、この2ヶ月のスケッチは僕らに確かな『何か』を伝えてくれた気がする。

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