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映画・演劇のレビュー

がっかりアバター『啓蒙の最果て、』

2015-04-12 21:02:39 | 演劇

僕にとっては久しぶりのがっかりアバター長編作品。昨年、応典院のスペ・ドラで上演された(それが1年ぶりの新作だったようだ)を見逃した。周囲の人たちから「あれはとてもよかったのに、がっかりですね」なんて散々言われたから、それが悔しくて、あれからさらに1年振りとなる今回は絶対見ようと思った。個人的な話だが、最近(ここ1年ほど)あまり芝居を見ないようにしていたのだが、また、時間が許す限り、見れるものは見なくてはと思う。この芝居を見てそう思った。

このとんでもなく、バカバカしい芝居を見ながら、改めてそう思う。自分の趣味の範囲から出ない芝居ばかりで、それ以外を敬遠していては、世界はどんどん狭くなる。自分が面白い芝居しか見ないようにしていたけど、それってつまらない。当然の話だが、いろんなものがある。思いもしないところから、凄いものに出会えることもある。

さて、早くこの芝居のお話にしよう。とても刺激的で、いろんなことを考えされてくれる作品だった。1時間半という上演時間もいい。坂本さんの作品は情報量が半端ではないから、どうしても長くなる。そこが難点だったのだが、ようやくそこからも卒業したのだろう。自由に時間をコントロールできるようになったのは、いくつもの短編(昨年は石田1969さんのイベント(LIN’X)にも参加して、気を吐いた。)や、ほかの団体とのコラボを通して、作品との距離感をちゃんと取れるようになったからだろう。

冒頭、RPGスタイルのつまらない芝居を延々と見せられる。「いったいこれは何?」と思う。がっかりアバターが、こんな芝居を作るわけがない、と思うし、そのうちきっと何かがある、これはそのための伏線なのだろう、と思いつつ見る。しかし、不安になる。もしかしたら、坂本アンディはこれを本気でやっているのか、という一抹の不安である。それが30分以上続くのだから、さすがにびびる。

この長さは観客を追い詰める。ようやく、終わりになったとき、ほっとする。芝居が終わり、ありがとうございました、という挨拶になる。ここで、本当に終わるはずもない。(本当なら、もっと観客をイライラさせるべきだが、このくらいが限界だろう。そういうところも含めて時間配分が実に巧妙になった)ギリギリまで追いやられたところで、予定通り、観客は完膚なきまでに叩きのめされる。「こんな、くだらない芝居は粉砕すべきだ!」と一人の男が流れ込んできて、舞台を破壊していく。ここから、本来の芝居が始まるのだ。

では、正しい芝居とは何か。そこが今回の作品のテーマだ。だが、その答えは出せないまま、役者たちは舞台から、さらには劇場からも出て、本当の芝居というものを探し求める。客席、舞台袖のドアを開けて、あげくは、劇場の外のサイゼリアにまで飛び出す。もうなんでもありだ。だが、ラストに至っても「好きだよ」という言葉は届かない。

これは、芝居の暴動だ、と喜ぶ観客もあるだろうが、こんなもの芝居じゃないと怒り出す観客もいるはずだ。正直言うと、これはちょっと突き抜けてしまって、底が抜けてしまっている。だから、ただのムチャクチャで、もう芝居とは呼べないしろものだ。腹を立てて席を立ってしまってもいい。しかし、坂本さんはふざけているわけではない。彼はとても真摯に、このめちゃくちゃな世界を誠実に作り上げようとする。そこには計算や打算とかはない。ただ、純粋に自分たちの芝居への愛だけがある。溢れる想いがそこにはある。胸いっぱいの切なる想いを作品の中に純粋にぶつけてくる。いつものように下品で、下ネタ満載で、ウンコとか、シッコとか、ちゃんとある。お漏らしもする。でも、それはふざけているのではない。だから、見ていて嫌な気分にはならない。彼らはこういう作品を一度やらなくてはならない、そういう使命感に駆られて作ったのだ。


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