プサンに行った時、見た風景とか感じたこととか、いろんなことを思い出した。日本にこんなにも近い外国である。近いからこそ、その違いが明確に感じられることも多い。僕はソウル以上にプサンのほうが好きだ。
柄本祐が観光ビデオを撮影するため単身プサンに乗り込む。と、いうか、いきなり「明日から言って来い」と言われて、船でプサンに乗り込み、3泊4日。なんだかいいかげんな取材で、ただカメラを抱えて町をふらふら . . . 本文を読む
チャウ・シンチーが『カンフー・ハッスル』に続いて取り組む新作だ。子供と父親の話にぬいぐるみタイプのETを絡めた人情もの。正直言ってたいした映画ではない。期待して見た人はがっかりするだろう。現に僕は凄くがっかりした。だが、かってのチャウ・シンチーはこの作品の比ではないすさまじくつまらない映画を散々撮ってきた。香港映画においてそんなことは当然のことなのだ。
最近でこそこんなふうに1本1本が大切に . . . 本文を読む
またこういう小説を書く。重松清はいつも同じだ。同じものを延々と書く。だがそれはマンネリになることはない。なぜなら彼の中でこの同じ話は永遠に今の彼にとっての最重要課題だからだ。繰り返し繰り返し彼は自分と家族のことを書く。
今回は父と息子の成長の物語だ。昭和30年代の終わりから平成までを背景に子供の誕生から、彼が妻子を作り独立していくまでをじっくり描く。妻の死後、男手ひとつで旭(男の子が生まれた . . . 本文を読む
ここに収録された短編小説はひとつひとつ完全に独立したものだ。しかし、その底に流れる寂しさは共通している。寡黙な文体は時には必要なことすら隠すようで読み終えたときには描かれた世界のありさまが明確な輪郭すら残さないときもある。
母と息子の2人きりの時間を描く『滑走路』から始まり息子がおじさんと2人で山に行く話まで(『おじさんのトンネル』)まで、ここに収録された短編7編はいずれも登場人物が2,3人 . . . 本文を読む
何もない。話らしい話はないということだ。雲南の少数民族ハニ族の少女ルオマを主人公にする。彼女は毎日町にとうもろこしを売りに行く。1本が5角だ。1日座っていても何本売れるのかは知れない。だが、たいした収入にはならないことだけは明白だ。
カメラマンの男が写真のモデルにならないかと誘う。モデルといっても彼女と棚田を背景にしてカメラに収まるだけだ。写真を撮るごとに観光客から10元(とうもろこし20本 . . . 本文を読む
3時間に及ぶ大作だ。奇妙な運命のもと生まれたひとりの男の生涯を追いかけた。彼は老人の状態で生まれてきて、赤ちゃんになっていく。普通の人間の逆を行く。誕生時は80歳くらいの状態。徐々に若くなる。そして消えていく。
映画はそんな不思議を描く。だが、ベンジャミンの人生はそれ以外に特別なことはない。(まぁ、これ以上の特別はないが)映画は彼の生い立ちから死までを静かに描く。普通の人の人生と同じくらいに . . . 本文を読む