加賀さんルーツ旅をはじめたのは、加賀さんのとっても個性的で魅力的な人となりの理由を探したいと思ったのがきっかけです。
天王、秋田、札幌、大原と巡っても結局よくわかんないです。むしろ加賀さんの魅力の奥深さというか懐のふかさを感じて、ますます謎が深まるばかりです。コナン君でも解けないね。
巡っていて気付いたのですけど、ぼくはきっと、ぼくが知らない東京に来る前の加賀さんを追体験したいんだと思います。もしもタイムマシンがあるのなら、ドラえもーん、ぼくの願いを叶えてよ。
昨年夏の札幌は宮の沢以来、約一年ぶりの追体験は、いよいよ磐田です。加賀さんがプロサッカー選手としての人生をスタートし、そして今までで一番長く過ごした街です。
今回の旅は心強い相棒にアテンドしていただきました。ジュビロ時代からずっと加賀さんを応援し続けていらっしゃる、尊敬する大切な友達です。
2002年冬、加賀さんはプロサッカー選手としての暮らしの、はじめの一歩を歩みはじめます。加賀さんが磐田の地に降り立った、JR磐田駅の改札です。
改札を出た風景。当時はジュビロくんは北口にいたそうです。加賀さんが最初に見た磐田駅の風景は、もっとシンプルだったかもしれませんね。
加賀さんが暮らしていたのは、主に駅の北側です。北口に向かいます。
階段を降りると北口です。
北口の階段に、ジュビロくんとジュビィちゃん。
北口のロータリー。加賀さんはここから遠鉄タクシーに乗ってジュビロのクラブハウスに行ったのかな?。それともお迎えが来てたのかな?。
加賀さんが入団した2002年といえば、日韓ワールドカップの年です。磐田は日本代表のキャンプ地でもあります。
JR磐田駅の北側。
北口は今年2016年に改装されました。加賀さんが在籍していた当時とはずいぶん変わったようです。
この善導寺の大クスは当時と変わりません。磐田駅付近にかつてあった善導寺の名残りだそうです。ジュビロの選手をずっと見守っているのですね。
その大クスの前にひょっこりいるのは、しっぺいです。改装前の北口にはジュビロくんがいたのですけど、大家のしっぺいに立ち退きを命じられ、今は大家自身が居座っています。とても態度がデカいですね。
磐田駅構内もしっぺいに占領されています。しっぺいに加賀さんの冷たい視線ビームを浴びせたいところです。
続いてやってまいりましたのは、入団初年度に加賀さんが暮らした、ヤマハ発動機の野球部とサッカー部の兼用の寮です。今は売却され、杏林堂ドラッグストア西貝塚店になっています。
建物はすでに無いのですけど、周囲の風景は当時のままだそうです。若手の独身選手が住んでいて、ジュビロ全盛期は、女性ファンがひと目見ようと集まっていたそうです。当時の加賀さんは試合に出てないし、人気も無かったでしょうから注目はされてなかったと思いますけど、そんなことは意にも介さない加賀さんが目に浮かぶようです。
この寮はヤマスタのすぐ南側にありまして、この脇道を選手たちが自転車で通勤してたそうです。
寮のすぐ西側に、ジュビロのチームドクターを務めてらっしゃる横地真先生の、横地内科消化器科医院があります。加賀さんも内科系で体調不良のときは、診てもらっていたのでしょう。
次は、いったん磐田駅を離れ、ひとつ西隣のJR豊田町駅です。
磐田時代の通算8年間で、もっとも長く生活していた街です。加賀さんが結婚生活をはじめたのもこの街。
加賀さんの暮らしを支えてたマックスバリュ豊田店です。
その向かいにある、杏林堂ドラッグストア豊田駅前店。加賀さんの必需品アミノバイタルを買っていたかな。
豊田町駅のちょっと北側にあるさわやか豊田店は、加賀さんも来ていたそうです。
さわやかはボリュームを選べるのですけど、小食の加賀さんはこの位のサイズを注文してたのかな。
磐田に戻ります。その途中にあるのがこちら。今は磐田ななつぼしと名前が変わっています。加賀さんが在籍した当時は、磐田の湯でした。
加賀さんと言えばスーパー銭湯。東京時代にもよくスーパー銭湯に通っていましたけど、磐田では毎日のように練習後に磐田の湯に来ていたそうです。もちろんご自宅にお風呂がなかったわけではなく、広いお風呂でのんびりするのが一日の疲れを癒すデトックスなんだそうです。なにしろあの足の長さですからね。ゆったりとした時間を過ごしながら、考え事をするのだそうです。湯あたりしないようにね。スーパー銭湯好きは変わらないと思いますので、浦和にもいきつけがあるのでしょう。
加賀さんが数字にこだわるひとか分からないけど、ジュビロ在籍当時の背番号の靴箱を集めてみました。入団初年度の30番。
2年目と3年目の25番。
札幌から帰ってきた時、2007年~9年の15番。
そして、ジュビロ時代最後は、頸椎骨折の大けがから復帰した2010年~11年の2番。
ちなみにこちらには、前田遼一さんもよく入浴に来てたそうです。
加賀さんが買い物に来ていたスーパーがあった場所です。現在はアピタ磐田店になっています。
では、ジュビロ時代の加賀さんの職場に行きましょう。
ヤマハスタジアムです。
ヤマハスタジアムの南側スタンドは、2013年に改装され、二階建てになっています。ですので、加賀さん在籍当時とは趣がちょっと変わっています。もともと南側スタンドにはジュビロの事務所が隣接していたのですけど、改装により事務所もスタンドのなかに移っています。
普段は一般用の駐車場として使われているスペースは、試合日はチームバス専用になります。
選手がスタジアムに入る入口です。なかに入ると、ジュビロのミュージアムになっています。ミュージアムは、普段はスタジアムショップから一般のかたも入ることができます。アウェイのチームは、ジュビロ黄金期の栄光を見せつけられるのですね。
加賀さんが入団した2002年は、ジュビロが両ステージを完全制覇した年です。
右上に初々しい19歳と2か月の笑顔を見つけました。
ミュージアムの奥が、選手がピッチに入る入口です。
外観を半分だけですけど観てみます。メインスタンドの南側です。
メインスタンドの中央です。
メインスタンドの北側。
アウェイ側の北側スタンドです。
ヤマハスタジアムはイビチャ・オシムさんがヨーロッパのスタジアムの雰囲気があって素晴らしいと絶賛されたそうです。たしかに以前訪れたことがあるハイバリーに似ている気がします。
南側スタンドと、向こうにちょっとだけバックスタンドです。ヤマスタでまだ観戦したことがないので中の様子はわからないのですけど、外から観た印象は、とても密度が高くてタイトだなあと思いました。サッカー観戦に集中できそうで、とても良い空間です。
南側スタンドの全景です。
南側スタンドの前の広場です。マッチデーはイベントや屋台が出るのかな。この辺りいったいはヤマハ発動機の本社敷地になっていて、本社屋、研究棟、工場などが隣接しています。
では、加賀さんゆかりのお店をめぐってみましょう。実際に加賀さんに成りきって食事をいただいてみたかったのですけど、日曜日なのであいにくしまっているところが多かったです。新通り交差点の南側にある県道43号線沿いのステーキハウス今之浦さんは、加賀さんが誰かと差し向かいでゆっくり話をしたいときに来ていたそうです。アニキ肌の加賀さんは、よく若手にごちそうしていたそうです。それにしても加賀さんは小食ですから、ご自分よりも友達や若手選手がいっぱい食べるのを見るのが楽しみだったのかもしれませんね。
今之浦さんから県道86号線を北上、大久保グランドに向かう途中にある、和食のとみたさんです。こちらにはご家族でいらしていたそうです。
そのはす向かいにある、お蕎麦のサガミさんです。こちらは当時、ジュビロの選手がよく利用していたようです。
加賀さんもお蕎麦を召し上がっていたそうです。こちらは開いていたので、加賀さんになった気分でお蕎麦をいただきました。
おなかがいっぱいになったので、それでは最後に、加賀さんが8年間汗を流した聖地に向かいましょう。ヤマハ発動機大久保グランドです。
ここは、磐田市のスポーツ交流の里ゆめりあに隣接していて、その東隣になります。グランドが二面あって、北側がトップリーグのヤマハ発動機ジュビロのグランドです。南側の野球場跡がジュビロ磐田の大久保グランドです。
選手とスタッフは、こちらの南側の正門から入ります。見学に来たら、ちょうど練習が終わった宮崎さんが帰宅されるところでした。
この正面の土手が大久保グランド。左手に守衛棟があります。右に行くと選手とスタッフの駐車場です。ここから先は一般の人は立ち入り禁止。
加賀さん在籍当時は、この試合告知ボードはサッカーだけだったようです。
なにしろ大久保グランドは磐田駅から遠いです。公共交通機関ですと、遠鉄バスの磐田市民病院行きに乗ってゆめりあ入口で下車するのだと思います。今回は加賀さんゆかりの地を巡るので、車にしました。最初はジュビロチャリ部員だった加賀さんに成りきって自転車で巡ろうと思ったのですけど、実際にうろうろしてみると、自転車だとけっこうしんどそうです。大久保グランドの最寄りの駐車場は第五駐車場になります。グランドのすぐ脇にあります。その坂下にある第二駐車場も近いです。それから、さきほどの正門の通りをはさんで南側にも駐車場があります。そちらは未舗装です。写真は第五駐車場です。
正門南に停めた場合は、さきほどの試合告知ボードの左脇の小道に入って土手を上がったら、グランドに出られます。第五、第二駐車場の場合は、こちらの西側の入口から入ります。
西側第1ゲートです。
この土地の近年の大スターといえば、五郎丸歩選手ですね。昨年の夏から移籍するまではファンがいっぱい訪れていたのでしょう。
ここを入ると目の前です。
ジュビロ磐田大久保グランドです。南側からの光景。東側にクラブハウスがあります。
北側に見学用のスタンドがあります。
スタンドといっても土手に木を置いただけですので、座り心地は良いとは言えません。加賀さん在籍当時と変わってないそうです。サポのみなさんはシートを持ってきてらっしゃいました。
加賀さんが技術を磨いた日々の詰まったグランドです。
ジュビロのファンサスペースは2パターンあるそうです。ひとつはグランド内の旧バックネットの付近。ここにサポがいて、選手に声をかけるのだそうです。そして加賀さんは、声をかけても来るときと来ないときがあったそうです。宮の沢ではそうでもなかったみたいですから、加賀さんツンデレ伝説のはじまりは、ここ(*´▽`*)。
このファンサスペースへはこちらを降ります。練習中は閉まっています。今日の加賀さんがツンなのかデレなのか、ドキドキする通路ですね。
もうひとつはこちら。駐車場の脇です。柵をはさんで、選手に声をかけます。ちょうど加賀さんの大親友、太田吉彰さんがファンサをしていました。太田さんにぼくの加賀さんスマホケースをお見せしてみたかったのですけど、ジュビロサポさんがいらっしゃるのでさすがに失礼と思い、断念しました。ちょっと太田さんの反応を見てみたかったです。後でアダイウトンさんが来てくれて、写真を撮らせてもらいました。アダイウトンさんのAのピアスが可愛いって友達と話してたら、気付いたみたいで、いいでしょうって感じでピアスを見せてくれました。
加賀さんが過ごしたクラブハウスです。
グランドへの出入りは、中央の階段を使います。向かって左手の二階の隅がバスルームだったと思います。右手だったかもしれません。
三階の向かって右手がトレーニングルームです。2010年のリハビリ中の加賀さんがエアロバイクをこいでいたそうです。
三階の向かって左手がリハビリルームです。その下が食堂兼ミーティングルーム。前田遼一さん大食い伝説の現場ですね。
駐車場側から見たクラブハウスのサイドビューです。
では、スタート地点の磐田駅に戻ります。今回のルーツ旅の〆に、第二期ジュビロ時代の加賀さんの通勤路をたどってみたいと思います。ぼくのケンくまくんに案内してもらいます。
大久保グランドの正門前の、茶畑のなかの小道を入ります。左にちょっと見えるのが、先ほどご紹介した正門前の駐車場です。
この小道を突き当たりまで進みます。当時ジュビロ磐田チャリ部には結構部員がいたらしく、前田遼一さんもそのひとり。県道のほうは車が多いので、茶畑に囲まれたこの小道をのんびり走っていたのでしょう。
ここをまっすぐ。
東名高速道路の本線の下をくぐります。
東名高速の磐田ICのランプウェイの下をくぐります。
のどかな茶畑道です。
ここが突き当りです。ここを右折。
しばらく走ると県道86号線に出ます。美登里町交差点です。ここを左折。
ここからは県道を走ります。県道86号線、県道43号線と南下すると、磐田駅の東側に出ます。
JR磐田駅の南口です。磐田駅前は、加賀さんが第二期ジュビロ時代のおわり頃に暮らしていた場所です。
北口のエスカレーター前にも大きなジュビロのロゴがあります。
そして、2012年。加賀さんは磐田から東京に旅立っていきました。ぼくが加賀さんに出会う東京に向かって。
あらためて加賀さんは器の大きいひとだなあと思いました。札幌、東京、浦和を経験して、すっかり都会が似合うようになりましたけど、それでいて、茶畑にかこまれたのどかな磐田の風景に今の加賀さんの姿を重ねてみても、まったく違和感がありません。潟上の天王の澄んだ空気のなかに立って感じた想いを、今日また、磐田で思い出しました。
念願の磐田ルーツ旅はこれにておしまいです。今年のユニにサインをいただいてないので、次は大原かな。