Pochiのブチブチジャーニー

文字通り、Pochiが個人的な感想や意見をブチブチと語る。価値のあるものではないよ。

介護はホント大変だよ

2015-10-27 10:25:08 | Weblog
●内閣府が認知症対策の世論調査をしたようで、求める対策は施設充実と自宅療養がほぼ拮抗しているようだ。
pochiも母親が認知症になって4年間療養した。最後は要介護度4まで進行した。
 その間、当然ながら面倒を見るのはpochiひとり。サモエドも飼っていたのでその面倒も見なくてはならない。
 結構、ショートステイなども利用したし、最後は3か月ほど入院して死亡した。
当時の大体のスケジュールとして毎日10時ごろから迎えの車で近所のディサービスに行き、午後4時ごろ帰ってくる。
そして、月に1度くらいはショートステイに行くという具合だ。ヘルパーは頼んでいないが、生協の夕食の配送は利用していた。
月に一度、松沢病院に通院し、近所のクリニックにも通っていた。
 4年間のうち、最初のうちはオシメは必要としていなかったが、そのうちに必需品となり、ネットで見つけたユニ・チャームの
製品を段ボールで購入していた。これは要介護度が高くなるに従い、区から配布されるようになってきた。
 ショートステイにしろ、これはケアマネジャーの能力に左右されるのではと感じた。最初の人はショートステイを頼んでも
なかなか見つけられなかったが、後の人はスムーズに手配してくれた。このショートステイの施設にしても、ずいぶんと違いがあり、
区内で有名なY園の場合、2階、3階等の広い廊下の隅にちょっとしたソファなどがあり、ここで居住者らしき人たちが談笑している
のだ。こんな元気な奴は退所させて、もっと重度の人を受け入れてほしいと思った。そのあたりのことはケア○○の担当にも話したことがある。

●認知症の人を抱えて一番面倒なのは本人が十分理解していないことと理不尽な応対だ。なまじ、身内なだけに余計に腹が立つというわけだ。
例えば、ディサービスから帰ってきて、財布がないと騒いだことがある。財布なんか持って行ってないのにだ。この手の妄想は最悪だ。
 曾祖母もこの症状になり(当時はボケと言っていたようだが)嫁である祖母が着物だか帯だかを盗ったようなことを実の娘に訴えたらしい。
このときは実の娘が「あれはあたしがもらいました」と説明し解決したということだが、嫁である祖母にとってはつらい話である。
 これを解決するために母親はアリセプトの他にグラマリール、ビオフェルミン、後高血圧の薬と4種類ぐらいを服用していた。
グラマリールは古典的な精神安定剤、ビオフェルミンは整腸剤で便秘予報に飲んでいた。最初は下剤が処方されていたが、
これでは対応が面倒(便が柔らかくンることがあるので)なので整腸剤で無理なく快便というわけだ。おかげでそちらの心配はなくなった。

●このほかに、汚れたオシメなどをごみに出すのだが決められた曜日までは自宅に置いておかなければならないので、悩んだ挙句、アップリカで
出している汚物入れを購入した。これはトイレの片隅に置いていける大きさで汚物を入れておくと悪臭を抑えてくれるのだ。改良の余地はあると
思うが助かった。
 

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