“空気をつくったのは「遊泳禁止の札が立っているところに泳ぎにいったようなもの」などと、人質になった三人を批判した政府や与党内からの発言だった。戦争が生んだストリートチルドレンを支援するため、米軍による劣化ウラン弾の被害を確かめるため、というイラク入りの目的は意義を認められなかった”
今日付けの東京新聞の「筆洗」にこんなことが書いてあった。
これを見ていて、昨日のテレビタックルで中国人の大学教師が南京大虐殺の写真について、大要、こんなことを言っていた。「当時、中国で撮った写真はなかった。しかし、その写真をどう解釈するかは立場によって違う」と。アサヒグラフの写真につけられたキャプションについてこう語ったのだ。
これには感心したね。負けそうなジャイアンツ戦を中継している4チャンネルのアナウンサーでもここまでは言わないよ。
筆洗の記事もそうだけど、解釈によって全然違うということの証明のようなものだな。
今日付けの東京新聞の「筆洗」にこんなことが書いてあった。
これを見ていて、昨日のテレビタックルで中国人の大学教師が南京大虐殺の写真について、大要、こんなことを言っていた。「当時、中国で撮った写真はなかった。しかし、その写真をどう解釈するかは立場によって違う」と。アサヒグラフの写真につけられたキャプションについてこう語ったのだ。
これには感心したね。負けそうなジャイアンツ戦を中継している4チャンネルのアナウンサーでもここまでは言わないよ。
筆洗の記事もそうだけど、解釈によって全然違うということの証明のようなものだな。