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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

長崎市 ・ 長崎ランタンオブジェ 「 梅屋庄吉と孫文 」

2014-03-20 06:12:41 | 日記 ・ イベント



福建會舘天后堂の庭にある孫文 ( 左 ) と梅屋庄吉 ( 右 ) のランタンオブジェ








去年、中島川の上に飾られていた梅屋庄吉と孫文のランタンオブジェ







福建會舘天后堂の庭に建つ孫中山 ( 孫文 ) の立像





梅屋庄吉 ( うめや しょうきち ) 、
明治元年11月26日(1869年1月8日)- 昭和9年(1934年)11月23日)は、
日本の実業家。アジア主義者。孫文の支援者であり、日活の創業者のひとり。

長崎県生まれで、幼少期、土佐藩経営の土佐商会の家主でもあった
貿易商・梅屋家に養子入りする。
一時は米穀相場に失敗して中国へ退転したが、
写真術を学んで写真館を経営するなど、香港で貿易商として地位を築いた。

1895年(明治28年)に中国革命を企図した孫文と香港で知り合い、
多額の資金援助をし、辛亥革命の成就に寄与している。
1905年(明治38年)ごろに日本に帰国し、日活の前身であるM・パテー商会を設立。
映画事業に取り組んで白瀬矗の南極探検や辛亥革命の記録映画を製作し、
これらの事業で得た多額の資金を革命に投じている。

1913年(大正2年)に孫文が袁世凱に敗北し日本に亡命した後も、
1915年(大正4年)に孫文と宋慶齢との結婚披露宴を
東京・新宿(大久保百人町)の自邸で主催するなど、たびたび孫文への援助を続けた。
1929年(昭和4年)には南京に孫文像を寄贈している。
また、頭山満、犬養毅、山田純三郎、宮崎滔天らアジア主義者らと集い、
フィリピンの独立運動にも関与している。


そんな梅屋は1895年(明治28)香港で孫文と運命の出会いをはたし、
アジア各地を実見し西洋列強による武力支配に義憤を感じていた梅屋は、
西洋の武力支配から民族自立を目指す孫文と意気投合し、
生涯支援することを誓い、自らの事業で得た利益を孫文の活動資金として
惜しみなく提供する。


孫 文 ( そん ぶん、1866年11月12日 - 1925年3月12日 ) は、
中国の政治家・革命家。初代中華民国臨時大総統。
中国国民党総理。辛亥革命を起こし、「中国革命の父」、
中華人民共和国と中華民国では国父(国家の父)と呼ばれる。
また、中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」として
近年「国父」と呼ばれ、海峡両岸で尊敬される数少ない人物である。

中国では孫文よりも孫中山の名称が一般的であり、孫中山先生と呼ばれている。
1935年から1948年まで発行されていた法幣(不換紙幣)で肖像に採用されていた。
現在は100新台湾ドル紙幣に描かれるほどの人物である。



熊本県美里町  「 井竿橋( いざおばし )」

2014-03-20 06:11:41 | 熊本の石橋
































所在地 / 熊本県美里町甲佐平
架橋 / 不明
石工 / 不明
長さ / 8.0m
幅  / 2.12m  高さ / 3.5m


井芹橋は小規模ながらも見事なアーチを誇る橋で、
石組みに狂いがなく、姿も整然として美しい。
石橋の周囲は水田で、田んぼの中に佇む姿は架橋当時の姿を彷彿させる。


井芹橋へのアクセス
井芹橋へは、松橋インターより国道218号線から
321号線を甲佐岳方面に向かう。
白岩橋と同じルートで行けばいい。場所は白岩橋の登り口になる。
駐車は、路上駐車になる。



沖縄県国頭村 「 普久川 ( ふんがわ ) ダム 」

2014-03-20 06:09:41 | 沖縄













普久川ダムは、沖縄本島北部河川総合開発事業の一環として、
洪水調節、流水の正常な機能の維持、水道用水及び工業用水の供給を目的に、
普久川(流域面積17.0km2、流路延長7.0km)の安波川合流点から
約2.8km上流地点に建設した高さ41.5mの重力式コンクリートダムです。

本ダムは、福地ダム、新川ダム、安波ダム及び辺野喜ダムとともに
東系列5ダムを構成する多目的ダムです。

普久川ダムの調査は、本土復帰前の昭和45年度から
日本政府のバックアップのもとに、琉球政府により実施されました。

昭和46年度には実施計画調査の開始、
昭和47年5月の本土復帰以降は
沖縄総合事務局が事業を引継いで建設事業に着手しました。

昭和53年度より工事用道路の建設に着手し、
昭和54年12月本体基礎掘削を開始、
昭和55年11月に本体コンクリートの初打設を行い、昭和57年度に完成しました。

左岸駐車場にある茅ぶき屋根のトイレは、周辺の景観とマッチして風情があり、
休憩に立ち寄った人にたいへん喜ばれています。

下流にはタナガーグムイと呼ばれる幅約 50mの大きな滝壷があり、
その周辺の植物群落は国指定の特別天然記念物として保護されています。


ダム名 普久川(ふんがわ)ダム
ダム形式 重力式コンクリート
河川名/水系名 普久川/安波川水系
所在地 沖縄県国頭郡国頭村字安波小字原道原地先
位置 北緯26度44分29秒 東経128度16分46秒
着工年/完成年 1971年/1982年
用途 洪水調節、農地防災/不特定用水、河川維持用水/上水道用水/工業用水
堤高 41.5m
堤頂長 210.0m
堤体積 66,000立方m
流域面積 16.9平方km
湛水面積 31ha
総貯水量 3,050,000立方m
有効貯水量 2,550,000立方m