ハンモックの中でこれまでのブログを最初から見直し、その分類を試みた。そうすると、自分が何に目を向け、何に開かれていたのかが、おぼろげながら見えてくる。そのカテゴリを見ていると、興味の核のようなものがそこに見つかる。今まで気付かなかった、あるいは新たに開発されていた内なるアンテナに触れる思いがする。
私は何者か、と大上段に構えるのではなく、日々反応していたものを見直すことで、自分の中にあるもの、あったものが見えてくる。こういうもののとらえ方こそ、現象学的なのかもしれない。現象学については、ハイデッガーとフッサールを少しずつ読み始めているところで、確かなことは言えないが、、。確かなことは、これらの核を頼りにこれから少し掘り進んでみたいような気がしていることである。
そう言えば、サルトルの「嘔吐」に、ものの見え方を日々観察し、その時どんなに意味がないように見えても書き記せ、そしてそれを分類せよ (classer) という言葉があった。今回、このブログに溜まっていた獏としてものを分類することにより、はっきりと見えてきたものがいくつかある。classer の意味を体感できたような気がする。