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先日の Liguea 様のコメントが相当強烈だったようだ。それ以来、「現象学、フッサール、ハイデッガー、カンディンスキー」 が頭から離れない。お薦めいただいたハイデッガーの 「『ヒューマニズム』 について」 を読み始めたり、フッサールの 「デカルト的省察」 をぱらぱらとしたりしながら、時間を潰すこともある。その印象については、読み終わってからまとめてみたい。
今回、プリントアウトすると10ページほどになる Wikipédia のカンディンスキーを読んでみて、ものの見方や考え方が私に近いところがあるという印象を持つ。Liguea 様が私の拙いフランス語からそれを察し、注意を喚起してくれたことをありがたく感じている。
Wassily Kandinsky
Né à Moscou, 4 décembre 1866 du calendrier julien (16 décembre 1866 du calendrier grégorien) -
Mort à Neuilly-sur-Seine, 13 décembre 1944
ピカソ、マティスと並び20世紀の最も重要な芸術家とされるカンディンスキーは、抽象芸術のパイオニアである。"Première aquarelle abstraite" 「最初の抽象水彩画」 と題された1910年の作品が最初の抽象画とされてきたが、彼がその功を焦り、"Composition VII" (1913年) の下絵だったかもしれないこの絵を1910年作とした疑惑が持たれているという。
彼の人生をざーっと見てみたい。1866年にモスクワに生れたが、少年時代をオデッサ Odessa で過ごす。モスクワ大学では法学と経済学を学び、その道での成功も考えられたが、30歳で絵画の勉強を始める決意をする。
1896年、ミュンヘンに落ち着き、そこの美術アカデミー l’Académie des Beaux-Arts で学んだ後、1918年にロシア革命が終わるとモスクワに戻る。しかし当時の正統とされる芸術理論と意見が合わず、1921年にはドイツに戻り、バウハウスで教鞭をとる。1933年にナチにより閉鎖されたため、フランスに亡命。1939年にはフランスの国籍を取り、1944年に亡くなるまでフランスで過ごす。
彼の創造世界は、その中心に "la nécessité intérieure" (内的な欲求の発露、精神的な深いところにある美を求める渇望のようなものか) が置かれ、時間を経て成熟してきた思索の賜物である。その成熟過程は、便宜的に次の6期に分けられている。
Périodes artistiques
1 Jeunesse et inspirations (1866-1896)
2 Épanouissement artistique (1896-1911)
3 Les quatre bleu (1911-1914)
4 Retour en Russie (1914-1921)
5 Le Bauhaus (1922-1933)
6 La grande synthèse (1934-1944)
昨年、ロンドンでカンディンスキーを見た時には、その背後にある考えなど知る由もなかった。しかし最初に作品に触れ、そこから何らかの揺らぎを感じ取ったものについて、深入りするというやり方でよいのだろう。まず解説から入るのは、絵画に限らず、音楽や文学・哲学でも私には向いていないようだ。そのあたりが現象学的なのか。
これからぼちぼちと彼の足跡を辿ってみたい。
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2006-5-27 若き日のカンディンスキー KANDINSKY: JEUNESSE ET INSPIRATIONS
2006-5-28 カンディンスキー芸術の開花 EPANOUISSEMENT ARTISTIQUE