週末、テレビをつけると写真家木村伊兵衛の特集をやっていた。
木村伊兵衛 (1901年12月12日 - 1974年5月31日)
木村には 「コンタクト」 と題する何気ない日常を撮ったシリーズがあり、主にそれが取り上げられていたようだ。以前に秋田のシリーズをどこかで見た記憶がある。とにかくひとつの流れの中でフィルムに写 (移) している。ある一瞬に賭けるというのではなく。これは荒木が本の中で
語っていたこととも通じる。
私も最近感じていることがある。写真を撮り始めて1年ほど経つが、最初はとにかく美しいというよりは綺麗なもの、あるいはそう思われているものを撮ろうとしていた。そのうちに、それまで全く気付かなかったところに美しい形や色を持ったものがあることに気付き始める。それを写真にとり、眺めているうちに現実の見え方が変わってくる。写真に現れたものに影響を受けているのだ。それから、ある考えで写真を撮ったつもりが、後で見直すと全く違った雰囲気や思考が誘発されるということが意外に多いことに気付く。本当に何気ないものの中にも何かが見えてくることがある。それがわかった時、写真を撮るその時点の自分には余り拘らなくなった。
こういうところに考えが至ると、木村の 「コンタクト」 シリーズの意味が非常に身近に迫ってくる。去年の木村伊兵衛賞受賞者の
鷹野隆大は木村の写真を見せられて、「記録として意味がある、私も50年後のために撮っている」 というようなことを言っていた。そのエッセンスには全く同感である。ある時点をフィルムに留めることが最も重要なことで、あとは後の自分に任せる。これがどういうふうに見えてくるのか、という大きな楽しみが増えるのだ。そう考えるようになってから、写真の意味が変容し、自分にとって非常に大きな存在になりつつある。
メランコリックな眼をした
荒木がコメントしていた。
「木村の写真を見ると懐かしさを感じる。懐かしさを感じない写真は駄目だね。その写真家は人間をやってこなかったんだ。」
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(
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