7月22日(日)晴れ
金曜のことだ。
実家の母から、1日に朝昼夕方三回電話きた。
いよいよ父の介護がにっちもさっちというところまできている。
夜のトイレの回数が異常で、さらには目が見えないことに加えて認知症が進んでトイレの場所がわからなくなってきた。
ワタクシが介護帰省した6月には1時間おきくらいに起こされ、眉間に怒りマークが浮かんだが、今はもっとその間隔が狭まり、ほとんど寝られない状況だという。
かと言って、昼寝してるかというとそうでもない。
夜も昼も寝てないことになる。
このままでは共倒れになると、かかりつけの精神科に強い薬を処方してもらいに行っても、出せないとのこと。
しかし、そこの先生が「奥さんが大変だろうから、うちに入院させる?」
母曰く、「そこに入院させるってことはもう人間として終わるってことだと思う。」
とりあえず保留にしてもらい、一旦帰宅。
で、ワタクシに相談するわけだ。
兄は以前から入院させろと言っていた。
ワタクシは、まだ入院させるほどじゃないよと言い続けてきた。
それは、その頃はまだ父はトイレにもお風呂にも一人で行けてたし、会話も成立してケンカもできるという状態だったから。
だが、前回の帰省で、夜のトイレ介護(←ただ夜中何度も起きてトイレに案内するだけ。到着したら父は自分でズボンを下ろし排尿しまた衣服を整えることはする。)の大変さ、夜寝られないということのストレスに、甘かった自分を反省した。
反省して、もう少し頻繁に帰省して、母を手伝おう(←あくまでも手伝うというスタンス)と思った。
次は9月に帰る予定だ。
夜だけでもオムツしてくれればいいんだけどと母が嘆く。
ワタクシも、夜中に怒鳴った。
「おとーさんっっっ!夜だけでいいから、もうオムツにしてよっっ!
ていうか、オシッコが出る気がするだけで、実際は出てないんだよ。」
すると父が「そんな汚いことができるかっっっ!!!」
そんな話を、先日のルビー会ですると・・・
去年お母様を亡くされたTさんが「うちも、最後までオムツを嫌がったわ。
そんなに嫌なもんかしらと思って、自分でオムツ履いてみたのよ。
出ないものよ。どんなにそれにしてみようと思っても、出なかったわ、できないのよね。」
痴呆症も進み、いよいよ施設に入れて、ガンも発覚し、あっという間にオムツにさせられて、あっという間に亡くなった。
Tさん「オムツになったとたん『人生終わった』っていう感じだったわ。」
岡山に住む90歳超えのお父様を月に一度施設から連れ帰って一週間一緒に過ごすという生活を続けているMさんも
「帯状疱疹ができて、びっくりして聞いたら、どうやら施設で粗相して、オムツにさせられたストレスだったらしいの。
慌てて施設に連絡してオムツをやめてもらったの。」
うちの父の、夜のトイレの回数の多さを言うと、Mさんのお父様もそりゃもう夜中頻繁にトイレに行ってるらしい。
まあ、自分で行ければいいけどねえ。
今、父は週に三日、施設に行ってる。
これはすごい進歩だ。あれほど「なんで自分んちがあるのによそに行かなきゃいけないんだ!」と言ってた人がだ。
しかし、もう、それでも母の疲労感は癒せない。
逆に「ああ、今日帰ってくるのか」と金曜になると憂鬱になるという。
その気持ちもわかる。
なんとかあと1日増やしてもらうように頼んでみたら?
そして、じわじわと増やしていって、そのまま入所という形を取ろうよ。
環境的には、その施設が一番いいと思うよ。
普通いう「シモの世話」とは、オムツを替える事だと思う。
アカンボと違い、量や匂いやら、それはそれで大変だと思う。
介護にはいろんなパターンがあり、ついつい、大変さをランク付けしてしまう。
上を見たり下を見たり。(上だの下だのというのも変ですが)
徘徊されるよりはマシか。とかひどい痴呆症で「お金返せ!」なんて言われるとキレるわ〜。とか、ろくに介護してもないくせにね〜
1日のうちに3回も電話したきた母も、3回目には1回目に喋った同じことを言ったりして思わず「もう、それ聞いたよ!」と言いたくなる。
母も79歳だもの、しょうがないよね。
ツィッターでいろんな方が大絶賛されてリツイートしてるブログを読んだ。
こういう生き方をして、こういう死に方をされる人と、自分は何が違うのか。いやまだワタクシ死んでないけどさ。
絶対こういう死に方できない自信がある。
このおばあちゃんが、最後の最期まで、あたしの意識のあるうちは「シモの世話」だけはしないでねと懇願したという。
一人息子にも絶対させたくないと。
最後の最期まで自分でトイレに行くと。
排泄というのは、いろんな意味で人間にとって大事なことなのだな。
父のプライド、母の体力の限界、ワタクシの生活、兄の生活。どうしたものか、悩みは尽きない。
金曜のことだ。
実家の母から、1日に朝昼夕方三回電話きた。
いよいよ父の介護がにっちもさっちというところまできている。
夜のトイレの回数が異常で、さらには目が見えないことに加えて認知症が進んでトイレの場所がわからなくなってきた。
ワタクシが介護帰省した6月には1時間おきくらいに起こされ、眉間に怒りマークが浮かんだが、今はもっとその間隔が狭まり、ほとんど寝られない状況だという。
かと言って、昼寝してるかというとそうでもない。
夜も昼も寝てないことになる。
このままでは共倒れになると、かかりつけの精神科に強い薬を処方してもらいに行っても、出せないとのこと。
しかし、そこの先生が「奥さんが大変だろうから、うちに入院させる?」
母曰く、「そこに入院させるってことはもう人間として終わるってことだと思う。」
とりあえず保留にしてもらい、一旦帰宅。
で、ワタクシに相談するわけだ。
兄は以前から入院させろと言っていた。
ワタクシは、まだ入院させるほどじゃないよと言い続けてきた。
それは、その頃はまだ父はトイレにもお風呂にも一人で行けてたし、会話も成立してケンカもできるという状態だったから。
だが、前回の帰省で、夜のトイレ介護(←ただ夜中何度も起きてトイレに案内するだけ。到着したら父は自分でズボンを下ろし排尿しまた衣服を整えることはする。)の大変さ、夜寝られないということのストレスに、甘かった自分を反省した。
反省して、もう少し頻繁に帰省して、母を手伝おう(←あくまでも手伝うというスタンス)と思った。
次は9月に帰る予定だ。
夜だけでもオムツしてくれればいいんだけどと母が嘆く。
ワタクシも、夜中に怒鳴った。
「おとーさんっっっ!夜だけでいいから、もうオムツにしてよっっ!
ていうか、オシッコが出る気がするだけで、実際は出てないんだよ。」
すると父が「そんな汚いことができるかっっっ!!!」
そんな話を、先日のルビー会ですると・・・
去年お母様を亡くされたTさんが「うちも、最後までオムツを嫌がったわ。
そんなに嫌なもんかしらと思って、自分でオムツ履いてみたのよ。
出ないものよ。どんなにそれにしてみようと思っても、出なかったわ、できないのよね。」
痴呆症も進み、いよいよ施設に入れて、ガンも発覚し、あっという間にオムツにさせられて、あっという間に亡くなった。
Tさん「オムツになったとたん『人生終わった』っていう感じだったわ。」
岡山に住む90歳超えのお父様を月に一度施設から連れ帰って一週間一緒に過ごすという生活を続けているMさんも
「帯状疱疹ができて、びっくりして聞いたら、どうやら施設で粗相して、オムツにさせられたストレスだったらしいの。
慌てて施設に連絡してオムツをやめてもらったの。」
うちの父の、夜のトイレの回数の多さを言うと、Mさんのお父様もそりゃもう夜中頻繁にトイレに行ってるらしい。
まあ、自分で行ければいいけどねえ。
今、父は週に三日、施設に行ってる。
これはすごい進歩だ。あれほど「なんで自分んちがあるのによそに行かなきゃいけないんだ!」と言ってた人がだ。
しかし、もう、それでも母の疲労感は癒せない。
逆に「ああ、今日帰ってくるのか」と金曜になると憂鬱になるという。
その気持ちもわかる。
なんとかあと1日増やしてもらうように頼んでみたら?
そして、じわじわと増やしていって、そのまま入所という形を取ろうよ。
環境的には、その施設が一番いいと思うよ。
普通いう「シモの世話」とは、オムツを替える事だと思う。
アカンボと違い、量や匂いやら、それはそれで大変だと思う。
介護にはいろんなパターンがあり、ついつい、大変さをランク付けしてしまう。
上を見たり下を見たり。(上だの下だのというのも変ですが)
徘徊されるよりはマシか。とかひどい痴呆症で「お金返せ!」なんて言われるとキレるわ〜。とか、ろくに介護してもないくせにね〜
1日のうちに3回も電話したきた母も、3回目には1回目に喋った同じことを言ったりして思わず「もう、それ聞いたよ!」と言いたくなる。
母も79歳だもの、しょうがないよね。
ツィッターでいろんな方が大絶賛されてリツイートしてるブログを読んだ。
こういう生き方をして、こういう死に方をされる人と、自分は何が違うのか。いやまだワタクシ死んでないけどさ。
絶対こういう死に方できない自信がある。
このおばあちゃんが、最後の最期まで、あたしの意識のあるうちは「シモの世話」だけはしないでねと懇願したという。
一人息子にも絶対させたくないと。
最後の最期まで自分でトイレに行くと。
排泄というのは、いろんな意味で人間にとって大事なことなのだな。
父のプライド、母の体力の限界、ワタクシの生活、兄の生活。どうしたものか、悩みは尽きない。
やってもやっても結局最後にはあの時もうちょっととか
充分やり尽くした。って思える人はなかなかいないと思う。
ある程度お互いの楽な方法を見つけて割り切らないと、と思うけどソコが一番難しいね。
毎日暑いね~。熱中症に気をつけて疲れをためないようにね。ストレスも♪
母も、悩んでるんだろうなあ〜
父も、もうそれほど意識がしっかりしていられる時期は長くないなあと冷静に考える自分と、
それを冷たいなあと蔑む自分といて、近くに住んでるくせに仕事に逃げてる兄に腹を立てたり。
同罪のくせにね〜
暑いですよぉ〜東京も。
それなのに、今日は遅刻しそうだったのでバスを諦め、自転車を40分漕いでしまいました。死ななくてよかった。