パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

幸せについて

2023年07月27日 | 本・マンガ・テレビ・映画
7月25日(火)晴れ

凪良ゆう著「汝、星のごとく」を読み始めた。
読み始めて数ページで「うっ!」となる。この世には幸せな家庭はないのかと。
そして、無いとは言わないが、少ない事は確かだと思う。
凪良ゆう氏の著作は「流浪の月」や「わたしの美しい庭」「滅びの前のシャングリラ」等、数冊読んで、とても好きな作家さんの一人になった。
彼女が一貫して「「どこまでも世間と相いれない人たち」を書いてきたという通り、なかなかな人生だらけで胸が苦しくなる。
そして今回もまた、プロローグ読んだだけで辛さがこみ上げる。
思わず一度本を閉じて、最近のニュースを思い出す。
不幸な事件ばかりだ。
首斬り殺人の犯人が、娘とその両親って、どういう事?
子供を殺したのが親族一同ってのも悲惨過ぎる。
そしてその発端が祖母からの虐待の連鎖にあるようで、この祖母には全くもって同情はしない。
余談だが、この祖母はワタクシより年下で、ゆえにニュースで祖母祖母聞こえたり、発見者の『おばあちゃんが・・・』との証言を聞きながら、57歳はもう立派なおばあちゃんなんだなあと。
この事件は親族によるもので、殺された男の子を中心に呼称が決まったのかもしれないが、どうにも分かりづらい気がしてならない。
容疑者達を中心にした方がわかりやすくないか?

先日も従姉のKemiちゃんとおしゃべりしていて、「人生色々あるようねえ」という話に。
子供の引きこもりの話、家族の鬱の話、夫婦仲最悪の話等々、いや、別に「人の不幸は蜜の味」というほど悪趣味ではない。
ただただこの世には何の問題もなく幸せに暮らしている家庭はないのでは?という話。
そして、そういう時に救いになるのが「岸田奈美さん」の家庭である。
色々なトラブルを抱えながらも、立ち向かう。諦めない。笑いに変える。そういう努力をしている。
そして、市井の我らもまた、様々なトラブルにぶち当たりながら、あっぷあっぷしながら、そのトラブルを解決すべく悪戦苦闘しているのだ。
それが人生なのだと、この歳になって思う。

今読んでいる「汝、星のごとく」の主人公暁海が高校生の時、父が不倫相手のところへ去り、母は鬱を発症。
暁海は母を見捨てられず母の世話をしながら生きている。
何年経っても母は離婚に同意しない。
ワタクシが、これは辛いだろうと思ったのが、この不倫相手の瞳子さんが、母より年上で美人でないところ。
大抵の浮気は若い女に走る。綺麗な女に走るものだろう。
それなのに父は、妻より年上で、綺麗でもない瞳子さんを選んだ。
そして、暁海もまた母に隠れて瞳子さんから刺繍を習っている。
瞳子さんは刺繍教室をやっていて、経済的にも自立した女なのだ。
これはきつい。
母は、自分の人間性を否定されたような気がするのではなかろうか。
だからもう、前を向けず、過去を捨てきれず、1歩を踏み出せないのではないか。
こういう話になるとついつい我が身を振り返り、ちょっとだけ過去を思い出して苦い気持ちになったりするが、でも、ワタクシはあの辛かった時期になんとか踏ん張って、娘と周りの人達に助けられながら生きてきた。
みんなに感謝もするし、自分の事も褒めてあげる。

さあ、また続きを読むことにしよう。
なんだかとっ散らかった日記だし、「幸せ」の基準なんて人の数だけあるものなんだから簡単に言い表せないことは重々承知。
ただ、幸せになりたいという気持ちを持ち続けないと想像力が欠如して、事件性のものに発展してしまったり、病んでしまったりすると思う。
今朝のワタクシは、幸せだ。良かった良かった。

今日の一枚は・・・
梅をいただくHさんからのご依頼を受けて作った籠。
Hさんのお姉さまに差し上げるとの事で、落ち着いたグリーンを選んでみた。
コメント (2)
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