パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

写真

2008年06月24日 | 本・マンガ・テレビ・映画
6月24日(火)晴れ
昨日の朝日新聞「天声人語」
「世界報道写真展」についての記事。
「世界は不幸に満ちている」という思いに胸が痛んだ、とある。
「不幸」にレンズを向けるカメラマンと、不幸にもその被写体に選ばれてしまった人。
以前にも、飢餓のアフリカで、ハゲタカに狙われた少女の写真を撮ったカメラマンが
「写真より、まず助けるべきだろ!」と非難を浴びたことを思い出す。
写真家の長倉洋海さんという方の話もある。
衰弱した少年にカメラを向けると、少年は、あばら骨の浮き出た胸をみせまいと、
何度も身体をよじり、彼はどうしてもシャッターを押すことができなかったという。
先日の、秋葉原の事件の時、
犯人が額から血を流し、警官に取り押さえられた無様な写真がテレビで流れた。
カメラ付き携帯電話の普及で、今後、こういう、タイムリーというのか、
ライブな写真は増えるだろうなと思った。
この無様な写真を見て、第二の事件を起こそうかと考えていたアホが
思いとどまれば、それはそれで、価値ある一枚だと思った。
あの日のアキバに偶然居合わせ、救助活動に協力したお医者さんというのがテレビに出ていた。
彼は、犯人に対して、ものすごく怒り、たくさんの命を救えなかったことを悔いていた。
さらに彼を憤らせたのが、あの日偶然居合わせた人々のなかに、
携帯でパシャパシャ写真を撮ったり、携帯で友人らに実況放送のようにしゃべっていた輩がいたことであった。
ハンカチの一枚でも、差し出してくれたら、助かった命があったかもしれない、
そんな状況下で、平気で惨状を写真に撮る神経。
そして、その写真は、あっという間にネット上に流れたという。
ロープを張られた向こう側で、顔にモザイクをかけられたヤジ馬たちが、
携帯を惨事に向けている映像が映る。
世界報道写真展の、今年の大賞は、アフガニスタンでの一枚。
壕で休む一人の若い米兵。
写すという行為の奥深さと、伝えることの意味を語りかけるような展示の空間だと
作者はまとめている。
写真を撮るということが、身近で手軽になった今、
ガツンと胸に響いたコラムであった。

コメント
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