作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 明治王政復古と公卿たち (歴史エッセイ 77) 】

2008-07-19 15:51:43 | 05 歴史エッセイ

王政復古とは、武家に任せていた政治主権を、本来あるべき
天皇親政に戻そうという意味である。

さぞかし藤原の流れを引く公卿どもや、女官たちが姦しく天皇の
周りに集まって、勝手気ままを言ったと思いがちだが、これが
意外とそうじゃなく、三条実美と岩倉具視ぐらいしか、政府の
中枢に出てこなかった。特に五摂家はすべて、おとなしくしていた。

三条実美は、早くから長州藩に担がれ、例の七卿落ちの筆頭に
挙げられる人物。新政府の首班の地位を占めたが、たぶんに
看板に据えられただけと思う。家柄は清華家の一で、太政大臣に
になる資格はあった。

これに対し、岩倉具視の家格は低い。策士の感が強く、嫌な男
である。孝明天皇は徳川家茂と仲が良く、松平容保も信頼されて
いた。岩倉は当初は公武合体派で、勤皇の志士たちから奸物と
して、命を狙われていた。

孝明天皇が存命である限り、討幕は難しいと思われていた。
天皇は急死する。毒殺説がもっぱらで、その犯人は岩倉と世間
は思った。ボクもその説に加担する。

西郷・大久保に接近することで、過激派に鞍替えした。鳥羽伏見の
戦いに、錦の御旗のアイデアを出したのも岩倉だと言われている。

最後には西郷を見切り、大久保を支えた。岩倉使節団を率いた
ことで、初志貫徹の成り上がりを果たした。

余談になるが、カン告知を初めて受けた日本人でもある。

下級公卿の活躍をよそに、近衛、鷹司、九条、一条、二条は
政権中枢から遠ざかり、近衛が首相になったのは、昭和軍閥が
天皇の命にも服さぬまで増長した時期であった。

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