ただ今NHKの大河ドラマが進行中の、
後白河天皇が、崇徳上皇と対立する保元の乱だが、
ボクは小学校の三年生の頃から、病弱で遊ぶ友達がなく、
毎日のように、学校から図書館に通い、歴史本を借りて
読みふけっていた。
親切な司書のオジサンがいて、ボクの席まで来ては、
難しそうな箇所を教えてくれていた。
平家が清盛の下にまとまって、天皇側に就いたのに対し、
現時は為義が一族を率いて、上皇側に就く。
為義の長男義朝だけが天皇方に奔り、結果は天皇方の
夜討ちが成功して勝利する。
乱の後の処理で、義朝は父為義をも斬首するが、
八幡太郎義家の系譜は保たれた。
すなわち、源氏を保ったから、保源なんだと、小四のボクは
思いこんでいた。
僅か三年の後に、平治の乱が起きる。
為義に殉じた、義朝の弟たちはみんな居ない。
せめて末弟の、鎮西八郎為朝だけでも、健在だったら、
平治の乱で、源氏の大敗は免れたと思えてならない。
平治の乱は、まさに平家が勝利して、天下を治めるための乱であった。
源氏の血は、同類相打つ、困った血である。
義朝の長男で、悪源太として知られた義平は、叔父の義賢を殺す。
義賢の遺児が、木曽に逃れて、いち早く打倒平家に立ち上がった
あの木曽義仲である。
その義仲を、頼朝は弟の範頼に軍を預け征討を命じるが、範頼は弱い。
そこで颯爽と登場するのが、源九郎義経である。
義経は従兄弟に当たる、木曽義仲を討伐する。
鎌倉には義仲の子、大助が人質として送られていたが、頼朝は幼い大助をも
容赦なく殺してしまう。
この辺り、源氏の系統は、同類相打つ困った争いを優先する。
範頼が手をやいた平家追討は、どうにも進行しない。
結局は義経の、神業とも思える奇策の連続で、平家は壇ノ浦で滅びる。
狡兎死して走狗煮らると、漢書にある。
頼朝は末弟の義経の京での人気に、大いに男のジェラシーを燃やす。
戦の最大の功労者が、吉野山から安宅の関を通り、平泉の藤原氏を頼っての
長い逃亡の旅にの末に、自刃の道をとらされる。
結果は鬼嫁政子の実家、北条氏の天下を呼び、頼朝の系譜は頼家・実朝の
二人の子が、相次いで殺され、ここに源氏嫡流は絶える。
すべては、義朝にはじまる源氏の同士討ちの結果である。
源氏を継いだと称した足利氏も、尊氏が弟の直氏を殺すし、
こちらは源氏の系譜を騙った徳川も、家光が弟忠長に対する子ども時代の
ジェラシーに耐えられず、死に追いやるのである。
まあ、徳川が源氏の別流新田氏の血を引くというのは、まったくの騙りである。
よくも十五代も持ったものだ。
明治維新まで続いた源氏の系統は、常陸から秋田に移封された佐竹氏だけである。
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