作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

歴史・エッセイ・小説・時事ニュース・・・なんでもござれのブログです。どうぞよろしく。

【 日本企業は頑張っているのに 】

2012-05-31 18:44:40 | 02 華麗な生活

やれ中国市場が、やれアメリカの景気が、それ欧州でと
日本に直接関係の無い事で、日本の一流企業の株価が
下がり、政府も日銀も何も打つ手をもたない。

これは矢張り政府と日銀が弱いからだとしか思えない。
世界のリーダーで誉めそやされる人には情熱がある。

谷垣が情熱溢れる人とは思えないし、野田どじょうは、
所詮蒲焼にしても美味くはなさそうで、柳川鍋が気持ち悪い
ボクには、食える対象ですらない。

世界で通用する政治家で、若さと情熱を感じさせる人物と
なると、はやり安倍晋三氏の名前しか出て来ない。
安倍新総理に代わって、世界に向って、言われなき日本の
株安や、不当な円高には、断固たる措置を取ると宣言すれば、
世界が注目するだろう。

世界は日本の新聞が書く以上に、日本の事を良く知っている。
民主党が口先だけの、言うだけ政党だったって事も、百も承知だ。

野田も小沢も、少しは日本人としての意識は残っているだろう。
日本の為だ。早く身を引け。それとも菅をも凌ぐ国賊として後世に
名を残したいか。
谷垣だって同類だ。親分が加藤紘一だってことが不幸だった。


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【 民主の分裂を待つだけの自民執行部 】

2012-05-31 17:33:53 | 02 華麗な生活

何もしないで、やった、やったと言い張る野田も
困ったヤツだが、民主の分裂を期待して待つだけに見える
自民党執行部も、九月を待つことなく、新総裁を立てて欲しい。

安倍晋三の返り咲きを期待する。
何よりも日本国への愛国心が強い。
愛国心イコール戦争好きと言うバカモンはもう居ないだろう。

安倍晋三を核に、人材を結集したら、本当の意味での本格内閣が
再び出現する。ミンスがさんざん荒らしまわった後始末はタイヘン
だろうが、親小沢、反小沢を問わず、民主に党籍を置いた者の中に
経済成長と行政改革を実行できる者は居ない。

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【 保元の乱は保源の乱(歴史エッセイ113) 】

2012-05-31 13:14:00 | 05 歴史エッセイ

ただ今NHKの大河ドラマが進行中の、
後白河天皇が、崇徳上皇と対立する保元の乱だが、
ボクは小学校の三年生の頃から、病弱で遊ぶ友達がなく、
毎日のように、学校から図書館に通い、歴史本を借りて
読みふけっていた。

親切な司書のオジサンがいて、ボクの席まで来ては、
難しそうな箇所を教えてくれていた。

平家が清盛の下にまとまって、天皇側に就いたのに対し、
現時は為義が一族を率いて、上皇側に就く。
為義の長男義朝だけが天皇方に奔り、結果は天皇方の
夜討ちが成功して勝利する。

乱の後の処理で、義朝は父為義をも斬首するが、
八幡太郎義家の系譜は保たれた。
すなわち、源氏を保ったから、保源なんだと、小四のボクは
思いこんでいた。

僅か三年の後に、平治の乱が起きる。
為義に殉じた、義朝の弟たちはみんな居ない。
せめて末弟の、鎮西八郎為朝だけでも、健在だったら、
平治の乱で、源氏の大敗は免れたと思えてならない。

平治の乱は、まさに平家が勝利して、天下を治めるための乱であった。

源氏の血は、同類相打つ、困った血である。
義朝の長男で、悪源太として知られた義平は、叔父の義賢を殺す。
義賢の遺児が、木曽に逃れて、いち早く打倒平家に立ち上がった
あの木曽義仲である。

その義仲を、頼朝は弟の範頼に軍を預け征討を命じるが、範頼は弱い。
そこで颯爽と登場するのが、源九郎義経である。
義経は従兄弟に当たる、木曽義仲を討伐する。

鎌倉には義仲の子、大助が人質として送られていたが、頼朝は幼い大助をも
容赦なく殺してしまう。

この辺り、源氏の系統は、同類相打つ困った争いを優先する。

範頼が手をやいた平家追討は、どうにも進行しない。
結局は義経の、神業とも思える奇策の連続で、平家は壇ノ浦で滅びる。

狡兎死して走狗煮らると、漢書にある。
頼朝は末弟の義経の京での人気に、大いに男のジェラシーを燃やす。
戦の最大の功労者が、吉野山から安宅の関を通り、平泉の藤原氏を頼っての
長い逃亡の旅にの末に、自刃の道をとらされる。

結果は鬼嫁政子の実家、北条氏の天下を呼び、頼朝の系譜は頼家・実朝の
二人の子が、相次いで殺され、ここに源氏嫡流は絶える。

すべては、義朝にはじまる源氏の同士討ちの結果である。

源氏を継いだと称した足利氏も、尊氏が弟の直氏を殺すし、
こちらは源氏の系譜を騙った徳川も、家光が弟忠長に対する子ども時代の
ジェラシーに耐えられず、死に追いやるのである。

まあ、徳川が源氏の別流新田氏の血を引くというのは、まったくの騙りである。
よくも十五代も持ったものだ。

明治維新まで続いた源氏の系統は、常陸から秋田に移封された佐竹氏だけである。

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【 野田佳彦に聞きたい 】

2012-05-31 09:59:10 | 02 華麗な生活

関西広域連合から、一定の理解を得たというが、
一人の関西人として、関西の知事たちで、細野の説明に
賛同すると明言したのは、和歌山県知事だけだ。

他の知事たちは、一定どころか、賛同できないと言った筈。
橋下大阪市長は、暫定的な安全基準と受け止めてよいかと
聞き直してもいる。

まだ出来てもいない、原子力規制庁に代わり、細野の下にいる
副大臣や政務官を大飯に常駐させるとも言う。

関電の現場と、そりが合わず、何ごとも抗争になること請け合いだ。

野田は頑固な男だ。大飯の再稼動は、もうとっくに決めている。


放射能漏れで、故郷を追われる、第二の県民は福井県民と決まった
ように思えてならない。

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【 小沢一郎は不思議な人間 】

2012-05-31 09:42:42 | 02 華麗な生活

昨夜午後七時のNHKニュースに小沢が登場。
約20分にわたり、己の心情を述べた。
こんな時に小沢は、まさに借りてきた猫状態で、
実におとなしい。極めて静に淡々と、分かりやすい
言葉で、三年前の選挙公約時と同じことを述べる。

役者である。国民生活を第一に、増税はしないと、
国民に訴えて、国民にその政策が支持されて政権を
与えられた。
党議というなら、あの選挙の時の公約だって、党議であった。

正論である。
思い起こせば、一昨年の九月。民主党の代表戦で、
連日テレビ各局は、民主党代表戦ばかりを流していた。
菅がヒステリックに叫ぶのを、横目に小沢は淡々と訴えていた。

同じ人間が、いったん権力を握ると、まさに豹変するから不思議だ。
一介の党員であるからには、代表から呼ばれたら、
何時でも何処へでも参上すると、実に温和である。

党から政調会をなくし、幹事長室に権限を集中させ、鳩山首相の
呼び出しにも応じず、いざ行くとなると14名の副幹事長を引き連れて
まるで親分が子分どもを従えての殴りこみかとの、当時の映像を
お忘れだろうか。

同じ人間が、出る時と場所に応じて、違った人間を演じきる。
小沢は名優かもしれない。

野田のは、ドサ廻りの旅役者。不退転、一期一会、乾坤一擲と、
覚えた漢語をみんな使い果たした。
今度は、若乃花に倣って、不惜身命とでも言うのであろうか。

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【 関西空港に福の神現れる 】

2012-05-30 18:04:08 | 04 時事ニュース

アメリカの物流会社フェデックスである。
極東にハブとなる基地空港を、物色中であったが、
他の候補、香港・仁川を斥けて、関空が選ばれた。

民間では世界最大となる、656機の航空機を持つ会社だ。
この会社は、アーカンソン州出身の、フレッド・スミスが設立した。
海兵隊員の体験があるそうだから、おそらくは貧しい農家の息子
であろうと思う。海兵隊に応募して、奨学金を得たものと想像する。

大阪府や兵庫県の漁協に保証金をバラ捲くために、あの地を選んだ
としか思えぬ、海中に土砂を大量投棄して作った人工島空港は、
初代社長が、平松という悪人を絵に書いたような、根性の悪さが
顔に出た代表的なワルで、最後は予想した通り、収賄がバレて逮捕
されるなど、経営人に恵まれず、後から出来た仁川空港に大きく
差を付けられて、累積赤字に苦しむ空港である。

ボクの部屋から、望遠鏡で覗けば、航空機の離・発着が見える。
世界各国のLCC乗り入れで、少しは空港らしくなったところだ。
フレッド・スミス氏に、関係者は足を向けて寝られない。

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【 予期した通りの野田・小沢決裂 】

2012-05-30 17:35:09 | 02 華麗な生活

両人には問題が有りすぎて、早く政界から去って欲しいと
思っているから、決裂と聞いても、特に感想はない。

問題なのは、輿石みたいなワルが、これも小沢の差し金だろうが、
政権与党の幹事長に収まり、ふざけた記者会見に応じている事。

野田は、いろんな言葉を並べてきたが、不退転の覚悟で臨んだ
小沢との話合いだから、一期一会、乾坤一擲、みんな果たした以上、
己の無能を悟って、千葉県議に戻れ。

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【 二度目の駐在先はウイーンだった 】

2012-05-29 19:02:08 | 02 華麗な生活

1976年になって、当時はソ連圏であった東ヨーロッパを
統括する仕事を命じられ、ウイーンに駐在した。

「音楽と森の都ウイーンか、いいなあ」と羨まれたが、
その実態たるや、毎週二回は東欧の何処かに出かける
激務であった。例えばベオグラードからワルシャワに飛ぶ
こともある。三年弱の間に92回も東欧州に出張した者は
そうは居ないと思う。

ウイーンにも日本人会があり、主な企業の支配人クラスが
日本人会の理事に任命されて、何かと行事を司る決まりが
あった。
二ヶ月に一度、大使館と企業の親睦と連絡を兼ねた昼食会が
開かれる。東レや帝人など、ボクには内地時代からの顔見知り
が何人か居った。

「キミにピッタシの役を割り当てておいた」と言われ、何だと聞けば
ウイーンの森にある、ブドウ農家が経営するワイン酒場での
飲み会の幹事だと言う。「どうだピッタシだろう」

ウイーンの森として知られるのは、森といっても丘みたいな場所で
その丘みたいな小山の山麓は、ブドウ畑で占められている。
何十軒もあるホイリゲ(ブドウ農家が開いているワイン酒場。中には
ちょっとした料理も出す)を、下見と称して何軒か見て廻り、ついでに
飲んでもみて、会場を決めた。

当日は内地からの出張者も動員して、いちはやく会場に繰り出したの
だったが、会費を集めたり、注文を出したりといった、幹事の仕事らしい
事はすべて日本人会の女子事務員がやってしまう。

「オレは幹事なのに、何もすることがない」とボヤいていたら、ワルの仲間
がやって来て言うのだ。「オイ幹事、何やってんだ。早く奥の方のお偉方の
辺りに行って、真っ先に酔っ払って場を盛り上げる、幹事の役目をやらんか」

そうだったのかとナットクして、会場の奥のテーブルに居られた、大使ご夫妻
や、IAEAの日本代表、大学関係の交換留学で見えている教授たちが居並ぶ
テーブルに行って、右手に白、左手に赤のグラスじゃなくてジョッキを持って、
「幹事さん、ご苦労さん」と言われながら、「白飲んで、赤飲んで、赤飲まないで
白飲んで」といった調子で、ホイリゲのジョッキは1リッターは入るから、忽ち
かなりのリッターが入って、気が付い時には、お偉方は皆さんお帰りに。

ホイリゲのワインは、その年の新酒で酒の質はあまり良くないから、下手に
飲みすぎるとアタマに来る、なんて忠告は事前には誰もしちゃくれていない。

頭がガンガンするだけじゃなく、腰が抜けたというか、両の足が立たない。
当時のウイーンは、道端にクルマを置いても咎められることがなかったから、
石を積み上げた塀にそって、伝い歩きの末に、ボクのクルマの場所に行ったら
見知らぬ顔の日本人女性が4人乗っている。

どうやら幹事の仕事に着く前に、目だった女の子を、あれこれと物色し、
子分どもに命じて、会場から歩いてでも行けるボク用に、会社が借りた広い
ベランダ付きのマンションで二次会の約束があったらしい。
誰がって、ボクがそう手配を命じていたらしい。

実は後二台のクルマにも、子分どもと物色した女の子らが、乗って待って
いたとは後日聞いたハナシ。

この時のボクは42歳だったが、見てくれも自意識も、悠に三十歳代半ば。
まだ青春期真っ盛りだった。

何でも、途中で花売りが来て、片端から花を買っては、恭しいウイーン王朝風
の片膝着いた姿勢で、居並ぶ大使夫人以下の令夫人たちに花を献じたんだと。
いち早く酔っ払ったボクに、そんな記憶は残っちゃいない。


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【 「オレは原子力に強いんだ!」の実態が明らかに 】

2012-05-29 14:36:23 | 02 華麗な生活

3・11から一年二ヶ月が経って、漸く国会に原発事故調査委員会が
開かれた。

菅の証言は、自己弁護に終始したと言ってよく、東京電力や経産省に
責任を転嫁する面が目立った。

当時の側近で傍に居た、海江田や枝野も、今になって菅の存在自体が
邪魔であったと証言している。

特に東電から派遣されて官邸にいたとされる、武黒フェローを名指しで
不快感の対象に上げている。

菅の私的なつながりで、官邸に参与として入れた学者たちが、いかに
傲慢に振る舞ったかも、よく分かる。

あの事故の時点で、官邸は素人が集うだけの、危機管理の能力なき
組織に過ぎなかったことが鮮明になった。

福島県の、特に自宅を捨てて、避難を迫られた人々の、艱難と辛苦を
慮る言葉が無い。

こんな時に、浪江町で大きなスーパーを経営していた男性が、自宅の
傍で自殺している姿が発見された。絶望の気持ちは分かるが、残される
遺族の心境を考えれば、自分だけが安易な道を選んだと、非難されても
仕方がない。奥さんの立場が無いじゃないか。


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【 阪神の打線組み換え 】

2012-05-28 18:22:57 | 02 華麗な生活

マートンの打撃がやっと本物になってきて、昨日の西武戦で
今期初の四番に入った。

四番金本にこだわり続けたが、年令も怪我の後遺症もあるから
本人だって、手ごたえを感じる打球が、フェンスの前でお辞儀を
する現実は辛かろう。

桧山がライト五番で、先発出場したが、これも何年ぶりの事か。

新井がチャンスをゲッツーで潰すのは、毎度のことと呆れる。
誰か新井に言い聞かせ、ツーストライクと追い込まれたら、下手に
バットを当てに行かず、コースと球種を絞って、振り回して来いと、
指示を出したら、偶にはホームランが望めるのじゃなかろうか。

ブラゼルに6号ホームランが出たが、あいつには、兎に角ボール球
に手を出すなと厳命するしかない。
元々が低目の球が好きだが、明らかなフォークやスライダーを、
簡単に打ちにいって、カウントを悪くする。見ていて腹立たしい。

新井は特別キャンプでもやらせて、当分打線から外した方が良い。

関本が満塁で死球を受けて、ヒーローインタビューを受けていたが、
今期の関本は、今までのような選球眼が無いだけに、あれは貰った
得点だった。

しかし若手の中の柴田は、走塁ミスが多い。大和と浅井で外野はOK.
むしろ林をもっと使おう。

しかし能見は、打線の不甲斐なさに腐ることなく、良くぞ完投で勝利した。
能見に限らず、阪神の先発投手陣は、辛抱強くないと勤まらない。

巨人がやけに好調だが、あれだけの金権補充をしたのだから、当然か。
まだ2ゲーム差を付けている中日が立派だ。


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【 ジュネーブの名高いソムリエ 】

2012-05-28 09:47:35 | 02 華麗な生活

せっかく前もって赤のワインの栓を抜き、
室温と合わせて(それをマリッジという)出してくれた、
超一流のラストランで、さぞかし高名なソムリエを、
ギャルソンと呼び付け、このワイン冷えが足りないと、
文句をつけた日本人を見て、さぞかしこの田舎者がと
思ったであろうに、早々に降参したから、
なぜ白ワイン用のグラスは足が長いのかとか、
赤は短い理由とか、パーティでは、グラスは左手で持つ
とかいった、基本常識を教えてくれた、そのソムリエの
名前を覚えていない。

1960代の商社マンたって、そんなものであった。
数年後に、天皇誕生日なんかで開かれる、日本大使館
での、各国の大使や通商代表を招くパーティなどで、
マナーに叶ったグラスの持ち方をしている者は、
ボク以外に居なかったことで、それが証明された。

流石に大使館員は全員が、マナー通りに、
白ワインの長い足の部分を、それも左手で持っていた。
なぜ左手で持つか。いつ誰に紹介されて握手をしなければ
ならないか。グラスを右手で持っていたら、慌てて濡れた
右手をハンカチで拭わないといけない。
握手の寸前に、手をハンカチで拭くこと自体が、
マナーを欠く行為なのだ。

実はハンブルグ支店に駐在が決まった時、
当時取締役の一人で、初代ハンブルグ支店長を務められた、
大宮さんという海外統轄部長さんから、電話が掛かってきた
ことがあった。

「お前もどうせ、洋食のマナーなんか知らんだろう。
教えてやるから出て来い」
出発まで幾日もない慌しい中を、洋食の食べ方を習うためだけに
東京に行った。
会社のすぐ傍にあったパレスホテルのグリルに連れられて行った。
ここには昼食のカレーライスを食べになら、何度か来たことがある。

「いいか、魚介類には白ワイン。肉が出たら赤ワインだ」
確かにそう習いはしたが、「今日は魚で良かろう」と、
その日の食事に肉は出なかった。
白ワインは冷やして飲む。その日のワインも魚だから白だったから、
当然冷たく冷やしたもの。だから肉には赤と聞きはしたが、
温度までの教育はなかった。

ドイツへ行ったら、社内同士で飲むものはビール。
偶に客との会食があっても、ドイツ人だからラインもモーゼルも
白ワインで冷えている。

スイスでもチューリッヒでは、ドイツ語圏だから白ワイン。

赤ワインを飲む破目になった最初の機会が、
ジュネーブのその日だったという次第。


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【 1960年代の日本人はまだワインを飲まなかった 】

2012-05-25 18:32:10 | 02 華麗な生活

ボクが最初に海外駐在を命じられたには、1968年のことだった。
ハンブルグの水道水は硬水で、新しいヤカンで湯を沸かしたら、
たった一週間で、ヤカンの底にべってり石灰分が貯まり、削っても
取れない。

あれを見たら水道水は飲む気がしなくなる。
現に酒飲み連中は、軒並み結石に悩まされていた。
飲料水には、フランスからのエビアンが愛用されていたが、薬局で買う
ものであった。スーパーなどが出来て、飲料水を置くようになったのは、
数年後のことである。

日本人駐在員は、昼飯からビールを飲むのが当たり前で、ワインは滅多に
見なかった。居た場所が、ウィン畑の無いハンブルグであったかもしれない。

当時、流通革命の旗手としてもてはやされた、スーパーの社長が居て、
その四弟に当たる専務が、ヨーロッパのチェーン・レストランの研究にと
欧州各国を巡り、なぜかボクが居た商社が、その人の面倒を見ることに
なった。スイスにも行くとのことだが、ボクが居た商社にはスイスには支店は
おろか、駐在員事務所もなかった。

そこで赴任したばかりの、ボクがスイス一週間の度のお供を命じられた。
チューリヒで出迎え、ジュネーブで見送る。大スーパーの専務さんは、
最後のジュネーブの夜を、ジュネーブで最も豪華なレストランを、ボクへの
お礼の心算で奢ると言われた。
レマン湖の噴水を目の前にする、豪華なレストランの窓際の席に案内され、
最初の海鮮料理には白ワインを、後から出てくるビーフ料理には赤のワインが
供された。

その時代、日本ではまだワインを飲む習慣が定着していない。
ドイツに行って数ヶ月が経っていたから、白ワインなら飲んだことはある。
だが赤ワインは始めての体験だった。
テイスティングの儀式がある。専務さんは「オレはワインの飲み方を知らん」と
ボクにテイスティングの役を押し付けてきた。

一口ふくんで、おや、オカシイなと思った。「冷たくないじゃないか?」
曖昧にうなずき、改めて専務さんと同伴された秘書の方にも、赤ワインが
注がれた。二度目のカンパイとなり、専務さんが顔をしかめた。
「このワイン冷えてませんな」。やっぱそうだよな。

ギャルソンと呼んだボクの席に、ソムリエがやって来た。
「このワイン、冷やし方が足らんように思うのだが」
定めし名のあるソムリエであったろう。思いきり、バカにされた。

「あなたのお国では、どういう飲み方をなさるのか存じませんが、当地では
前もって栓を抜き、室温に合わせてお飲み頂いております」

ここは正直に降参しよう。
実はまだ日本ではワインを食事に飲む習慣がない。ついてはワインの作法を
教えて欲しい。

これが良かったようで、赤と白の飲みわけから始まり、グラスの形の違いと
理由など、懇切丁寧に教えてもらった。
まだ30歳代の前半だったし、早々と降参したのが良かった。

それからもドイツでは、ワインといえば白と決まったもので、白は冷たいから、
室温にマリッジさせる事とは縁が遠かった。

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【 ワインはボクの身体に合わない 】

2012-05-25 10:40:42 | 02 華麗な生活

一昨日のことである。神戸の御影の奥に、ボクと同じ年齢に達した
建物が現存する。今年で78年になる、立派な庭園付きの建物だ。

いつの時代からか、持ち主が神戸の華僑の手に渡り、蘇州園の名で
知られてきた。今は中華料理をやめて、地中海料理の名店になっている。

六甲アイランドのシェラトンホテルの中にある、テニス愛好会の新年会を
ここで開いた。その関係からか、23日にカリフォルニアのワイナリーから
パートナーがやってきて、自慢のワインを蘇州園の料理に合わせて、
白赤合計5種類のワインが出る晩餐会があって、ボクにも招待状が来た。

大正ロマン漂う建物の欠点は、階段が多いこと。脊柱管狭窄の手術を
受けたボクの身体には、階段の昇降がこたえる。
その日も透析を受けた身体に、ワインのアルコールが吸収されていく。
ずいぶん気を付けていた心算だったが、頭こそシャンとしてはいたが、
身体の方はまた別だったようだ。

午後11時には、まだ残っている仲間と別れ、同じマンションに住む同年の
Tさんと先に帰宅したのだが、透析で血中の水分を除去したところに、
代わって入ったワインが、思いがけず良く廻ったようだ。

昨日も朝から歩いて会社に来たが、身体は明らかに二日酔いを呈していた。
社員たちにすすめられて、午後三時に帰宅した。寝るのが一番だと言われて。
それで今朝になった。さすがにワインのアルコールは抜けているが、脱力感が
残っている。

もうすぐ透析の時間だ。迎えのタクシーが来る。


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【 野田は野田でもエライ違い 】

2012-05-23 16:29:36 | 02 華麗な生活

自民党の野田毅議員が今日の衆院特別委で質問席に着いた。


税については、格別に知識も経験も豊富な人から、質問された
というよりは、教育を受けた感じで、最近ナマイキになってきた
野田佳彦も、流石に逆らうことは出来ない。


野田毅は、小沢一郎と一緒に新生党を作った一人。
壊し屋小沢と一緒に居るのが嫌になって、扇千景などと共に自民党に
復籍した人物だ。


もちろん、小沢のことも詳しく承知している。
来週の小沢vs野田にも、相手をよく承知して掛かれと応援みたいな
質問であった。


それにしても、何故輿石のワルが同席するんだろう。
あのワルが、よりによって幹事長というから、日本の政治が悪くなる
一方でも仕方が無いのか。



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【 ギリシャの次はスペイン 】

2012-05-23 10:20:06 | 02 華麗な生活

欧州の金融不安のネタは尽きるところがない。

イタリア・ポルトガル・アイルランドなど、話題に上った国以外にも
ハンガリーなどの東欧圏に、やばい国がまだまだある。

しかもユーロ圏の、経済成長はマイナスしか見込めない。
日本はミンス政権がそんざいしつつ、まだプラス1.6%が見込める。

これで政権が交代したら、3%以上は確実に見込めるだろう。

一部上場企業が貯めこんだ、内部留保の総額はいくらになるのか。
それを新市場開発に廻せば、新たな雇用も生まれる。
新市場は何も海外だけを意味しない。

昨日の衆院特別委で自民党の町村氏が述べた、日本列島強靭化の案。
今朝の日経紙には、ひと言も書いていない。

ミンスに政権を盗られてから、国防費は減る一方である。
軍事費の増強は、何も日本が再び戦争を始めることを意味しない。
軍事費は大津波に対する大堤防と同じ、国を守る基本的な必要経費である。


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