作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 家康は何度死んでも構わない(歴史エッセイ144話) 】

2014-03-28 18:49:59 | 05 歴史エッセイ

高校生の頃から「家康と共産党と豚肉が嫌いだ」で通してきた
ボクですが、実は家康に家を滅ぼされた秀吉もまた嫌い。

特に大の恩人である、黒田官兵衛に対する無礼な振る舞いが
許せない。

上に書いた家康は、時として巨人に置き換わる。
「巨人・豚肉・共産党」と成るわけです。
これは今もそうで、もっと若い頃に、東京に行って酒場に入るには
乱闘になる覚悟がいった。

さて家康に戻りましょう。
家康の人間としての汚さを如実にあらわした、大阪城夏の陣。
騙されて内堀まで埋められて、裸城にされた大阪城を上杉や佐竹まで
動員して攻めた家康が、真田幸村の攻撃に逃げに逃げて、もう駄目だと
追い詰められた、四天王寺界隈にある一心寺と安居神社が並ぶ地域で
腹を切る覚悟をする。

実は真田幸村も疲れに疲れていて、すんでのところで家康に逃げられた。
ボクはここで「イフ」を入れて歴史を変えます。

大坂城内に居た宇喜多秀家の家臣、明石全登の隊が予備軍として船場
に移動、そこで待機していた。その隊に幸村子飼いの霧隠才蔵が、猿飛
佐助との連絡要員として参加していた。

安居神社まで家康を追い詰めた段階で、予定通りに佐助が才蔵に忍者
特有の忍びの術を使って、明石隊に安居神社まで急行せよと連絡。
働き場所が無いと嘆いていた明石全登隊が、今こそと勇みたち安居神社に
急行し、家康の首を刎ねるというお話。

明石全登は、関ヶ原に於いて西軍の最前線で宇喜多の前線司令官として、
東軍に参加した福島正則の部隊の前線司令官、可児才蔵を押しに押して
いた勇武の人です。

松尾山から裏切って東軍側に寝返った小早川秀秋が、大谷吉継に襲い
かかり、大谷隊がつぶれたことで、優勢だった宇喜多の形勢も一変する。
誰よりも悔しかったのが、今少しの所で、可児才蔵を討ち漏らした明石全登。
当然大坂城に参陣していました。

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