作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

歴史・エッセイ・小説・時事ニュース・・・なんでもござれのブログです。どうぞよろしく。

【 一転べートーベン 】

2006-12-31 21:31:28 | 02 華麗な生活


今年で結成80周年というNHK交響楽団の
演奏する第九を、今聞き終わったところです。
指揮者の上岡敏之という人は初めて。
コーラスはN響の場合によく登場する国立音大。
約150名を集めるのは大変だと、昔ウイーン
で声楽担当の先生から伺った。今日見た顔ぶれ
は皆、ボクのウイーン時代には生まれていなか
ったはず。

聴き終わって第九は矢張り第4楽章だと思った。
むしろコーラスが始まるまでが良い。歌いはじ
めるバリトンが弱かったから余計にそう思った
のかも。

この第九が年末恒例のものと成っているのは、
日本ぐらいのもので、本場のドイツにはそんな
風習はない。年末の音楽と言えば『こうもり』
だと思う。ヨハン・シュトラウスのあの喜歌劇
のドタバタ大騒ぎこそが、年忘れに似合ってる。


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【 27年目を終えるに当たり 】

2006-12-31 21:26:14 | 02 華麗な生活


大晦日だからといって、特に部屋の大掃除を
するわけでもない習慣に身を置いて二十数年
が経ちました。生まれたのは大連だし、成人
後も通算6年ヨーロッパに住んだし、日本の
年末年始の行事なんか関係ないやってわけで
す。

ベッドに転がってモーツアルトの交響曲38
番を聴きつつ、椎名誠の「本の雑誌血風録」
を読んでいたら、突如ブログを書きたくなり
ました。

かねてから「本の雑誌社」と「劇団四季」の
二つを経営面での目標にしています。

両者の共通項は、全員参加の情熱集団であり、
自社商品の流通面で中間業者に頼らないこと。

なかなか取れないはずのチケットが、当日開幕
したら空席チラホラがよくある。チケット屋が
ギリギリまで抑えていて、当日にドタキャン
する。炎のマエストロ小林研一郎が指揮する
ホールにも空席があるし、関西二期会の公演
でも売り切れのはずの空席が目立つ。中間の
チケット取り扱い業者を排除すれば、こんな
ことはなくなる。

本の雑誌は、目黒孝二という人が、自分で書い
た書評をまとめて、自ら都内の書店を訪ね歩き
販路を開拓した。これが東販や日販を頼って
いたら配本はろくに店頭にも出されずに消えた
と思う。

さてパパゲーノが起業に目覚め、独立したのが
1980年1月のこと。暦を見て好日を選び
登記したのは11日だけど、実質的には元旦
から事務所に詰めていた。家賃6万円の大阪
では川向こうと呼ばれる新開地での出発でした。

4年目の5月に、なんと家賃百万円以上の凄い
一等地の新築ビルのテナントとなった。家賃で
言えば毎月それまでの一年半を払うわけ。これ
はエライことになったと思いました。

一時は全国に140余りの代理店・問屋を抱え
たが、所詮中間業者には商品への愛情が無いと
判り、次々と縁をきっていった。当然売り上げ
は落ちたが、返品を伴う仮需出荷は意味が無い。

どんな有名店であろうと直接納入に切り替えた。
これって意外と難事業で、先ず口座というもの
を開かなきゃならない。最初は渋る相手を根気
強く説得し、直納入でなきゃ商品は流れても、
その商品をなぜ輸入するか、どこが国産品と違う
のかといったソフトウエアーが伝わらないと訴え
た。

今困ってること。それは店という店がコンビニ
化して、店員に商品学が為されなくなったこと。
無理も無い。店によっては2万数千種類もの品
を置いている。一々商品の特性を学べったって
そんな神業みたいなこと誰にも出来ない。

この事実に戸惑っている中小・零細企業がどれ
ほど有るんだろう。
で、始めたのがブログ『パパゲーノが選ぶこだ
わりの店』。ただ今趣旨に賛同し参加してくれ
た仲間が、およそ120。単なる「お店紹介」
じゃつまらんから、エッセイ風に仕立てたら、
結構読者が増えて、ブログで見たからと新規の
客も来るようになりました。3月までに500
の仲間を作り、2年以内に5000を結集する。

不思議なパワーがついて、加盟した店という店
の記事がグーグル検索で第1ページに来ます。
しかも多くがトップに来る。

各店でブログを読みに来るよう働きかける。
自分の店の宣伝で終わらず仲間の店の紹介にも
なります。今は京阪神に偏っているが、いずれ
「我が町レポーター」とでも呼ぶべき協力者も
現れてくると信じている。現存する仮想市場と
違って、ブログ記事をどんどん書き足していく
から、常にアップツーデートの情報が発進でき
る道理。やってみて分かったこと、同じ悩みを
持ち、かつこだわりを持つ同志が如何に多いか。

劇団四季の団員たちの、あの熱情を盗みたい。
本の雑誌社のユニークな発展ぶりにあやかりた
い。かの群よう子は、3畳しかない事務所に
たった3万円の給料で雇われた電話番だった。
1977年というから、いくら何でも3万円は
ヒドイ。当時の世間相場の半分以下だ。それに
耐えた群さんは、余りにもの暇つぶしに書くこ
とを創め、今日の大成を見たし、椎名誠とその
仲間たちが、そこを拠点に名を上げて入った。

パパゲーノの会社の決算は12月31日だから
今日で創業第27期が終わるわけです。
会社の寿命は30年で尽きると言う。その通り
だと痛感します。会社は改革しなきゃならない。
改革なくして生存はあり得ない。


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【 伸びきった蕎麦 】

2006-12-31 14:20:09 | 02 華麗な生活


お昼は何がいいかと訊くパパゲーナに「蕎麦」と
答えました。「お蕎麦だったら今夜年越しを食べ
るのに」と言うのに、「どうせ年越しはひと口の
ザルだから、ヒルは熱いヤツ」と答え、買い物
から帰ってきたパパゲーナが、油揚げを刻みネギ
を添えた「汁蕎麦」を作った。

これが駄目も駄目、蕎麦が伸びきっていて、コシ
なんてまるでない。この「茹で蕎麦」を買うのは
初めてじゃない。年に数回は食べている。

「何だこりゃ~、いつもの銘柄と一緒か。手ぇ抜き
やがったな。こいつは茹ですぎなんかじゃないぜ。
材料からごまかしている。蕎麦の香りなんか丸で
無い。こいつはそこらの立ち食いよりもまだ粗悪
品だ。どうせ普段は蕎麦よりうどんの関西人だから
これでいいだろう、分からんと買うとみくびった
んだ。蕎麦なんか入っていない、うどん粉だけって
インチキ品だな」

島の中にパントレーという、高級スーパーを気取っ
た店があり、同じく島内のダイエー、コープが共に
駄目な店だから、島民だまして適当な品を並べて
いる。こんな店が高級を名乗っていいんかいと、
常に腹を立てているんだが、今日の蕎麦には恐れ
いったぜ、まったく。

ついでだから日ごろ言いたかったこと、その一部
なりとぶちまけてやろう。

先ず魚だが、ここパントレーで買った魚が良かった
ためしがない。だから最近は芦屋大丸まで買いに
行かせている。

昼食用の弁当の類が最低だ。惣菜類もことごとく
イケナイ。ローソンにはもちろん、評判の悪い
ファミマにも劣っている。
なんでこんな店、パントレーが高級食品スーパーって
気取って居れるのか不思議でしようがない。

関係者が読んでくれたら、もっけの幸い。
どうぞ反論してくれ。反論できるならのハナシだが。


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【 ウイーン時代は 】

2006-12-31 11:50:00 | 02 華麗な生活


パパゲーノを名乗り、いっぱし聞きかじりを
語るから、流石は音楽の都ウイーンに居た人
と言われがちだが、その実ウイーン滞在時に
コンセルヘボウやシュタットオパに足を運び
生の音楽に接した機会など十指に余る程度。

それくらいの会社人間だった。今は元旦にやる
ようになったニューイヤーコンサートだが、
当時あれはジルベスター(大晦日)の催しで、
ウイーンフイルのコンサートマスターが、タクト
ならぬバイオリンを奏でつつ指揮をする。
本来のヨハン・シュトラウスの指揮法に従うもの
で、ボクが居たころはボスコフスキーの指揮と
決まったものだった。

せっかくウイーンに住んでいるんだから、一度
ぐらいは行けば良かったし、当時はチケットの
入手もそれほど困難じゃなかった。

ウイーンの冬は半端じゃない。底冷えのする寒さ
から南欧に逃げ出すのがベターな選択と、それで
生の演奏に接したことがない。

伝統のジルベスター・コンサートが、元旦に変る
原因は日本にある。NHKが大金を出して世界中
といっても、特に日本時間に合わせて、今の姿に
なったのです。

ボスコフスキーは追いやられ、先ずカラヤンが登場
し「来年は誰の指揮」との話題が新たに生まれたと
いう次第。

昨今マンネリの気配濃厚。シュトラウスの世界から
の逸脱があっても良いのじゃないでしょうか。


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【 締めくくりのモーツアルト 】

2006-12-31 11:45:00 | 02 華麗な生活


一年続いた『毎日モーツアルト』の番組に
気づいたのが遅かったから、昨夜のグランド・
フィナーレは有難かった。

普段はなにげに聞き流している事柄が確認
できるチャンス。

ケッフェル・ナンバーの終わりが626で
レクイエムがそれに当る。

41の交響曲の中に欠番があり、それが37
だと。このクイズには、専門家5人の誰もが
答えられなかった。ケッフェルがモーツアルト
作品と信じたものが、後でバッハの一族の誰か
の作と判明し、除かれたんだとのこと。

一年を通じて流した曲のサワリを全曲駆け足で
聞かせてくれたが、改めてその作品の多さに
驚愕しました。買わなきゃならんCDが随分
ある。

2時間番組で堪能したはずなのに、更にピアコン
20番を子守唄に聞きながらお寝すみになった。


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【 大晦日の過ごし方 】

2006-12-31 11:03:00 | 02 華麗な生活


2000年には腹膜炎で、というよりも、
抗生物質の入れすぎで生死の境をさまよって
いたのだが、21世紀に入ってからの4回の
大晦日は、それに続く元旦も加えて、ひたすら
テニスコートに立っていました。

コーチも休みをとるから、専らホテルのスタッフ
を相手にヒッティングをやっていた。

通算6年のヨーロッパ生活で、元々生まれた場所
すら日本本土じゃないボクは、正月の儀式なんか
どうでもよくなって、お飾りもしないし、おせち
だって豪華なものは要らない。年末年始はただ
長い休みがあるだけ。

そんな中で、唯一の例外として、昨年2005年
の大晦日の今頃は、京都の錦市場に居ました。
在京都の高校の同級生K君を引っ張り出して、京都
の大晦日がどんなものかを見物に入ったのです。

錦は込んではいたが、たぶん前日よりは人手が減っ
たのだと思われ、押すな押すなで歩けないほどの
人手ではなかった。この市場の東の端の方にある
「蒸し寿司」屋で、ここ5~6年来の願望を果たす
つもりであったのに、無残や「蒸し寿司屋」は閉ま
っていた。

京極にある「蒸し寿司屋」は店からはみ出した列が
30人を越えていて、寒い中を待つ忍耐力なんか二人
とも持ち合わせちゃいないから、店が意図的に排出
する香りだけを嗅ぎ、それじゃとポント町に行った。

もう少し歩いて、花見小路辺りまで行けばよかったの
だが、つい目についた和食何でも屋に入ってしまい、
さして旨くもないうなぎ料理を食べた。二階の窓から
眺める鴨川がやたら寂しげに見えました。

K君は話題の広い人だから、話は尽きない。
ポント町を更に歩いて角店の喫茶店を見つけたが、
そこの娘らしき若い女の子が、店の外から窓を拭き、
余ったチカラで壁もモップで洗っている。なまじ窓
がピカピカで、中が如何にも暖かそう。

「お店やってる?」と訊ねたら、「ちょっと聞いてき
ます」。

「どうぞ」となって、他には誰も客のいない店に入り、
京都の迎春準備の整った店内の窓際の席に坐って
珈琲を喫んだ。なんだか随分と長い時間を喋り続けた。
K君との会話をレコーダーに録り、そのまま速記者に
渡したら、優に一冊の本が出来るんじゃないか。それ
ぐらいカレは話題が豊富な人なんです。大学から
ず~っと京都住まいで寺社仏閣に強いのは当然な
がら、歴史や文学にもやたら強いから、ハナシに
ついて行くのがもうタイヘン。
それが丁度一年前の大晦日でした。


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【 泣き納めのはずが 】

2006-12-30 16:34:33 | 02 華麗な生活


毎週木曜日が「神経ブロック」の日。
先週は痛みのあまり、うめき声を抑えきれず、
10ミリの注射を8ミリで止める完敗だった
だけに、なんとしてでも試合打ち切りだけは
阻止しようと、それが28日のこと。

人間の痛覚が集中している尾骨の辺りに打つ
のだから、そりゃ痛いが、ハリの痛みなら
毎週6本、それも太いのを深く刺されている。

整形外科の先生が、心配そうに「大丈夫か」
と訊ねるのを「大丈夫」と答えつつ、今回は
見事に剛球を打ち返しました。

人体はまこと微妙に出来ている。
今年最期の泣き声を出さずにすんで、後は
1月4日の打ち始め。泣くか泣かんか。
10ミリの麻酔薬をすんなり受けるかどうか
の勝負が待っています。


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【 透析生活10年目 (13) 】

2006-12-30 16:00:00 | 09 透析生活15年目


今になって思えば、あの2001年元旦。
ボクは何も食べていないことになる。元旦だけ
じゃなく大晦日も。僅かに缶コーヒーの類を少し
飲み、胃の噴門を怒らせていただけだった。

砂糖入りの紅茶だけでも、40カロリーほどの
栄養源にはなる。

1月も4日となって仕事始め。ボクに腹膜炎をもた
らした菌は、どこにも転がっているショボイ菌で、
セラチヤというヤツと判明した。ならば耐用菌は
要らんだろう。ボクの判断で服用を止め主治医に
その旨を告げた。

あの劇薬がアダとなったのは確実だが、念のため
に指示した主治医は間違っちゃいない。年末年始
というタイミングが不幸だった。セラチヤならすぐ
にそれと分かったはず。

有用菌のすべてが死滅した胃に、冷たい飲み物を
流すことは、焼け爛れた鉄板に水滴を落とすよう
なものと知りました。

糖分摂取だけで、少しは活力の出たボクに、医師
は外出して、何か食べられそうなモノを、少しで
もいいから食べて来いという。

明らかに抗生物質を入れすぎた。医療ミスと言える。
スミマセンでした。もうクスリは無い。頑張って
タンパク質を摂って、細胞を作り直すしか無いと
はっきり述べた主治医にボクは好感を抱いていた。

2ヶ月以上も入院したボクのため、この主治医は
すべての日曜日に出勤して来られた。なかなか出来
ることじゃない。
だから、この主治医が病院を去り、自らのクリニック
を開いたときに、ボクは最初の患者の一人として、
そのクリニックに移ったんです。

病院のトナリといって良い場所に、ホテルがあって、
ボクはそのホテルの特別会員だったから顔が利い
た。鮨のカウンターで、具の入らない茶碗蒸しを
頼み、レストランでプリンだけをオーダーした。
腸は当初激しく抵抗し、ボクはあらかじめトイレ
に行きやすい席を占めて、駆け込んでいたが、徐々
に腸もそれが身体に必要なモノばかりを選んでいる
んだと納得したようで、オーナーの意図に協力する
ようになってきた。

本当はもう一つの治療方法があった。
が、その実態が何かをボクは知っていた。
鼻からチューブを胃に差しこみ点滴液を流す方式
では、身動きもならず、その治療を受ける患者が
どれ程苦しむか。ボクが選択した、自ら細胞を
作り直す方式は正しかったと今でも思います。

あれからまる6年。作り直した胃腸は一度だって
故障を起こさない、まことに健康なものに再生
されました。


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【 透析生活10年目 (12) 】

2006-12-30 15:00:00 | 09 透析生活15年目


腎透析の圧倒的多数は、いまボクが週に3回
行っている、血液透析ですが、この他に自ら
自宅で行う腹膜透析というのがあり、こっち
の方はお腹を切って、腹膜の中にチューブを
差し込む手術を行って、一日に4回透析用の
液を入れ、4~5時間経ったら液の交換をす
る。腹膜に腎臓の役目をさせる方式です。

今から6年前の2000年に、ボクは週3回の
拘束に耐えられず、志願して腹膜透析に切り
替えました。どうやらボクの腹膜は、透析能力
に欠けるタイプのものだったようで、廃液が
あまり出ないし、何より旅先であろうと、毎日
4回バック交換という液の入れ替えは、非常に
煩わしいもので、それはタイヘンな作業でした。

幸か不幸か、これを始めた年の12月、それも
クリスマスイヴに、バイ菌が腹中に入り激痛が
起きました。腹膜炎の発症だった。直ちに入院。

お腹の洗浄を何度も繰り返したが、廃液の濁りが
取れません。抗生物質がお腹に入れられ、点滴
でも抗生剤が。

運悪く年末に向かっているときだったから、菌が
何物かの培養テストの発表が年明けとなった。
主治医が念のためと、耐用菌用の薬を服用せよと
いい、ボクはそれに従った。耐用菌というのは
抗生物質にも対抗する強い菌のことで、それにも
対処する薬だから劇薬です。

それを服用することで、ボクの体内の菌という
菌のすべてが死滅しました。もはや胃も腸も
何の役にも立たない。

12月31日から1月1日にかけて、つまりは20世紀
から21世紀にかけてが、ボクの大危機で、夜勤の
ナースセンターは「今夜持つか、朝まで生命があるか
どうか」と緊張していたらしい。

なにしろ脳裏に浮かぶ飲み物を、病院1階に下りて
買ってくる。缶コーヒー、紅茶、カルピスの類。
それを一口飲む。美味いなんてものじゃない。
まさに甘露。それが一瞬後に、ボクはベッド脇に
置いたくず箱にビニールを布いたやつを抱え込み、
少なくも20度ばかり嘔吐を繰り返す。一口飲んだ
ものは勿論最初に出てくるが、後は触発された
胃の勝手な動きで、何も出ないけど嘔吐とはなる。
苦しいです。

僅かばかりの液体、例えばボク自身の唾液が腸に
達するや、激しい蠕動運動が起きて、ボクはトイレ
に駆けこむこととなる。その都度時計を見て、時刻
をノートに記入する。
ナースが翌朝やってきて、「昨夜は何回トイレに
行った」と聞く。ボクはノートに記した時刻の回数
を数え45回なんて答えるわけです。有用菌を失う
と胃も腸も、このような異物排除の機能を強化する
んです。

今夜が一番危ないと、婦長が夜勤のナースたちに
警戒を命じた元旦の夜も、分かっちゃいるのに
何かの水分を摂ることで、一瞬の咽喉の快楽を
味わい、20回ばかりの激しい嘔吐を招く、そして
唾液がそれも微量が腸に達することで、40回以上
のトイレ行きを招きつつ、やり過ごしました。

1月2日の夕刻になって、ボクは湯を沸かし、熱い
ほうじ茶を淹れて、そいつをふ~ふ~吹きながら、
少しずつ飲んだ。あれっ、おかしいな。
胃に達したはずなのに、あのこみ上げる嘔吐感が
ない。飲み続けて茶碗半分ぐらいのほうじ茶を飲み
干したが、胃に異常が起きません。

ほうじ茶じゃ栄養にならない。僅かに砂糖を入れて
みた。結果オーライ。それならと熱い紅茶を淹れ
直して砂糖も多めにいれて、ふ~ふ~。異常なし。
その瞬間、ボクは生き延びる自信を持ちました。

このハナシ続きます。

                                       パパゲーノ


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【 タメクチで接客する時代なんだ 】

2006-12-30 10:04:44 | 02 華麗な生活


スーツやコート等を二着買えば、二着目の
値段が1千円になる。

そんな方式で、紳士服業界の覇を競いあって
いる青○で、初めてコートを買い、ついでに
5万円強のジャケットも買ったら、本当に
1千円だったからいささか呆気にとられました。

その店には女性店員が三人。

丁寧な言葉で応接していたのは、最初の5分
ぐらい。

あっと言う間に、やたらフレンドリーになった。

「それ、ごっつ~よう~似合うわ~」

「ホンマや、よう似合うてんなぁ~、そのロングの
マフラー、合わせるのん、難しいんやんか。それが
ホンマうまいこと合わせてんなぁ~」

「ねえねえ、そないなええ格好して、今からどこ
行くねん」

「えっ、会社? なにしに会社行くん」

「ホンマかいな、ホンマに仕事するん、へえ~?
あっ、ひょっとして社長さん? そんなら会社
行かなあかんなぁ~」

「ねえねえ、遊びに行くとき、どの辺で遊ぶん?」

「うん、誘て誘て、今夜でもええで」

びっくりしたなぁ~、もう~。


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【 足の引っ張り合いの好きなヤツ等 】

2006-12-29 14:24:47 | 04 時事ニュース


若くして首相になったんだから、そりゃ足らん
こともあるわなぁ~。

組閣のときにも苦言を述べたが、周りへの
気兼ねからか、自分の意志とは思えん閣僚
起用もあったなぁ~。

押し付けたのは誰だ。
ウンと言った安倍は、確かに情けないが、
押し付けたヤツの責任はどうなんだ、えぇ、
青木幹夫。

佐田どころか、いずれ松岡・甘利あたりが
尻尾だす。分かっていて押し付けたヤツ、
旧竹下派の責任はどうなるんだ。

今、国内で、若い首相の足引っ張る時かよ。
一致団結して安倍を盛り立てる時じゃないんか。

本間先生の問題は、先生個人の問題。
前から分かっていたことを、今のタイミング
で明かす財務省も汚いが、同じく前から
知っていて、今大騒ぎするマスコミも
汚ったねぇ~。

ロシヤも中国も経済力を身につけて、軍装備
の近代化に励んでいる。北朝鮮よりも、もっと
怖いぜ。パパゲーノはもうじき居なくなるが、
日本併合なんてことにならんように頼むぜ。


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【 元部下たちへのイジメがきつい 】

2006-12-28 16:37:06 | 04 時事ニュース


豊富なエネルギー資源に恵まれ、それを武器に
ロシア帝国の復活を目指すプーチン。

グルジヤ・アゼルバイジャン・ウクライナときて
今度はベラルーシ。

今まで千立米当たり47ドルで年間210億立米
を供給していたのを、いきなり200ドルへと4倍
を越える値上げ要求。

市場価格で購入しない姿勢は無責任と、持つもの
の強みで高圧姿勢。

プーチンから見たら、かつてのソ連邦メンバーが
親米路線を取り、EU加盟までとなっていくのを
傍観は出来んということでしょう。

他人事じゃない。日本だってロシアの隣国なんです。
現にサハリン計画で、先行投資していた三井・三菱
が、株式の過半を強奪され、ロシア国営企業の思う
がままの情況となった。

ロシア兵の略奪がどんなものか、この目で見て記憶
しているだけに怖い怖い。


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【 スイスの凄さ 】

2006-12-27 11:02:26 | 02 華麗な生活


1789年のフランス革命の際に、ルイ16世を
最後まで守り抜き、一兵残らず戦って死んだのが
スイス人の傭兵部隊でした。

徳川慶喜の大政奉還が1867年で、この二つの
歴史上の出来事の間には、僅かの78年しか時間差
がない。

スイスも日本も、そんな状態から出発して、今日の
近代国家になった。

今のスイスは、ヨーロッパでも最も豊かな国に数え
られ、間違っても他国の外人部隊に出稼ぎに行く
若者なんていない。

峻険な山々を切り拓いて、国中を観光名所に仕立て
あげた。湖という湖には観光船が走り、どんな田舎
に行っても洒落たカフェやレストランがある。

日本も高速道一本を作るにも、トンネルを穿ち、鉄橋
を架けねばならず、アメリカやドイツと比べたら、
大層な工事を伴うハンデイキャップを持つ。またそれ
をいいことに、談合・下請け・政治献金といった醜の
構図が出来上がる。

スイスと比べてみたら、はるかに劣ったものしか、
出来あがっていないのは、予算の可也の部分が、
実際の建設に使われちゃいないからだろう。

そのスイスの今日の映像が、頻繁にハイビジョン放送
される。列車も座席も、ますます豪華さを増している。

観光客も年々増え続け、国家財政を潤している。
日本も村興しに随分とカネをかけてきたのに、どの
県のテーマパークもみんな失敗だ。

全体構想が狂っている、と言うより最初から無いの
じゃなかったか。


                 パパゲーノ

            
                      
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【 遂に3000人を超えました 】

2006-12-27 10:51:19 | 02 華麗な生活


パパゲーノが小説を連載しているもう一つの
ブログ『リログ』の場を借りて、初体験となる
連載小説『風の如く火の如し』の第1話を、
こわごわ載せたのが8月15日のこと、連日
じわじわと新しく読んでくださる方が現われて、
先週の金曜日、22日に3000アクセスの大台
に乗る事が出来ました。今朝の分析でも1名が
居られて、累計3012。ハナシの方は今日
第143話を登場させています。

正直に言って、もう息切れの寸前ですが、多分
180話ぐらいで完結しそうな感じで、もう
少し頑張ってみます。

まだ終ったわけじゃないけど、小説を書くのは
難しいと、しみじみ思っています。

ご支持をいただき、心から御礼申し上げます。


                 パパゲーノ

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【 ザルツブルグ 】

2006-12-26 23:10:00 | 02 華麗な生活


今夜の『毎日モーツアルト』では、ザルツブルグ
について、ボクの知らなかったことを、山本耕司
が教えてくれました。

ここの領主だった大司祭が、ナポレオン戦争で
ウイーンに逃亡した後、ザルツブルグの町は
さびれ、1825年にシューベルトが訪れたとき、
彼は「町に住み着く人々は少なく、石畳の間から
草が生えだしている」と書き記したと。

バックに流れたのが、ボクの大好きなピアノ協奏曲
第20番、それも第2楽章でした。

もし神様が、ボクに対して「日本を離れよ。ある町
に移り、そこの中心部から100キロ以内だけに
住むことを許す」とおっしゃったなら、ボクは多分
ザルツブルグを選ぶと思います。

おのおのの店が工夫を凝らした看板が重なり合う、
ゲトライデガッセを歩き、ザルツカンマーグートの
湖畔で眠る。素敵な人生だと思います。


                 パパゲーノ

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