徳川家康vs石田三成にそれぞれの加勢があった合戦と
するのが定説であるが、「豊臣家筆頭大老」ならびに
「秀頼公名代」を名乗り諸将に軍令状を発した家康の
行為は詐欺以外の何者でもなく、多くの豊臣大名が
とるべき行動を迷わされた。肝心の合戦の日に徳川の
軍勢は戦場に到達すらしていない。豊臣諸将の一部が
東軍に属し、他の一部が西軍に属す形になったが、
いずれにせよ勝ったのも負けたのも共に豊臣家恩顧の
武将たちであった。徳川家康をもって勝利者とするのは
大いなる錯誤であり、まして天下人の名をかち得たのは、
これまた得意技の詐欺によるものである。
群将入り乱れての合戦に、あえて主役級を挙げるなら、
京極高次、毛利秀包、立花宗茂の三名。
そうした観点から「関ヶ原」を読み解いた本が4月に
創元社から発売される。
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