作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 家康は関ヶ原で島左近に討たれた(歴史エッセイ143話) 】

2014-03-27 16:31:52 | 05 歴史エッセイ

ボクは徳川家康も、その子孫の連中も全部嫌いだと自任している。
家康に次いで嫌な男が足利尊氏。
なんたって皇国史観の世に育った病弱児の歴児です。

ついでに言えば、後醍醐天皇が大嫌い。こんな男に殉じた楠木一族、
新田一族、菊池一族、名和一族が気の毒でならぬ。

天皇にまだ嫌な連中が居る。白河法王も後白河法王も勝手な奴との
思いが消えない。木曽義仲も九郎義経も犠牲者だ。

家康の徳川家に戻って、関ヶ原で大勢の側近が居る中で、どうして死んだ
のか「影武者 徳川家康」という本に詳しい描写がある。
大勢の子どもたちの、後から生まれた三人が御三家となり徳川を名乗った
のが証拠にもなる。先に生まれた子供たちは松平の姓しか貰えなかった。

御三家の中でも、順序があって、本家が絶えた時は先ず尾張大納言が。
まさか尾張の後に来る紀伊大納言家の三男坊が八代将軍に成るとは
想像もしなかったであろう。

吉宗が中興の祖で、名将軍とは徳川召抱えの御用学者の作り話でしょう。
事実は吉宗が企てた、尾張の全員と紀伊の兄貴たち、みんな奇妙な若死に
している。毒殺意外に考えられない。
吉宗は八代を継いだだけではなく、十四代家茂までの将軍の地位を横取り
してしまった。農地開発には失敗。金貨の価値は大きく下落。改革とは名
ばかりの実はデフレ政策で、米に頼る武士階級を苦しめた阿呆です。

締めくくりに、将軍には絶対に成るなと言われた水戸中納言家から慶喜が
十五代に就き、最後は政権を放り出した。メデタシメデタシですな。


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