作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

歴史・エッセイ・小説・時事ニュース・・・なんでもござれのブログです。どうぞよろしく。

【 大阪の美味いソバ 】

2006-08-30 22:30:00 | 11 美味いもん談義


ソバはなんと言っても東京だ。大阪のソバなんて。
こんな東京人が、これを食べたら黙りこんでしまう。

露天神社という立派な本名?がありながら、誰もが
「お初天神」と呼ぶ、ご存知近松が描くお初徳兵衛、
心中道行きにちなんだ呼び名。

かつて、この神社の境内は、飲み屋街さながらの
賑わいだったが、宮司さんがハラを立てて?、
みんな追っ払ってしまった。

「お初天神」に面した路地を東に入り、一本目の
これも路地を左折する。
蕎麦屋の正式な名前は別にあるんだけど、通称の方が
よく知られていて「夕霧そば」。

メニューの中には「カレーそば」なんてものもあるが、
ここに来たら、迷うことなく「夕霧そば」を注文して
欲しい。

「熱いのと冷たいのとがありますが」

ここでも迷うことなく「熱いの」を選んでください。

夕霧は柚子切りをもじったもので、熱い方が柚子の
香りが一段と高まります。

昼食時なんかだったら、文庫本の一冊も持って行くことを
お勧めします。
注文から配達?まで、タイヘン時間がかかる。

ボクみたいなイラチ(あわただしいヤツ)には、
ここで「夕霧そば」を食べるのは、一種の修行みたいな
もので、黙って瞑想にふけるか、ホンを読むのに最適の
空間であり時間でもある。

ヘタすると30分ぐらい経って、ようやく運ばれてくる。
せいろに蒸しあげた、柚子の香りいっぱいの逸品が、
ソバようのお銚子?に入った、熱いそばつゆと共に。

このお銚子、普通の人では触れない。お手拭用の紙タオル
で、それでも「あちち」と言いながら、そばちょこに
つゆを注ぎいれ、「でわでわ」湯気を立てているソバを
つまみあげ、つゆに浸していただきます。

至福の時が身体を包む。
ソバ自慢の東京の人々。全員が黙り込み、深くうなづく。

どうだ、大阪にも美味いソバがあるんだ。


もう一軒、こっちは大阪市内に7~8店を展開するが、
先ずどの店に行っても、失望することはない。

創業の地、西中島は猥雑な場所であったが、このソバ屋
があったことで、ずいぶん救われた。

「そば好し」といい、基本のザルは胡麻切り。
それに「胡麻すり」用の鉢とすり棒が付いてきて、鉢の
中には胡麻。

いまさら「胡麻すり」やったって、手遅れだわと言いながら、
脱サラのボクは、せっせと胡麻をすり、そこへつゆを入れて
ザルに持ったソバをすすりこむ。

東京の名店みたいに、三口ぐらいで終わっちゃう、なんて
ヒデェ~もんじゃなく、量的にもたっぷりとある。

「夕霧」にも「そば好し」にも、長く行っていない。

六甲アイランドから出かけるのは、ちょっと億劫だ。
もう少し腰・足がよくなれば。 そう思っています。


                パパゲーノ




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【 四柱推命 】

2006-08-30 22:27:30 | 02 華麗な生活


最初にこの言葉に接したのは、ハンブルグ駐在時代。

船便で送られてくるから、一ヶ月遅れとなる週刊誌に
そのころ四柱推命に凝っていたらしい遠藤周作が、
誰かとの対談で、この占いがいかに良く当たるかを
説いていた。
その時は、さして関心を持たずにいた。

数年後、和泉ナントカが本にした「天中殺」が流行し、
新書版のその本を、誰か出張者が持って来たのを読み、
当時ボクの配下にいた11名の日本人社員全員の運勢
をザッと見てみた。

「駅馬」という星を持っているのは、故郷を遠く離れた
遠隔地で働く運命にあり、例えば海外駐在員なんかが
それにあたると、その新書版の本に書いてあったから、
そうかなと思って試して見たのである。

12名(ボク自身を加え)全員に「駅馬」があった。
おそらく殆どの人間に「駅馬」という星があるんだろう。
その時はそんな印象だった。

本人自身が予期しなかった「会社辞めます」があって、
ヒマな時間がいっぱい出来たとき、思い出すままに、
四柱推命の本を買ってきて、身近な人々の運勢を見た
ところ、意外なことに「駅馬」は誰にもあるのじゃなく、
国内部門に終始している連中には「駅馬」が無いこと
が分かり、あらためて東欧の12名全員に「駅馬」の
星があったことを不思議に思った。

会社を辞めて、自分の会社を起こす準備に入り、先ず
実印の少しは立派なヤツをと、あるデパートの印鑑売り場
に行った。

求められるままに、生年月日を明らかにし、印鑑士?
の言葉に驚いた。

「永年勤めた会社を辞めようとしていますね」
「年齢に不相応なほどの、人も羨む出世をしましたね」
「それも社長の側近とかじゃなく、前線の司令官みたいな
職務での活躍でしたね」
「男のジェラシーで足を引っ張られ、突如会社が嫌に
なったのでしょう」

こっちが黙っているのに、次ぎ次と「当ってる~」。

「何で分かるの?」

「そういう運勢が、ハッキリそういう卦が出ています」

「四柱推命ですか?」

「それが中心ですが、姓名判断と人相なども加味して」

驚く反面、コイツ何らかの理由でオレのこと知ってるな。
そうも思いました。

こうなったら、本格的に四柱推命を研究してみよう。
分厚い本を買ってきた。もう和泉ナニガシの新書版て
わけにはいかない。

これに嵌まったら時間が足りない。
いろいろと調べていったら、

 ・人も羨む出世を遂げる
 ・所属する組織を、思わぬ形で離れることになる

なんて、それぞれの年に起きることとして、出てきます。

 ・肉親、特に母親との縁が薄い

う~ん、当ってる。

身体の弱いところを調べたら
基本的に弱いところ 「腎臓」 とあります。

突発的に事故が起きる場所というのを調べたら、
「咽喉」ついで「左足」。

今になって改めて驚くのですが、それから後になって、

「腎臓」は機能停止となって透析患者となった。

「咽喉」は、十数年前になるが、突如ゴックンが
出来なくなり、水もビールも飲めなくなった。
あげく、声が出なくなって、一年半無声でした。
今も声帯の半分が麻痺状態にあります。

「左足」は、ある時期、痛風特に左の親指が痛んで
苦しんだ。今は痛風は無いが、神経痛で悩んでいます。

会社を作って六年目に大飛躍を遂げるのですが、
この年の運勢が素晴しく良い。

てな具合で、ボクに関する限り、四柱推命は当るとしか
いえません。
ここ十年ほど、全く診ていません。運命に身を委ねて
しまうことになりかねないから。


                 パパゲーノ



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【 飲茶(やむちゃ) 】

2006-08-30 22:25:00 | 11 美味いもん談義


ヒルメシにふっと思い立ち、よっし~&かなぶんぶん
を伴って、会社に隣接する神戸ベイ・シェラトンの
中華料理店に行った。

この店のヒルの人気のメニューは飲茶だが、こちらの
目的は「海鮮チャーハン」。一人前がやたらと分量が
多いことを知っているので、三人で二人前を注文。

ボクはこのホテルの会員になっていて、テニス同好会
の会長なんかに祭り上げられているから、三人行って
二人前だけなんて我が侭を聞いてもらえる。
もっとも滅多にやりません。

使用の油までヴェジタブルと指定したチャーハンは
思った通りに美味かった。

周りのテーブルは、これまた思った通り飲茶また飲茶。

飲茶の礼儀は、誰かがお茶を注いでくれるとき、右手
の人差し指と中指を揃えて、指先を曲げてテーブルを
トントンと叩く。
これは頭を下げることの代行行為で、お茶を次いでく
れる人への感謝のしるしです。

香港で商売をすると、たいてい飲茶になる。飲茶は
いわばブランチだからアサメシを抜いて10時ごろに
集まって、適当に女の子が運んでくる品を取りながら、
やたらお茶を飲む。

こんなとき、いちいち頭をさげて謝々なんていってら
れないから、代わりに二本の指で代行するのだと、
年齢差を越えて親友、いや親戚みたいだった余さんか
ら聞いた。

余さんは香港尼竜(ホンコン・ナイロン)という会社を
経営していて、親日の素敵な人だった。

余さんの話だけで、このブログの10枚ぐらいは書け
そうな、エピソードの多い人だった。


                パパゲーノ




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【 天丼 】

2006-08-30 22:20:00 | 11 美味いもん談義


戦前(正確には戦時中を含め)、「店屋物は取るな」
の父親だったから、どんぶり物を食べたことが無い。
戦後引揚げてきてからは、どんぶり物どころか、飯が
食えない。

学生時代、3~4年生は、税理士もどきで生活していた
から、1~2年生のような、どんぞこの貧困からは、
抜け出していたが、それでも「うどん屋」で食べるのは
「きつねうどん」で、天麩羅までは手が届かなかった。

ましてや天丼は、夢の世界の存在だった。

今は天麩羅うどんも天丼も、値段は変わらないが、
当時はまだ、うどんより白飯の方に値打ちがあって、
天丼は「うどん屋」メニューの中で、光輝くスター
だった。

何時の日にか、天丼を食ってやる。そんな身分に早く
なりたい。

思い出せないのです。天丼を何時、何処で食べたのか。
初めての天丼を、どこで食べたんだろう。

関西の「うどん屋」で出す天丼は、海老天が二匹だけ
乗っかっているだけのもの。

ドイツ勤務になり、しばらくしたら、デユッセルドルフ
に『日本館』という、本格的な日本料理屋が出来た。

A級戦犯の一人、昭和の妖怪・岸信介の秘書と称する
中村某が、多くの企業に協賛金を出させて作ったと
噂された代物。
一流の女子大出が、国際親善の仕事と騙されて、着物
着せられ仲居さんをやらされていた。

ここで食べた天丼は、東京スタイルだから、天麩羅各種
が盛り上がるほど乗っていて、飯の姿なんか隠れちゃってる。

あの天丼は美味かった。

その後、東京の有名天丼いろいろ食べて、そうなると
関西スタイルじゃ満足できない。

神戸そごうの新館2階に、『天一』が出店していて、
ごく偶に食べに行く。

食い物は上方が断然上だと言うが、こと天丼とうなぎは
文句なしに東京の勝ち。


                 パパゲーノ

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【 続 究極のカウンター・バー 】

2006-08-30 22:15:41 | 11 美味いもん談義

小さいし目立たないけど、珠玉のようなあのバーには 毎日のように立ち寄る常連客が居て、殆どが船場の 老舗の社長連でした。 運転所をその辺に待たして、一杯か二杯の甘露を楽しみ、 帰途につく。顔見知りと会うことがあっても、その二人が 一緒に飲むということにはならず、あくまでもマイペース。 それがこのバーを永続させていたんだと思います。 ヒラリーマンがいけるところじゃない。 前編で、普通のゴブレットとうっかり書いたが、世界中 の名品の中から選び抜いた逸品ぞろいと訂正しておきます。 あの店を教えてくれたのは、ひょんなことで知り合った その名も美甘と書いてミカモさんと読む。 ミナミに大きな銭湯をやっていた父上が亡くなって、 兄弟3人が誰も後を継ぐ気がなく、売却したら凄い遺産 分けとなった。なにしろミナミの繁華街のまっただ中の 銭湯。銭湯ってのは広い土地が必要なんです。 その地で育って、あちこちの飲食店に友達が居る。 詳しいわけです。 京都の御茶屋に飲みに行こうと誘いに来て、わざわざ 新幹線のグリーンに乗る。そんな人でした。                パパゲーノ

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【 神戸餃子 】

2006-08-30 22:10:00 | 11 美味いもん談義


神戸には中華街もあり、餃子店も数多くありますが、
本当に美味しいとなると、矢張り限られてしまいます。

神戸の美味いモンは、老舗の旦那衆に聞くのが一番と、
元町4丁目辺りの店主の何人かに聞いて、その店を教えて
もらった。

「そやけど汚い店でっせ。それにアイソの悪いこと。何しに来たんや」
って顔されまっせ。

「美味いことはそりゃ美味い。雑誌なんかで紹介されとる店は、
ムカシは美味かったかしれんけど、有名になってからアキマヘン」

それがキッカケとなって、もう十五年ぐらい通っています。

相変わらず「いらっしゃい」なんて挨拶、聞いたことがない。
このごろ漸く、目でちらっと挨拶らしきことを。

カウンターに6人ぐらい。ガタガタのテーブル三つに10人かな。

餃子の他にラーメンと定食も出す。近くの会社員なんかが
昼飯に来るんです。

「入りでっか? ヌキでっか?」

ニンニク入りと、抜きとがある。

「入りを4人前と、ビール1本」なんて注文が出来たら、
この店の常連ということになります。

追加注文は、飲み物以外は一切受け付けない。
いったん勘定をすませて外に出て、また入りなおさなきゃダメ。

ホント汚いし、愛想なんてカケラも無いが、やっぱ神戸の餃子と
なれば、ここ「大学」です。


                パパゲーノ


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【 世にも不思議なオペレッタ 】

2006-08-30 22:05:57 | 02 華麗な生活

去年の2月〔ニューオペラシアター神戸〕の公演 がアルカイックホールで行われ、6日のマチネー に行きました。 いつもと違って開演20分前に漸く入場が許され たら、ロビーではすでに弦楽四重奏がアイネクライネ を演奏しており、今日の舞台に立つであろう8名の バレエダンサーが、ハプスブルグ調の赤いドレスを まとい、仮面をかぶって踊っていました。 ファルケに扮した男性が待機していてナニゴトかが 始まりそうな雰囲気がする。 と、今日の特別出演者〔池乃めだか〕がフロッシュ の扮装で酔っ払いの風体で現われる。わめきながら ダンサーたちに襲い掛かり抱きつく。こころは吉本 新喜劇そのものです。給仕の衣装の3人が取り押さ え、ファルケが観衆に呼びかける。 「酔っ払いは取り押さえました。さあ皆さんお席に お着きください」 こうして誠に不思議なオペレッタ「こうもり」が 始まりました。序曲も無しに幕が開いたら、舞台は まだ片付いていないし、オルロフスキー公爵の晩餐 会に招待されたとおぼしき衣装の二人組みが次々と 舞台を通りすぎる。 ファルケが登場し今日のオケを指揮する井村誠貴も マエストロ・イムラスキーという役で花道から登場 します。ファルケとの短いやりとりがあってここで 漸く序曲が始まった。 驚いたことにピットではなく、舞台の奥に5段高く しつらえた壇上にオーケストラのメンバーが陣取っ ていて、特に女性団員はそのまま舞台に立ってよ さそうなハプスブルグ調の衣装を身につけています。 相当に意表をつく演出でした。(演出:井原広樹) 二幕が始まって公爵のパーティーの場面となり、 オーケストラがそのままパーティーのための楽団 として参加している形となる。23組がワルツを 踊り、例の8名が場面場面で出てくる。オケの メンバーも舞台衣装だから、その華やかなこと。 最大80名を超える彩やかな出演者の動きは、本場 フォルクスオパーを凌ぐだろう。 三幕の主役といっていいフロッシュを池乃めだか が演じるのが今日の呼び物の一つだったが、吉本 から幾ら賛助金が出たのか、ちょっと露出度が多す ぎたのでは。本職の喜劇役者だから、それなりに 面白いけど、2階正面最前列のボクの席まで台詞 が良く聞こえない。 本来は歌なんか唄わないフロッシュだが、めだか が歌いたかったのか「帰れソレント」を歌い意表 をついた。ケチをつけるわけではないが、声量は 無いし所詮は素人芸。 まあオペラ歌手と比較するのが間違いで、めだか 健闘と称えることにしておきます。 二幕のフイナーレを飾るのに欠かせないはずの ポルカ「雷鳴と稲妻」の縦列ダンスが割愛されて いて、ボク的には不満が残るところ。あのダンス こそが、このオペレッタのハイライト。 相当に体力を消耗するダンスを踊り終えて、全員 が倒れこむのを、公爵の一喝でアンコールに挑む のが楽しみだったのに。 こうして、世にも不思議なオペレッタ「こうもり」 を、変わっちゃいるけど楽しんだ。                  パパゲーノ



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【 究極のカウンター・バー 】

2006-08-30 22:00:00 | 11 美味いもん談義


あの店は今もあるのだろうか。

大阪ミナミにそのバーはあった。
カウンター5~6席だけの店を兄妹がやっていた。

カウンターに座ると、目の前に素晴らしい世界が・・
150個はあるだろう。様々な形のグラスの数々。
みんなピカピカに輝いている。

う~んと、今日はどのグラスで楽しもうか。
そう、この店では、まずグラスを選ぶのです。
そのグラスにピッタシの酒を、バーテンダーが
勧めてくれる。

ごく普通のゴブレットには矢張り水割り。

目の前で氷の塊をカチ割って、グラスに満たし
チンチンに冷えたところで、その氷を惜しげもなく捨てる。

あらためて、氷のカケラをいくつか入れて
その上からウイスキーを注ぎいれ、水を加えて静かに
かき回す。

ただそれだけの水割りが、どれほど美味いかはボクの
筆力では表現ができない。

「う~ん、美味い」うなるようにお代わりを頼むと・・

新しいゴブレットを取り、同じプロセスで・・
決して2杯目ではなく、まったく新しい水割りが。

あの店には、滅多に人を連れてはいかなかった。
お代金は、同行者が考えただろう金額の5倍はした。


                パパゲーノ


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【 落としちゃった 】

2006-08-30 21:55:03 | 04 時事ニュース


むかしむかしのおハナシ。

新しい年のお祝いを配ってあげようと、

神様がプレゼントをいっぱい持って、

空を飛んだ。

あちこちに鉄鉱石とか、石炭とか、金の鉱石とか

配りまわって、

北の方に飛んできた。

四つの島を中心とする国が左の方に見えたが、

あそこは後回しと、

神様は北上を続けた。

あまりの寒さに神様の手は凍え、

思わず両手をこすり合わせた。

とたん、持っていた資源のほとんどを

そこで取り落としてしまった。

ちょうど北方四島からサハリン、

そしてシベリヤ上空を、

高スピードで飛んでいるときだった。

さっき見た、四つの島からなる国への

プレゼントが無くなってしまった。


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【 ポジションが人を作る 】

2006-08-30 21:50:00 | 11 美味いもん談義


顔の利くホテル・バーに久しぶりに顔を出した。
入った途端、最近抜擢されたチーフ・バーテンダーに、
ある種の威厳みたいなものが付いたと感じた。

このホテル、昨年後半に経営母体が代わり、人事面でも
多くの変革があって、ようやく30才に届こうかという
カレがチーフに抜擢されたのだ。

ソムリエとしても優秀で、カクテル部門でも全日本の
1~2位を争う好成績をコンテストであげているほどの
実力者だけど、先輩のこれも優秀なバーテンダーが
居た間は、とかくその先輩に頼るところが見えていた。

先輩が独立して自分の店を持ち、自分がホテル・バー
の顔になったと自覚した途端、カレは目覚めたのだろう。

地位が人を作る。まさにその典型を見る思いがした。


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【 面食いがゆえの悲劇 】

2006-08-30 21:45:36 | 02 華麗な生活

これは前編に続き。

タイプじゃない子たちに、いくら騒がれようと、何の
意味もない。そんなのを「もてる」とは言わない。

生来の『面食い』で、綺麗な子、それもボクのタイプの
子ばかり追っかけてきた。

ボクの悲劇。

相手もまた『面食い』だった。


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【 再び台頭する北の脅威 】

2006-08-30 21:40:00 | 04 時事ニュース


プーチンが登場したときから、すでに懸念があった。

チェチェンに対する強硬軍事活動で国民の支持を得て
大統領となった不気味な男。

ゴルバチョフのペレストロイカから酔いどれエリツィン
の期間は、ソ連崩壊後のロシヤが自信を喪失する一方
で、ソ連時代の兵器の殆どが時代遅れの使い物にならぬ
スクラップ同然のものとされていた。

帝政ロシヤから続く北の白熊の恐怖は去ったかに見えた。

エイツィン時代にロシヤ経済をほしいままにあやつった
マフィアたち。次々と処理されて本当の民主国家に成長
するのかと見ていたら、どうみても今のプーチン路線は
帝国主義への復帰としか見えない。
このままロシヤ覇権主義を黙視していたら、ソ連邦再編
なんてこともあり得る。歴史は繰り返すから。

世界的な資源の高騰、特に石油の値上がりがプーチンを
支えている。プーチンを始祖とする新たな王朝ができる
かもしれない。

盛田さんの一件は、単なる過剰保安活動なんかじゃない。
ロシヤの本性が垣間見えた事件である。

1945年8月15日、日本は敗戦を受け入れ戦火を
交える場所はなくなった。
その後で、たしか19日になってから、北方四島にソ連
軍がやってきた。戦う意思を捨てた日本軍に一方的な
銃火を浴びせ、シベリヤに連行して強制労働に就かしめた。

世界の歴史に無い暴虐である。同じことは旧満州国でも
行われ、まだ11才でしかなかったボクも、その一端を
眼の奥に焼き付けている。
それにしても、田中真紀子はとんでもない外相公式発言
を行ってくれたものである。四島一括返還以外はあり得
ないと。

橋本・エリツィン間で、二島先行返還の筋道は確定して
いた。何も残る国後・択捉を放棄したわけじゃない。
先ずは歯舞・色丹を返還する。それがより現実的なこと
と両国は合意していた。
一人の政治家が、それも素人同然のバカ女が外相の地位
についた途端、外交ルートを無視して一方的な発言。
これでロシヤ外務省はキレタ。

今回の拿捕・死亡は、マキコというバカが居なかったら
起きずにすんだ。


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【 「もてるって意味は?」 】

2006-08-30 21:35:56 | 02 華麗な生活


頭の中身が幼稚だから、黙っていたら実年齢より
10+α 若く見られている。

50代半ばでは40才、40代半ばなのに30ちょっと
と思われてきた。

意外なことに「もてるでしょう」と結構よく言われる。
さて「もてる」って、どんな状態を言うんだろう。

皆もそうだと思うんだけど、人それぞれタイプってもの
がある。
タイプじゃないのに、好意を寄せられたって、ちっとも
嬉しくはない。ただ迷惑なだけ。

ボクの極めつけのケースでは:
高3になって、新しい年生が入学してきて、高校に初めて
マンドリンクラブが出来た。
その中の一人に心を奪われました。

ある日の放課後、図書室にいたら、目指すその子が
やって来て、紙切れをボクの机において立去った。

開いてみたら「競馬場で待ってます」
ヤッタぜ! ボクは心が通じたんだと有頂天になった。

元は競馬場だった空き地に行ったら、そこには二人の
女性徒が待っていた。

一人は例の子なんだけど、もう一人は知らん顔。
「じゃあ、頑張ってね」
ボクの天使は羽を翻して去って行った。

綺麗な子は非情である。


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【 自慢話 】

2006-08-30 21:30:00 | 02 華麗な生活


昨日のことである。金曜日だから午後透析クリニック
に行った。午前の部の患者たちがまだ残っていて、
入れ替えの時間待ちが10分ぐらいある。

透析を終えた午前組の一人が、何を思ったかボクの隣
に座り『腎友会』についてしゃべりだした。

「小林さん、あんた腎友会に入ってんか」

「とっくに入ってるよ。もう9年にもなる。あんたこそ
入会しとらんじゃないか、早く入れよ」

「えっ! もう入ってたん?」

「当たり前だろう、せっかくの全国的な組織だ。おかげで
腎透析患者は他の難病患者より優遇を受けている」

「このクリニックの会のことじゃなく、県の組織の役員
になってぇな」

「あんたこそ若いんだからやれよ。ボクは無理だな。
まだ現役で働いているし、今は脊柱管狭窄で足腰に痛みが
あるし、だいいち年齢がもう○○だぜ」

ここでこの男、まるで役者の名演技のごとくのけぞった。

「え~っ! ウソだろう?」

「いや残念ながら、そういう年齢だ」

「せいぜい60才にかかったか、まだ50代の終わりかと
思ってた。驚いたなぁ~」

「あんたなんかボクからみたら青年だ。オイ!青年よろしく
頼むぜ!腎友会のこと!」

皆さんにはとっくに実年齢バレてます。バレるようにハナシ
を書いている。

だいたいは60才代の前半、63~4に見られているんです
が、たまにこんなことがある。

検査なんかで普段は行かない病院に行くと、必ず途中でカルテ
を眺めながら年齢の再確認を受けます。

パパゲーノ、みっともない。自慢話はみっともない。
わかっちゃいるんですけど、ちょっと気分が良かったもんで。


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【 双子座ゆえの哀歓 】

2006-08-30 21:25:51 | 02 華麗な生活

ボクの身体の中に二人のボクが住んでいる。

二人の性格はまるで違う。

一人はどうしようもない遊び人で、パパゲーノの
名前の通り、拘束されたり命令されたりが大嫌い。
森の中で日がな小鳥を追い、一日のパンとワインを
得れば大満足。

女の子が欲しくってしょうがない。
「ねえ、誰かボクと付き合ってよ」

良いところまで進展して、イザとなったその時、
待ち構えていたように片割れが登場する。

「妙なことやめとけ、さあオトナシク家に帰ろう」

この優等生で堅物の片割れに、どれだけ恋路を邪魔
されてきたことか。

憎さも憎し、もう一人のボク。


                 パパゲーノ



 



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