作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

歴史・エッセイ・小説・時事ニュース・・・なんでもござれのブログです。どうぞよろしく。

【 理想的な試合運び 】

2008-07-20 11:51:11 | 10 我ら猛虎党

このところの阪神タイガース。
先発投手が健闘するのに、打線の弱さが目立っていた。

やはりホームランが出ると、得点力が違う。
いい場面で鳥谷と高橋のスリーラン、ツーランが出て、
これが理想だと、かねて思っていた試合ができた。
それは六回からの四イニングを、渡辺と江草で締めること。
そんなゲームがやっとできた。

毎日のようにJFKに頼る試合運びは感心できない。
リリーフにあと一枚が欲しい。

オリンピックで矢野が抜ける。
野口に頼るのをやめて、新進の捕手陣から二枚を一軍に
と望む。狩野の復活があれば、一番いいのだが。
浅井はもう捕手を外れたのか。せっかくの先発起用が、
今日のような選球眼では困る。

桧山のクリーンヒット(二塁打)は、たしか七打席ぶりだった。

フォードは打点こそあげたが、あいかわらずフォームが窮屈
で、とても将来性が高いとはいえない。
このまま桜井を腐らせないでほしい。

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【 初めての胃カメラ 】

2008-07-19 15:57:14 | 02 華麗な生活

自慢じゃないが、生年が昭和9年だから、74歳になる。
胃カメラを呑んだ経験がなく、透析の場で、そのことを
口走ったのだが、ナースたちがカン高い声で大騒ぎし、
ボクはそんなタイヘンなことなのかと、驚愕した。

「四十歳になったら、胃カメラ」が常識らしいが、ボクには
よほど常識がないのだろう。
てなわけで、近々居カメラを呑む破目となった。

「もし、ガンが見つかったらの話だけど」と、ボクは婦長さんに
依頼した。手術や抗がん剤なんか受けないよと。
直ちにモルヒネの用意をして欲しい。今まで何の異常もなかった。
今だって毎食が美味しい。酒もやめたし、タバコは最初から
身につかなかった。痛みや胃酸過多なんか感じたこともない。

それでもガンが見つかったなら、こっちの寿命とガン細胞の
増殖力との勝負だ。

ついでだから、その後で大腸も診てもらおうと決めた。
ポリープなら昔からある。一個で良性だと聞いている。
同じことを三度言われた。毎回同じ話だから信用ができる。
もし大きくなっていたりしたら、今度こそ切除してもらおう。
検査に使うチューブの先にハサミを付けての手術のはずだ。

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【 明治王政復古と公卿たち (歴史エッセイ 77) 】

2008-07-19 15:51:43 | 05 歴史エッセイ

王政復古とは、武家に任せていた政治主権を、本来あるべき
天皇親政に戻そうという意味である。

さぞかし藤原の流れを引く公卿どもや、女官たちが姦しく天皇の
周りに集まって、勝手気ままを言ったと思いがちだが、これが
意外とそうじゃなく、三条実美と岩倉具視ぐらいしか、政府の
中枢に出てこなかった。特に五摂家はすべて、おとなしくしていた。

三条実美は、早くから長州藩に担がれ、例の七卿落ちの筆頭に
挙げられる人物。新政府の首班の地位を占めたが、たぶんに
看板に据えられただけと思う。家柄は清華家の一で、太政大臣に
になる資格はあった。

これに対し、岩倉具視の家格は低い。策士の感が強く、嫌な男
である。孝明天皇は徳川家茂と仲が良く、松平容保も信頼されて
いた。岩倉は当初は公武合体派で、勤皇の志士たちから奸物と
して、命を狙われていた。

孝明天皇が存命である限り、討幕は難しいと思われていた。
天皇は急死する。毒殺説がもっぱらで、その犯人は岩倉と世間
は思った。ボクもその説に加担する。

西郷・大久保に接近することで、過激派に鞍替えした。鳥羽伏見の
戦いに、錦の御旗のアイデアを出したのも岩倉だと言われている。

最後には西郷を見切り、大久保を支えた。岩倉使節団を率いた
ことで、初志貫徹の成り上がりを果たした。

余談になるが、カン告知を初めて受けた日本人でもある。

下級公卿の活躍をよそに、近衛、鷹司、九条、一条、二条は
政権中枢から遠ざかり、近衛が首相になったのは、昭和軍閥が
天皇の命にも服さぬまで増長した時期であった。

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【 佐賀藩士 (歴史エッセイ 76) 】

2008-07-19 15:14:12 | 05 歴史エッセイ

司馬遼太郎さんの『街道を行く』シリーズの中で、
佐賀県について、「佐賀はな~んもなか」と自虐的な
土地の人の言葉が出てくる。

徳川末期の佐賀鍋島藩は、嘉永年間に製鉄所も、
蒸気機関も開発し、慶応2年にはアームストロング砲
を自力開発して、4門も備えていた、日本で最も工業の
発達した藩であった。

アームストロング砲の威力があったからこそ、上野の山に
立て篭もった彰義隊は、雲散霧消となるのである。

この佐賀が、倒幕の功労藩、薩長土肥の肥に当たる。
明治の元勲の中にも、佐賀藩士が異様なほどに多い。
中で初代枢密院議長で、日本赤十字社を起こした
佐野常民と副島種臣の二人が、天保の前の文政に
生まれた人だが、大木喬任、江藤新平、大隈重信が
それぞれ天保3年、5年、9年生まれである。

新政府の樹立に功があった薩長土肥の、それぞれが
大久保利通による、強権政府が出来るや、反政府の
運動を起こすのだから、人の和は難しい。

特に江藤新平は、自らが制定した法律によって、処刑
される憂き目にあった。

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【 幕府方は (歴史エッセイ 75) 】

2008-07-13 18:39:00 | 05 歴史エッセイ

孝明天皇は徳川家茂を支持する立場の方だったし、
誰よりも京都守護職に任じられた松平容保を信頼して
おられた。
会津藩は、藩祖保科正之の幕閣に於ける特殊な立場まで
持ち出され、仕方なく京都守護職を引受けざるをえなくなり、
明治維新の革命期に、孝明天皇の信頼を得ながら逆賊の
汚名を着せられる悲運にあった。

孝明天皇は天保2年、松平容保が天保6年、そして徳川慶喜
が天保9年である。

会津を攻めた官軍ほど酷い軍隊は日本の歴史の中でも異例で
あると断じたい。一藩を挙げて津軽の不毛の地に移すとは、
あってはならぬ蛮行である。

会津藩がそこまでの惨状を味わうことになった原因が新撰組で
あろう。日本史に類をみない殺戮集団である。こんな徒党を
美化してドラマにする輩の性根が理解できない。
近藤勇が天保5年、土方歳三は一つ下の6年である。

池田屋の犠牲者、吉田稔麿天保12年。

徳川十三代は家定だが、脳障害者であった可能性が高い。
そこへ薩摩から嫁いだ篤姫が天保6年である。薩摩では小松帯刀、
五代友厚と同年となる。

京都見回組の佐々木只三郎、天保4年。山岡鉄舟天保7年。
小栗上野介、天保6年は陸軍奉行の役を返上し恭順の意を
現わしていたが、僅かな家臣ともども斬首の刑にあった。
あれも官軍の行き過ぎ。対して海軍奉行、榎本武楊天保7年。

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【 土佐の志士たち (歴史エッセイ 74) 】

2008-07-13 17:57:24 | 05 歴史エッセイ

薩長土肥と称されることが多いが、土佐の藩主、山内容堂は
最後まで徳川にも色目を使った日和見の愚物で、そもそも山内と
いう大名自体、初代の一豊がロクなヤツじゃない。
上杉征伐にかこつけて、豊臣の諸大名を筆頭大老の権威で率い、
狙いどおりに石田三成挙兵となり、小山での会議の場で、家康の
機嫌取りに掛川城を進呈すると言った、その言葉だけで土佐の
大領を得ただけの、まことにショウモナイヤツ。

幕末に土佐の名を高めたのは、いずれも土佐藩を脱藩した、
元をただせば長曽我部の遺臣の末裔であった。
新撰組などの犠牲になった者も、土佐脱藩浪士が最も多い。
倒幕後「良い目」を見た者には、岩崎弥太郎をはじめ、勤皇の
志士なんかいない。

土佐といえば、まずは坂本竜馬と中岡慎太郎だが、それぞれ
天保6年と9年生まれ。家老職の後藤象二郎が天保9年。
先に出た岩崎弥太郎は、天保5年だが、地下浪人と呼ばれた
最下層階級の出身。うまく海援隊の残したもので世に出た男。
板垣退助は天保8年。明治になって汚職の噂絶えなかった
田中光顕は天保も最後の14年生まれである。

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【 薩長の志士たち (歴史エッセイ 73) 】

2008-07-13 17:41:13 | 05 歴史エッセイ

幕末の倒幕運動の核となった勤皇の志士たち、
彼らのイデオロギーの源泉であった松下村塾の吉田松陰が
天保元年の生まれである。
長州閥の中心、桂小五郎が天保4年、高杉晋作は天保10年、
久坂玄瑞が天保11年となる。
奇兵隊の山県有朋が天保9年、赤根武人も同年の生まれ。
倒幕がなった後のフルーツを大いに食らった井上聞多と、
伊藤博文はそれぞれ天保6年と12年。二人の間は意外に
開いている。その間に明治の元勲にはい登った山県の9年が
いるわけで、この三人は汚職をむさぼった点でも長州閥の名を
高めたとも言える。
禁門の変の敗戦の責を負った、国司信濃は天保13年と若い。

薩摩に入る。家老の小松帯刀が天保6年。西郷隆盛は文政10年
だから、元年生まれの大久保利通よりも三歳年長者。
黒田清隆が天保11年、西郷の弟従道が天保14年で、二人の間は
なんと16歳もの差がある。これじゃ西南の役で敵味方に別れても
仕方がなかったか。
西南の役といえば、実質上の旗振り役、桐野利秋が天保9年。
日露戦争の陸軍総帥、大山巌が天保13年。
井伊大老を桜田門外で討ち取った水戸浪士に、薩摩藩から一人
加わった、有村次左江衛門は天保9年で、桐野と同年であった。
薩摩出身者では珍しく財界人となった五代友厚が天保6年で、この
人は初代大阪商工会議所会頭である。

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【 天保時代 (1) (歴史エッセイ 72) 】

2008-07-13 17:36:05 | 05 歴史エッセイ

明治以降は天皇一代に一年号となったからいいが、
江戸期から、はるか古代に遡って、年号は度々改められた。

江戸の後期だけを連ねてみても、
天明ー文化ー文政ー天保ー弘化ー嘉永ー安政ー万延ー
文久ー元治ー慶応ー明治と続く。

天保といって、すぐに頭に浮かぶのが「天保の大飢饉」で、
天保3年に始まった、冷夏と洪水による凶作で、天保年間は
「天保の改革」に乗り出した水野忠邦の失脚に終わる14年
まで続いた。

庶民にとって、全く無策の幕府であり、大塩平八郎の乱まで
起きた。どうしようもない時期であった。

が、この年間に生まれた逸材たちが、倒幕運動から明治維新
にいたる大革命の中で、それぞれの立場から大活躍を行って
いる。農作物は凶作であったが、人材はまことに豊作であった。

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【 なんと日本史コーナーにも 】

2008-07-13 17:30:25 | 02 華麗な生活

例の「吉良の仁吉」の書店めぐりレポートに、
大手町ビルの紀伊国屋書店の展示箇所について、
ボクの第五冊目となる最新刊『ブラック?ホワイト?』が、
新刊コーナーの他に日本史コーナーにも置かれていると
あって、もうビックリ。
あの本で、ボクは聖徳太子の時代に遡って、日本に存在した、
少数の特権階級(ホワイト)と、被支配の大衆(ブラック)を当然と
する聖徳太子を批判し、
「和をもって尊し」とは特権階級の談合体質に他ならぬとも書いた。
律令制ほど、ブラックにとって迷惑な制度もないとも書いた。
だって、名の通りの規律と命令のホワイト用の制度じゃないか。

ボクがかねて書いていた「歴史エッセイ」だが、
今日検索してみたら、ヒット数が201万にもなる中で第一位を
保っていたことに深く感動した。
時折、あれの続きを書けという人がいる。
最終稿が、去年の6月17日で、第70話で終わって一年以上。
それを第一位にしてくださっている読み手の皆さんのためにも、
頑張って続きを書く努力をします。

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【 書店情報 】

2008-07-12 13:55:00 | 02 華麗な生活


東京とその周辺には、年賀状を交換する相手が百人を超す。
なかで「吉良の仁吉」は別格の人で、松戸の在から毎日のように
東京へ出てきて、ボクの著書の展開を見て回ってくれている。
有難い人がいたものである。

昨日もレポートをもらった。
丸の内にある、丸善本店で、ボクの著書5冊の展示位置が変わり、
以前よりも見やすい位置に出てきたとの情報。
中央通路から一番手前で、城山三郎、半村良、幸田真音などの
大家と共に、五冊全部が平積みで、露出度が高いとのこと。

執筆中の六冊目が、三分の二まで書き上げ校正もほぼ完了。
初めて書く「三十二歳のキャリアウーマン」を主人公とする本だから、
女性経験に乏しいボクには、とまどうことが多い。
一時はやめてしまおうかと思ったりしたが、よくよく読み返すと、
案外とイケている。社員たちも賛成するから、八月中には出版
しましょう。
丸善の方々にも感謝多々です。

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【 神のチーム再び 】

2008-07-12 13:37:00 | 02 華麗な生活


七月に入って七連勝の後、雷雨を怖れての試合中止があり、
その翌日、下柳を継いだ江草の乱調で大敗。
これは決して悪いことじゃなく、おかげでJFKも渡辺も二日の
休暇を得ました。

巨人戦を一勝一敗のタイで終わり、休みなしの広島カープ戦。
このチームを久しぶりにじっくり見たが、なんとも良いチームに
生まれ変わっていて、栗原は見事な四番バッターに育ったし、
東出も高卒何年になるのか、明らかに成長の度合いが高いし、
タイガースから人的保障で行った二番センターの赤松が凄い。

もし残っていたら恰好のライトになっていた。喜田の姿が無い
のが侘しい。あのパンチ力でカープなら五番ぐらいが打てると
期待していたが。

先発の前田は、PLを出て二年目らしいが、コントロールもあるし、
なかなかの球威で、来年にもカープの大黒柱になるのじゃないか。
後から出てきた投手の中では、岸本が良い。永川が良いとの評判
だったが、ボクの目には相変わらずだった。もっとストレートを
混ぜないと、フォークだけじゃどんなもんだろう。

関本が決着をつけてヒーローになったが、ボクは同期入団の浜中
と共に入団時から目を付けていた。
平野が復帰したけど、二番の座は関本でいって欲しい。
平野は確かに上手いが、昨日もあったように、自分が取るべきか、
鳥谷に任せるべきかの、判断がつかんことがある。



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【 さすがは神のチーム 】

2008-07-07 08:46:46 | 10 我ら猛虎党

野球フアンなら誰もが思い描く、マンガのような奇跡。
それをタイガースがやってのけた。
4-2の勝ちムードを、上園と渡辺で同点に持ち込まれた。
4-4でウイリアムスがリリーフで出たが、不調で4-7と
逆転された。横浜は抑えの寺原。
それを九回表に8-7にひっくり返し得ると、誰かが本気で
思ったろうか。
二死後に関本と新井がタイムリー二塁打を連ね、兄貴が
ホームランを打てば逆転できる。
それが本当のことになった。金本は本当にレフト席に叩き
こんでしまった。
セ・パを合わせて12球団あるが、神がおわすのは阪神だけだ。

これで二位の中日とのゲーム差が11.5に開いた。
7月に入って6連勝無敗である。

落合はすでに頭を切り替えたことだろう。
ペナントレース終了後のクライマックスシリーズに。

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【 メリーウィドウ (5) 】

2008-07-07 08:42:24 | 02 華麗な生活

日が変わったが、まだ余韻が残っている。
あれだけの言葉を連ねたのに、何かが足りない。
衣装と振り付けにも触れるべきであったと知った。

あの空間を占めていたのは、まさに明治時代の
鹿鳴館のよみがえりであり、時期的にも大きく
ズレはないのじゃないか。
一幕目も二幕目も、開幕するとそこに50名以上の
歌手兼役者兼踊り手が妍を競っている。
あの華やかさについて、ついにボクは表現力を失った。

今日も何度も口にした。
佐藤しのぶに委縮することなく堂々と挑んだ並河寿美。
歌唱力において相譲らなかった大山大輔と健ヌッツオ。
あの大ホールに響き渡った声量たっぷりの歌手たち。
これからの人生に、こんな場面に再び遭遇することが
あり得るのだろうか。

ボクの長年にわたる自問自答に答えが出てしまった。
最後に一つのオペレッタを選ぶならどうしよう。
「こうもり」か「メリーウィドウ」か。
「こうもり」はもちろん「ウイーン気質」だって捨て難い。
だけど凄いものを見てしまった。
もうなんたって「メリーウィドウ」だ!

あのオケボックスの前にしつらえられた花道は、
最前列のA席を潰して作ったと知った。
ボクの席がC-27だったと言ったが、傾斜の緩い階段を
前から二列目まで降りてきて、すぐ横の席で、しかも更に
特典があったのだ。それは最前列になったB列の、階段の
両側が共に空いていた事実。万席の客席になんという奇跡。
だからボクは遮るもののないポイントから、佐渡裕の横顔を
見ながら、同時に舞台上も見ていた。

この作品には名曲が多い。その一つが男優たちによる
女へのワルクチ。「とかく女というものは(女・女・女)」
ダニロ以下の主な7名が花道に出てきてこの曲を演じた。
と思ったら、こんどは佐藤しのぶを先頭に女優の主なところが
右手から男優たちを追いやるように出てきて、同じメロディで
「男・男・男」を歌い、やはり強いのは女と誇示した形に。
目の前のオルガ役が、可愛かった。鈴木純子さんだった。




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【 東京竹葉亭西宮店 】

2008-07-06 12:24:45 | 02 華麗な生活

極楽の世界に導かれ、特等の極上席を与えられ、しかも特製の
花道がまさに目の前にある。
佐藤しのぶも、大山大輔も、健ヌッツオも、そこを通る。

こんな素晴らしい空間に浸ったからには、晩飯だって合わせないと。
そこで西宮の酒蔵通りにできた東京竹葉亭に行った。
注文したのはうな重の楓。三つの位の中の真ん中である。
このうな重の美味さが、また表現を超える上物であった。

この日、08年7月5日は、ボクにとって記念日となりそうである。
ジュライ・フォース(米国建国記念日)の翌日である。




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【 メリーウィドウ (4) 】

2008-07-06 12:18:50 | 02 華麗な生活

佐渡裕の挨拶にある。
県立芸術文化ホールの大中小ホールを使って、
あらゆる種の関西芸能を取り上げてきた。
メリーウイドウは、そうしたものの総結集と位置付けた。
だから関西文化の象徴、宝塚と上方落語の代表として、
平みち、桂ざこばの両名を、露出度高く使った。

変わった開幕スピーチと先に述べたのは、ざこばの出演をいう。
この喜歌劇には元々狂言回しの役が居る。
ポンテヴェドロ国のパリ大使館に勤務する下級官僚ニエグシュで
ある。今回はニエグシュの役を、桂ざこばにやらせた。

この趣向は悪くない。ざこばは悪声というかダミ声で、しかもカム人。
大勢の笑いを取り本人も満足げであったが、せっかくの美しい声の
集団の中で、あの濁った声はどうなんだろう。
上方落語の世界なら、南光や文珍を起用した方がはるかに良かった。

二幕仕立てと言ったが、実は三幕目があった。
そのすべてがアンコールのために使われた。
佐藤しのぶの「ヴィリヤの歌」を生で聴くだけで値打ちがある。
それを含めて、まことに華麗きわまるアンコールの数々。
これはまさに劇団四季の世界で、観客の多くがスタンディング
オーベーションとなる。すぐ後ろの席から「健ちゃ~ん」と黄色い声が
飛ぶ。

それにしても佐渡裕は格好がいい。男として羨望を感じる。
アンコール場面だから、佐渡も舞台に登る。ダニロと同じ衣装となり、
メリーウィドウワルツの一曲も踊りかける。
佐渡が抜けたコンダクターをざこばが埋めて拍手喝采だったが、
やはりあのギクシャクした動きが気にいらない。

ざこばが果たした、よかったこと。それはデイゲームで行われた
横浜球場での、タイガースの戦況を二回述べたこと。
「いま5-0で勝ってまっせ」
「いまは7-0になりましたわ」
土地柄、観客はどっと沸いた。




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