作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

歴史・エッセイ・小説・時事ニュース・・・なんでもござれのブログです。どうぞよろしく。

【 15日に投稿した「腎臓病」の続き 】

2012-02-16 15:21:42 | 09 透析生活15年目

さて、麻酔が効いて延々18時間。夢(悪夢?)の中で、
ボクは何故か
家来を多く持つ武将になっていた。
どこかで、近江の国に出陣じゃ、との声を聞いた。


近江といえば、姉川の合戦かと思う。
しかし夢に見た川は狭く、姉川とは思えない。


ならば時代が遡り、大友皇子と大海人皇子が天智帝の跡を
争った壬申の乱の戦闘
場所であった、藤瀬川かと思える。

だが壬申の乱に前田を名乗る者はいない。

向こう岸に現れた武者は、確かに前田の手の者といった。
前田利家の家中に違いない。

前田家の重臣と思える甲冑武士は、ボクに膝まづいて
丁重な口を利いた。

前田利家が、丁重な物言いを家臣にさせる者は、
史上三人しかいない。

信長・秀吉・家康の三人だけである。

はて
信長が自身で近江に陣を張ったことがあっただろうか。
おそらく無かった。

ならば秀吉か家康の二人しか残らない。
この二人とも、ボクは大嫌いなのである。


利家は家康と敵対こそすれ、陣中で丁重な物言いを
家臣にさせる間柄ではなかった。

じゃあ、ボクは悪夢の中で、秀吉に成っていたのだろうか。

そこまで考えて、ふっと目が覚めたら、身を乗り出して
ボクの眼を見つめる目玉が目の前に
あったのだ。
驚いて当たり前だろう。
しかし何故秀吉だったのか、疑問は残る。


☆前回の記事を読む⇒腎臓の機能を失った私ですが≫




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【 腎臓の機能を失った私ですが 】

2012-02-15 11:18:11 | 09 透析生活15年目

私は昭和9年生まれの77歳ですが、誰からも実年齢より
10歳は若く見られており、現に今も硬式テニスを続けています。
テニスで最も難易とされるバックボレー、それもネットから離れて
守備範囲を広げ、相手のボールに備えるのを特意技としています。
つまり反射神経には、すぐれていると自負しているのです。


腎臓は幼児の時代から弱いと指摘され、小学・中学と病弱児
として知られていました。
95年に神戸を襲った直下型の激甚地震で電車路線も失われ、
道なき道を探りながらのマイカー通勤のストレスは言語を絶し、
それが原因で人工透析を週に三回受ける身体になり15年が
経ちました。


透析生活が始まり、元々病弱児だった私が、心身の鍛錬にと
始めたのが硬式テニスです。
クラブの仲間から「やり過ぎ」を注意されながら、自分でも確かに
やり過ぎだと意識した時はすでに手遅れでした。


ある日突然、腰から脚にかけて強烈な痛みが走り、立つことも
一人では出来なくなってしまいました。


腰部脊柱管狭窄症と診断され、しかも相当な重症とのことで、
多くの病院訪れたけれど、手術は無理といわれました。
個人経営の整形外科で週に一回の、神経ブロック注射で
誤魔化しながら、インターネットで「黄金の腕を持つ外科医」を
探す毎日でした。


09年5月に知りえた先生が名医で、たった一時間半の手術で
完治という幸せを頂きました。
ただ麻酔の先生の判断で多量に過ぎた麻酔薬で、翌朝の4時
半まで昏睡状態が続き、夢の中で例の川の岸辺にも立って
いました。


夢の中のボクは、不思議なことに立派な武将になっていて、廻り
には多くの将兵がざわめき、侍女なのか女どもも多く従えて
いました。
突然一陣の雲に覆われ、気がついたら誰もいなくなり、うっすら
と見える彼方に川が。
その川を渡りかけた時に、向こう岸に一人の武者が現れ、
ひざまづいて言った。
「あいや、お待ちくだされ。この辺り一帯は我が前田の手勢に
よって成敗してござる」
もはや、御自らこちら側にお渡りになるのは及びませぬ。


と、その時に、夜勤のナースがボクの様子を見に来て、顔を
近づけていた。
目を覚ますと、そのナースの二つの眼が、まさに眼の前にあった。
ボクも驚いたが、ナースも驚愕したと思います。
おかげで、例の川を渡ることなく、現世に舞い戻った。


多量に過ぎた麻酔薬による、多機能障害に悩まされる、想定外
の体験については、小林真一と入れるだけで、グーグル検索
でトップに出てきます。
その中の「多機能障害からの生還」に、詳しく書き込んであります。


身体障害者一級に認定されて15年。週三回の透析は、
11~14時半。
そんな身体ながら、毎朝八時半には出勤、ブログを打ち、
小説を書き、休日にはテニスを愉しんでいます。


08年には世界最多作家としてギネスブック認定も受けました。

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【 脊柱管狭窄症 】

2010-11-09 11:46:14 | 09 透析生活15年目

ボクが当事者であり、かつ人工透析患者を
14年も続けているからなのか、高齢者で
腰に痛みを抱え、足を引きずりながら歩行
する人を多く見る。

整形外科も多いし、整骨院の類もまた多い。

ボクは五十代から腰部にヘルニヤの症状が
あったのだが、相談した医者がスポーツジム
に通って背筋を鍛えれば、こんな所に来るより
マシだと言ったので、それに従ってジムに行き
そこのトレーナーから背筋にはテニスが良い。

で、透析に入ったばかりで、落ち込みそうな
精神とそれを支える肉体の鍛錬にとテニスに
打ち込んだ。
真夏に連続38日、真冬の強風の中での連続
43日の記録は未だ破られていない。

無茶のし過ぎである。分かっちゃいたけど止め
られなかった。

あれはもう五年半も昔のこと。
突如尾てい骨の辺りに激痛が来て
歩けなくなった。

整形外科を何ヶ所も訪れた。
不要なはずのレントゲン、CT、MRIを随分撮った。
他所で撮った写真は、総合病院では無視され、
そこで新たに撮られた。何故? 点数稼ぎだろう。

一本打たれただけで二度と御免と言われる
神経ブロック注射を三年半にわたり毎週一回受け
当初は痛みのあまりにベッドでくたばっていた。

透析患者は、手術がタイヘンだ。
手術に関係なく透析は続けないといけない。
透析中に注入するヘパリンが血液の流れを
良くする。
つまり手術には要注意となる。
凝固が遅くなるから。

殆どの整形外科医が、手術に反対だった。
たぶん痛い思いをするだけで完治はしませんよ。

インターネットで必死に探した。
その苦労があって、名医にめぐり合えた。
手術が行われたのが、去年の5月13日。

一番注意を受けたのが転倒しないこと。
それを、いったい何度転んだことやら。

耳の速い介護業者が飛んできて介護タクシー
なるものに乗せられる破目に。
それで人工透析を毎週三度だ。

介護タクシーの実体は、荷物用のバンに
車椅子ごと乗せられる代物だ。

運転が荒いことはないが、本来荷物車だから
手術したての患部に響くことおびただしい。

こんなモノに乗れるか。
怒ったボクは介護業者を追い返し、地元の
タクシー業者と交渉。乗り心地が全く違う。

リハビリも強制されていた。
だが、あんなものより、水中ウオークの方が
はるかに効果的だ。第一水中では転倒しない。
どちらに傾いても水が支えてくれる。

10月に入って、念願のテニス・レッスン開始。
思った通り、これが最高のリハビリである。
週に二回だけ、日と火である。各一時間だけ。

全盛期に七時間やっていたボクには物足りない。
だが、プロコーチの命令だ。従わなくちゃ。

テニスとは言ったが、まだコートを半分だけ使い、
その中でコーチがボールを出すのを打つだけの
こと。まだ腰の安定と足を引きずる状態のまま。
それでもテニスが最高のリハビリに違いない。

実は今日も午後四時から一時間レッスンがある。
ボクは毎日会社には来るが、透析とテニスで
サボってばかりである。


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【 透析のハナシ 】

2010-02-18 13:49:00 | 09 透析生活15年目

このところ体重が安定している。
暴飲暴食なんてことは、絶対にやらなくなって長いこと、
ビールすら飲まなくなったから、体重の安定も当然の結果ではある。

それでも透析での除水量は2200ccである。
つまり前回の透析からの二日間で2200ccの排水が身体に
溜まったというわけである。

ちなみにボクは完全な無尿である。
オシッコの代わりに、摂った水分と、水溶性の老廃物を、
血液を浄化することで除去しているわけである。

溜まった排水は血液中に入り込んでいる。
透析時間が経過するうちに、総血液量が減るから、心臓の
血液送り出し機能が楽になり、その結果血圧が下がってくる。

昨日の透析で、残り30分で計測した時点で、最高血圧が
128であった。快調である。
ところが、その直後からあくびが数回出た。

これは警戒警報である。
計測したら、100しか無いと泣きそうな顔になった。
彼女は一番若いナースである。

それにしても僅か5分で80もの降下は異常だ。
若い子はどうしたらいいか分かっていない。
ムリもない。こんな急変に慣れていない。

こんな時は患者自身が判断を迫られる。
中堅どころのナースを呼び、残り時間と、除水すべき残量を
確かめた。

時間は18分、除水量は280ccだという。
そこで除水目標値を100cc少なく調整してもらい、若い
ナースをまじえて、なるべく大きな声でしゃべることにした。

あくびは出なくなり、そのままで完了に持ち込んだ。
終わってからの計測でも106しか血圧上昇がなく、しばらく
ベッドで休んだ後に、再度計測したら、今度は104でしかなかった。

普段は140以上で帰途につく。
ままよと104のままで、いったん会社に帰り、多層の仕事を
こなしてからマイカーで帰宅した。

眩暈もふらつきも無かった。

こんなボクは、去年5月の腰部手術はうまくいったが、
内科的なトラブルが起きて、血圧がなんと230まで上昇して、
それが何ヶ月も続いたのだった。

明らかに脳が影響を受けた。
しゃべることが難しくなり、食欲もなくなって、体重が激減した。

脳の精密テストを受けたのが9月15日。
その前日に、ボクは透析室を出るに当たり、すべてのスタッフに
別れの挨拶を行った。
9月15日はボクの命日になる予定であった。

この世の名残にと神戸空港へ行き、屋上にある鮨屋で、
食欲はなかったが、一切れの握りを口に運んだ。
それがまことに美味であった。

ボクは鮨屋に双皿、三皿と追加注文し、それからボクの身体が
急回復に向かったのだ。

人体はまことに微妙に、そして精密に出来ている。


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【 透析トラブル(2) 】

2010-01-27 19:06:17 | 09 透析生活15年目

トラブルに至ったわけではないのだが、二時間経由した
段階で上の血圧が110まで下がったから、まだ新人の
ナースが驚いてコンクライトという薬液を注入した。

この薬液はナトリウムの濃いもので、血圧を高める悪さを
しているのは塩分と思われているが、実は塩の成分の中の
ナトリウムが血圧上昇の原因となり、塩素の方に罪はない。

注入後30分経っても血圧が110止まりで上昇しない。
だがボク自身はきわめて元気で何の違和感もないから、
ベテランさんの意見を尊重し、そのままで終了まで持ち込んだ。

終わってみると、いつもより高めの血圧数値が出て、
150-90であった。ここまで上がると、明らかに上がり
過ぎで、130-70ぐらいかと予想していたボクを驚かせた。

約半年も続いた異常な高血圧200~230の経験を
ナースたちも皆が承知だから、特に若い子たちは
ナーバスになるのも仕方がない。


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【 透析生活10年目 (26) 透析中の事故 】

2007-07-10 18:56:53 | 09 透析生活15年目


丸十年近くも人工透析を続けていると、とんでもない
ことに出遭うこともある。医療事故だと言い切れる。

透析の回路の中で、血液が異常に濃縮し、血流が
滞ってしまうのだ。当然警告ブザーが鳴り、ナースが
飛んでくるが如何ともし難い。腕の向きを変えさせよ
うとしたりでせきの山。

ここは技師たちの出番である。休憩中だったドクター
も呼び出され、回路を取り替えるとのご託宣。技師が
新しい回路を持って来ると共に、もう一人の技師が
透析中だった回路の中の血液を、なんとか体内に戻
す努力を行う。

血液のすべてが見事に回収され、針は刺したままで、
回路をつなぎ直す。新しい回路で透析続行するが、
ここで新たにヘパリンが入る。

だから無事終了となってから、止血の段階で新たな
トラブルが起きる。普通なら10分もあれば止る針の
刺し傷がふさがらないのである。なんだかだで、まるで
動脈穿刺の患者なみの時間が掛った。こんな時ナース
のお仕事は、つくづく聖職だとの思いを厚くする。

これが先週の水曜に起きたこと。週に一回だけ使用
する機械に、明日また掛ることになる。先週起きたこと
がまた起きるのじゃなかろうかと、心配である。


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【 透析生活10年目 (25) 】

2007-05-03 15:34:21 | 09 透析生活15年目


今通っている透析クリニックには、新設と同時に
それまでの総合病院から移ったのだが、早いもの
で明日で丸4年目となります。

総合病院時代に腹膜炎で世話になった主治医の
先生の実質上の独立だったから、せめてもの応援の
心算があった。

婦長さん以下、ナースがみんな親切だし、可愛い子
が集まっているし、技師たちも信頼できる人たち
ばかりでいうことなし。

強いて注文するなら、あまりの評判に新患がどんどん
増えて、それも糖尿病からくる合併症の持ち主とか
車椅子・介護人付きといった、スタッフの手を余計に
煩わすのが多くて、患者の目から見てもスタッフの
手不足は明らか。GWにも休暇も取れず誠にお気の毒。

それでも「仕事ですから」と笑顔が帰ってくる。
ティタイムがあり、コーヒーを飲ませてもらえる。

ここに比べて、今思い出すと、導入した総合病院は、
あれは透析科なんてものじゃなく、獣医科だった。
医師は獣医で、患者は牛か馬だ。

血液透析を始めるに当たり、どちらかの腕にシャント
という血液の流れを作る。動脈の早い流れを静脈に
流すべく手術を行うわけ。

一般には導入の前にシャントを作り、それが育つのを
待って、透析開始となるらしい。

ボクの場合は違った。入院当日に手術。そして翌日
午前早くも初回の透析だった。
そんな無茶をしたから、シャントの静脈が悲鳴を上げ
続けたし、寿命も3カ月しかなかった。
作り直したのが正月の、病院にとっても初の手術だった。

その作り直しが、今度は9年半経っても、まだ元気に
躍動しています。

前の総合病院では、医師がわざわざ新しい箇所に
穿刺をする。皮膚が破られるから、それは痛い。穿刺
をミスすれば、内出血で腕が青黒くなる。そんなこと
が度々あった。医師は「ふん」といった顔をするだけ
で、謝罪なんかない。なにしろ獣医だから。

ナースたちの中にも意地悪が多くいた。もちろん良い
人もいたんだが。

いきなり、セイショク入れますか?なんて訊くけど、
こっちは何のことか分からない。足上げますか?
なんのために足を上げるのかの説明がない。

会社のトナリにその総合病院があるから、便利この
上ないが、二度と獣医に扱われるのは御免だ。

透析病棟にもいろいろあるってこと。

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【 透析生活10年目 (24) 】

2007-04-23 16:35:41 | 09 透析生活15年目


透析ルームは日曜日には休みとなるのが通例。

だから月水金組みにとって、月曜日の透析は
中2日となって、中1日の水金と比べ、身体に
溜まった要除水量がどうしても多い。

自己管理では優等生といつも誉められるボクでも、
月曜日には2300ccほどの除水が必要。

中には4000ccとか5000ccといった
豪の者が混じる。4時間じゃ取りきれないから
延長して5時間透析となるわけです。

健常者は一日に2000cc程の排尿がある。
これを完全無尿の身体にしたら、中2日は
計3日だから、6000cc溜まる理屈。

不感蒸泄といって、皮膚の汗腺からは常に水分の
排泄があり、これに呼気中の水蒸気が加わり、
一日に800cc程度が排出される。

その3倍が2400だから、いくら中2日でも
除水必要量は3600で納まる理屈。

事実その程度の増量で来る人が多い。
透析時間4時間が通常だから、1時間に900cc。
まあ何とかなる除水量です。

ボクは多くて2300、たぶん今日は1900ぐらい
だと思う。それをボクの場合は3時間半で取る。

時間あたり540cc。
これだと透析が楽に行われます。

最初の頃、バカみたいにサウナに行っていたのも
除水量を減らしたい一心からだった。

強制発汗は、血中濃度を濃くし、脳梗塞や心筋梗塞
を引き起こすリスクが上がる。

自然発汗にとどめるべし。
それでテニスをやりました。
そのテニス。もう14ヶ月も遠ざかっている。

8年間も続けたから、基礎代謝量が増えた身体の
ままでいるらしい。ありがたいことです。


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【 透析生活10年目 (23) 水分制限 】

2007-04-20 14:22:19 | 09 透析生活15年目


腎透析に関する記事は、圧倒的多数の健全者には
何の意味も持ちませんが、ご本人とご家族にとって
みれば、なかなか他人の状況を知る機会が得られ
ず、それを公開することは、意味のあることと思い
適宜書いています。

昨日の日経夕刊に「血液透析」の記事が出ました。
水分摂取量が一日800mlに抑えられる事が最も
苦しいとありました。
それを受けて、汗を出すのが良い、だから足湯を
やっているとも書かれていました。

これを書いている記者は、透析のことがあまりよく
分っていない。いえ、殆ど知らずに書いている。

血液透析患者は一様に苦しむのは、水分の摂取
制限です。初期段階でまだ尿が出ている人は良い。
いずれ腎臓は尿を作る作業を辞めてしまい、無尿と
なってからが本当にタイヘン。

例えば朝食にミルクを飲む。コーヒーも飲む。そして
朝食後のクスリを飲むために、ごく少量の水も飲む。
これだけで400mlになります。一日800ml
と制限されたのが、もう半量も飲んでしまった。

昼食を摂るのにも、なにがしかの水分が必要。先ず
200mlですめば良い方でしょう。これで600
です。もう後200しか飲めない。このプレッシャー
が何よりいけない。強いストレスになるから。

ビールなんて無理無理。缶ビール一個で350ml
もある。生ビールのジョッキには500ml入って
います。

汗をかくのが良いとも書いてありました。何故かとは
書いていない。人体から余分な水分を排泄するの
に、第一は尿、第二が発汗だからです。足湯は確か
に発汗促進となるでしょう。ボクは最初の頃、発汗
目的にサウナに通い10分を7回なんて無茶をして
いました。

今は何もしていないし、水分量も目安だけであまり
気にしていません。透析に入る前に計る体重が、定
められた基本体重(ドライウエイトという)から、どれ
だけ増えたかが問題なのです。それが800gだった
ら透析が楽になるというわけです。実際にやってみ
たら分るけど、尿がどんどん出ていれば別だけど、
800に抑えるなんて殆ど無理です。

85%の透析患者は、普通の社会生活をやっていると
書いてありました。10年間やって来たボクが見ると
ころ、この記事は甘すぎます。むしろ85%が何がし
かを犠牲にして、社会生活を続けていると思います。

特に糖尿病の方は、せいぜい医師の指導に従い、
絶対に透析にはならぬと心に誓って、腎臓を守って
ください。

                                     パパゲーノ



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【 透析生活10年目 (22) カリウム 】

2007-04-11 15:53:13 | 09 透析生活15年目


日経新聞の関係者から返事がありません。

このまま「誤報」を続けられても困るんですが。

透析患者が苦しむ一つが、果物・生野菜の摂取を
制限されること。多くの病院で禁止とまで言われ
ています。

なぜなら、生野菜、生果物にはカリウムが多い。

血中にカリウが溜まりすぎると、心停止が起きる。

だから制限せよと言われる。

日経夕刊が取上げている患者は腹膜透析をやって
いる人で、一般の血液透析とは異なる。

この場合、生野菜や生フルーツはむしろ積極的に
食べないといけない。カリウムが不足気味になる
のです。

そんなことにも触れないで、あんなイージーな記事を
書くのは問題です。

関西テレビの「あるある」に相当するような、問題記事
だと、先ず認識して欲しい。

                                     パパゲーノ



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【 透析生活10年目 (21) 腹膜透析 】

2007-04-06 23:43:00 | 09 透析生活15年目


日経新聞夕刊の「夕&Eye」の担当記者に
申し上げたい。

この間から始まった連載「人工透析」②を読んで、
「ああ、こんな気楽に腹膜透析が出来るんだ」と
誤解を招きかねない記事内容に、愕然とし、
敢えて自己体験を元に、真実を語りたい。

大きな文字で「携帯型装置で旅も可能に」とあるが、
実態はそんな気楽なもんじゃない。

ここで紹介されている、腹膜透析(CAPD)は、
余ほど患者の自己管理の強い意志と、能力が無いと
まず継続はムリです。

第一お腹を切り開く手術が必要。
全身麻酔でやります。

毎日自分で4回のバッグ交換をやる。

旅行には行ける事は行けるが、
持参する透析液以下の必要器具の数々の重いこと。

海外旅行も可能ではあるが、実際問題として、昼間
外出先で、どこで液交換をやるのか。

ボクはスイスで、仕方なくテラスレストランの主人に
断りを入れて、コート賭けに吊り下げたりしたが、
その煩わしさといったらない。

腹膜透析がダメとは言わんが、72才でこの後の
長期継続はまずムリでしょう。

いずれ菌が入り込み腹膜炎を起す可能性が、
限りなく高い。

また開腹手術をやらねばならない。

ボクは透析生活、もうすぐ丸十年を迎える。
途中でCAPDに切り替え、ドイツ・スイスへも行き
国内旅行も数度行った。

一年もたずに腹膜炎になった。

血液透析に戻って6年。CAPDよりも遥かにラク。
二度とCAPDなんかやりたくない。


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【 透析生活10年目 (20) 血圧のハナシ 】

2007-03-31 13:49:17 | 09 透析生活15年目


不思議なことに身体が覚えてしまったらしい。

普段は120~130台の血圧が、
透析室のベッドに入り、まず計るとき、
必ずといって良いほど160ぐらいに上昇している。

あの痛い「神経ブロック」を受ける、
整形外科に行って、さあ注射というその寸前に
計っても、120~130。

これは何故なんだろう。

一般に透析患者には高血圧が多く、
200前後の人だって珍しくない。

ボクの場合、もう丸10年まで、あと数ヶ月。
いまさら緊張もしないし、穿刺だって怖くはないのに。

刺して計ったら、たいてい145前後になる。
でも、まだ普段より高い。

1時間して計って、やっと130台になる。
透析に最適の血圧です。

終わるまで、後1時間の時点で130台が保たれて
いたらバンバンザイ。

それが120台の前半まで下がっていたら、
コンクライトというナトリウム剤を注射します。
注射ったって、チューブに加えるだけだから、
痛くも痒くもない。

30分目の計測で、まだ130以下だったら、
もういっぺんコンクライト。

それでも血圧が下がり、110台ともなれば、
生理食塩水を100cc入れるわけ。

つまりは、透析時に低血圧が一番イケナイ。

自律神経で、本人の意思に関係なく、
160台を目指して上昇するんだろうか。

ちなみに降圧剤の類は一切使っていません。

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【 透析生活10年目 (19) ボクの葬儀のやり方 】

2007-03-03 15:36:22 | 09 透析生活15年目


昨日の透析のベッドでの会話。
相手は婦長ともう一人のナース。
かなり真面目なハナシです。

ボクは婦長のことをママと呼ぶ。
最近ではナースたちもママと呼び出したみたい。
「ママに聞いてきましょうか」なんて使っている。

「ねえママ、ボクがここで死んだらどうなんの」

「救急車を呼びます」

「もう死んでいるのに、なんで救急車?」

「だって、ここじゃ看取れませんよ。一応一式
揃えてはあるけど」

「救急車で何処へ運ぶ」

「多分市民病院か、ひょっとしたら赤十字かな」

「そこで死亡確認をするわけ?」

「そうね、それまでは必至に心臓を動かそうと
努力を続けます」

「せっかく、もう死んでいるのに?」

「ところで、市民病院かどこかで、死亡の確認が
出来たら、後はどうすれば良い?」

「そこからは葬儀社の仕事でしょう」

「病院で棺おけに入れるのかな?」

「さあ、そのままご自宅に送るのじゃない」

「どんな格好で?」

「寝たままで、担架に乗せてじゃなかったかしら」

「寝たままじゃなくて、死んだままでだろう」

「葬儀社は、やっぱ必要なんだろうな」

「そりゃ必要でしょう。ご家族だけじゃ、どうにも
ならないわ。先ず市役所に届け出したり、お寺に
連絡したり、ご家族はもう大変よ」

「それを、なるべく大変にしないように、今聞いてん
だ。ボクは無宗教で弔って欲しいしな。寺の坊主なん
て、トンでもない」

「でも、お通夜の、たとえ密葬でも祭壇は要るし」

「最低のヤツでいいや、マンションの共用部分に
和室も洋室もあるから、あれを使わせてもらうよう、
今から頼んでおこう」

そうなんです。ボクは無宗教でこの世におさらばしたい。

どうしてもというなら神道だな。寄付してボクの名前の
石柱が建っている、二つの神社のうち、弓弦羽の方
はヨメさんが、えらいケバイから、あそこは避けて
本住吉の方がいいかも知れん。今度行って、葬儀
引き受けてくれるか聞いてみよう。

あらためて墓石なんか要らない。そのために神社の
境内に名前入りの石柱がある。

戒名なんてとんでもない。名前は生前も生後も一個
で良い。特にこの名前、気に入っているし。

なんたって、司馬遼太郎さんの記念館の中庭に、
銅版に名前が掘り込まれたのが建っている。
あんな立派な戒名は滅多にあるもんじゃない。

暫くしてから、友人知人集まってもらってモーツアルト
とベートーベンを主体にフェアウエル・コンサートを
やる。

立食にして水割りの一杯も飲んでもらう。写真も飾ら
ないし、献花もやらない。もちろん御供物の儀は固く
お断り。

坊主が現れたり、少しでも香の匂いがしたら、祟ってやる。

                                     パパゲーノ



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【 透析生活10年目 (18) 】

2007-02-17 11:03:55 | 09 透析生活15年目


今の透析クリニックに移ってかれこれ4年に
なります。会社のトナリにある総合病院から、
わざわざ代わったのは、総合病院の経営が怪
しくなり、実質銀行管理下におかれ、腕利き
の医療スタッフがごっそりと辞めたからです。

三宮にある今のクリニック、当初は30名程
の患者数だったから、そりゃ好い気分でした。
他の透析場所が嫌がる、手間の掛かる患者も
みんな積極的に受け入れるから、今では患者
数が100名を超えた。古い患者の中には、
雰囲気の変化を嫌がり、他に移る者も出て来
ていますが、院長は意にも介せず患者を受け
入れる。

車椅子の患者なんか居なかったのに、今では
やたらと車椅子が目立つようになった。それ
だけナース達の仕事量が増える。患者が3倍
になったんだから、スタッフも増員しなきゃ
ならんのに、なかなか応募者が来ないそうで
実に気の毒なくらいに働いています。

1ヶ月ぶりぐらいに、終盤に血圧が下がり過ぎ
てナトリウム剤を入れた。後5分で意識が消え
かけたから、そこで透析を止めて早め回収して
もらった。ゲンキンなもので、機械を止めた
途端に意識が普通になりました。

ここは設備にもカネを掛けているんだが、ボク
には一つだけ不満がある。

それは機械に付いている血圧計で、ヤツは完全
に狂っている。ボクは普段から血圧に気を配っ
ているから、おおよその数値は分かる。なのに
この機械付属の血圧計は、開始前の測定でいき
なり160だの170だのとヌカスのだ。精神
的には遥かに緊張する整形外科で、130台な
のに、慣れた透析で160~170はあり得な
い。だから水銀で計り直してもらう。それ見ろ、
137だ。

終わるまで後1時間半ぐらいから、出来悪測定器
がまたも狂った数字を出す。100台にまで落ち
たとナースが言うから、ボクはクビを振る。こん
なインチキ信用しない。そこで水銀で計り直すと
128~130は有る。

この透析機械は高価だそうだが、こんな出鱈目な
数字しか出せないデジタル血圧計をつけて、その
分値を上げているんだろう。先生がよう言わんの
やったら、患者の立場で言ってやるからメーカー
の人間連れて来いと何度も言うのだが、相手が怖
がって来ないらしい。だからこのブログで書いて
いるわけです。

血圧がホントに高くなったら分かります。クビの
ウシロの部分に軽い痛みが出たり、心臓に微妙な
感覚が現れる。ブログを打つと眼に来ます。血圧
の下の方が70台から90~100台に上がる。

この9月で丸10年が来る。導入時、2年も持つ
かなと思っていた。10年も持つなんて思えなか
った。自分で立てた余命の最終局面に来た感じが
します。



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【 透析生活10年目 (17) 】

2007-01-30 14:56:05 | 09 透析生活15年目


健常者の皆さんには、全く関係のない
透析がらみの記事に、毎回100以上
のアクセスがある。だから続けます。

血液透析を行うためには、普通の静脈
では血流が足りないから、針を直接
動脈に刺すか、または手首の付近で
動脈と静脈とを結ぶ手術を行い、静脈
の血流を高める。この静脈にして動脈
並みの血流がある特殊脈をシャントと
呼びます。

透析患者が4時間~5時間の血液透析
を終えて、最後の作業が回収といい、
刺した二本の針を抜き、器具を片付け
針を抜いた部分をガーゼで押さえて
止血を行う。

なにしろ血流が強いから、簡単に止血
が出来ない。10分は空いた方の手指
で押さえて出血を止める。

何ヶ月ぶりかで、止血失敗をやりました。
昨夜7時半ごろ帰宅して、念のためにと
用いている止血バンドを外し、暫く
したらガーゼから漏れ出しているのを
発見。慌てて洗面所に走り、漏れ出た
血を洗い流しながら、ガーゼ交換しよう
としたが、血の勢いが強く吹き出して
来る。15分ぐらいで治まったが、止血
バンドを用い出してから約2年。こんな
ことは初めてのこと。

ナースによって、ガーゼの当て方がズレ
ていることが稀にある。昨日のナースは
かねてから要注意のナースだった。

帰宅後だったから、まだ助かった。これ
がタクシーの中で起きていたらタイヘン
なことだった。

透析にはこんな付帯事故も起きる可能性が
ある。



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