作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

歴史・エッセイ・小説・時事ニュース・・・なんでもござれのブログです。どうぞよろしく。

【 大阪だけは外すべし 】

2007-10-28 11:57:00 | 04 時事ニュース


道州制の問題である。
近畿は近畿州に移行するのが自然と思えるが、
ここで問題になるのは大阪の存在である。

大阪は府も市も腐りきっていて、こんなところ、国の
役人よりも、まだタチが悪い。近畿州から放り出そう
ではないか。京都府と兵庫県なら、まだ話ができる。
滋賀県、和歌山県あたりと近畿州を作ればよい。

大阪だけは、仲間に入れちゃイケナイ。

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【 赤福騒ぎのかげに 】

2007-10-28 11:56:00 | 04 時事ニュース


誤解を招きたくないから、最初に強調しておくが、
決して赤福の不正な商品管理を擁護するわけ
じゃない。

どうも、厚生関係の役人が、赤福騒ぎで、薬害肝炎
や年金使い込みなどの役人の不正や怠慢から、
国民の目をそらせようとする意図を感じて、不愉快
に思うのである。

こんな見方をしてしまうほど、役人への不信感が
強いというわけで、年金積立金の不正流用と、
その間のチョロマカシを考えたら、赤福には
自主的な管理体制の是正をせまるぐらいで、いい
のではと思う。

現に、赤福の「賞味期限ゴマカシ」は四十年にも
さかのぼるという割りに、それで中毒事件を
起こしたとは聞いたことがない。

もう一度言うが、決して赤福を擁護するわけじゃない。
厚生官僚こそがはるかにバッチイと言っているのだ。

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【 派閥の権力争いと、ジェラシーのぶつかり合い 】

2007-10-27 16:54:00 | 04 時事ニュース


今の国会を見ていると、小沢民主党は、かつての
自民党の中の、ひとつの派閥に過ぎないと見えて
くる。

国家に出席するよりも、選挙運動を重視する
小沢一郎は、長い間政権から離れた男が、
ジェラシーのあまりに、国家の大事もなにもかも
政局に結び付けようとする、身勝手な男にしか
見えない。

ジェラシーとは女の世界のことと看做すのは、
大間違いで、男の集う場所こそがジェラシー
渦巻く世界なのだ。

会社もまた然り。親分が子分たちを集めて
派閥を作る。派閥の親分同士が、権力をめぐって
闘争する。

外のことは、どうでもよくなり、内なる敵との
闘争に全エネルギーを使うことになる。

誰かが抜きんでると、後塵を排した者は
ジェラシーの塊となり、なんとか勝者の足を
引っ張ろうと必死にあがく。

ボクはそんな会社の実相を、世に問うべく
二つの作品を出版した。 

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【 廃県置藩? 】

2007-10-27 16:53:00 | 04 時事ニュース


江口氏が語る「地域主権型道州制」の講演の
後の、
質疑応答の時間に、大阪で出版業を営む
と言う人が立ち、今こそ明治維新に倣って、
都道府県を廃止し、藩を新たに作ればと述べて、
さかんに水戸学と水戸藩の礼賛を行った。
その中で「日本の歴史をまとめたのも、なんと
水戸なんですよ」と、あたかも新発見かのごとき
説明をしてくれたが、
「大日本史」という、その
歴史書の名前も出ないし、おそらくその書物が
表す日本の歴史の内容が、南北朝の統一までの
ものとは、ご存じなく、お話になったように感じられた
のは、ボクだけじゃあるまい。

後小松天皇までの歴史じゃ、応仁の乱に至る
足利幕府の凋落も、それに続く戦国時代も、
その中から台頭した織田信長・豊臣秀吉。
さらに徳川幕府の成立に至ることも、なにも
分らない。

水戸学とは、煎じつめると、南北朝の争いは、
南朝をもって正統とすると断じたことにあり、
それが故に御三家の立場ながらも、天皇を
日本の統治者として支える立場を貫いた。

不幸にして、水戸藩は幕末の動きに、僅かに
早く動き過ぎたためにまだ力が残っていた幕府の
大老・井伊直弼の弾圧を食らう。浪士とは
名ばかり、その前日までは堂々の藩士だった
者たちが、桜田門で井伊直弼を打ち取り、その
わずか七年後に徳川家は瓦解するのだ。

七年あれば、世の中は一変することができる。
統制価格で天下り後も高給をエンジョイする
国家公務員を、全員失職に追いやることだって
出来ないことはない。  

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【 大臣が来ると 】

2007-10-27 11:51:00 | 04 時事ニュース


25日(木)に、大阪中の島にあるロイヤルホテルで、
堺屋太一氏が主宰する堺屋塾が開かれた。
神戸からの湾岸線が、大阪市内に入ってから、
意外と渋滞し、定刻の6時半に対して、ボクは6時
15分に着いたのだが、ホテルの宴会場の入り口
辺りから、ものものしい警戒態勢が取られていた。
誰か大物が来るんだろうと、思っていたら、ボクと
相前後する形で、渡辺喜美大臣が到着した。

堺屋塾の場所が、いつもより奥まったところに
変更されていた。最近使いだした歩行器を
頼って歩むボクを、渡辺大臣が通り越した。
なんと堺屋塾に、特別講師で参加するための
來阪だった。

このことを事前に知ったらしい人々が集まって、
大きな菊の間が満席に近くなっていた。
これを付けてくださいと、歩む途中でバッジを
付けさせられた。セキュリティーのためらしい。

行革担当の大臣だから、テーマは多い。
だから話題も広範囲に及ぶがこれはという決め手
になるような発言はなかった。公務員の跋扈に
メスを加えるには、あれじゃ物足りない。
公務員とそのOBの給与体系が、統制価格
だと指摘するまではいいが、民間の市場価格に
合させるための施策が無いと何にもならない。

それでも、帰京する時間を、秘書官に命じて
一時間半ほど遅らせ、一時間余をしゃべり、
質問にも応じたのには好感が持てた。

大臣が退席した後、内閣の道州制懇話会の
座長である江口克彦氏が、「地域主権型道州制」
について講演したが、歯に衣きせぬ語り口で、
ボクが兼ねてから主張していたことと重なる部分が
多く、こちらの講演は、大いに意義深いものが
あった。

帰りは阪神高速・神戸線を利用したが、中の島の
入り口で、飲酒運転のチェックを受けさせられた。
堺屋塾では、コーヒーと水しか出ないから、呼気の
中にアルコール分があるわけもない。

江口氏の説く、地域主権型道州制については、
稿を改めて書くことにする。

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【 ハンガリー動乱 】

2007-10-27 11:50:00 | 04 時事ニュース


昨日の日経紙「春秋」からの引用ですが、1956年
秋に起きた、ハンガリー動乱を描いた映画が、
ハンガリーと英国との共同で制作され、11月
封切りになるという。題して「君の涙ドナウに流れ」。

動乱と呼ぶのは、当時の東欧圏を支配下に
置いていたソ連からの見方であって、当事者の
ハンガリーから見れば、あれは対ソ戦争だった。

ボクがハンガリーに盛んに出入りしたのは、
1975年から78年にかけてだったが、ハンガリー人
が異句同音に唱える、「この前の戦争」とは、まさしく
世界が動乱の言葉で片付ける、あの1956年の
対ソ戦争のことだった。

1968年に起きた「プラハの春」。こちらはチェコの
自由化運動をソ連軍が踏みにじったものだったが、
それに先駆ける1956年に、いち早くハンガリーが
ソ連の圧政から脱して、自由な国になろうとしていた
のだ。

ボクは大学4年だった。「スペインの牛」と
呼ばれていた。赤旗を見ると狂うという意味で、
敗戦後の満州で、小学生5年ながら、暴行
・略奪・凌辱をほしいままにしたソ連の軍隊を、
この目で見ているから、日本に共産党が居ること
自体が許せなく、「赤い大学」とまで呼ばれていた
のを、共産党関係の部室のすべてを開放し、
党籍を誇る教授三人を辞めさせるまで
頑張ったのだった。

そんな時に起きたハンガリー動乱だったが、首相の
ナジが、逮捕されたあげく、見せしめにと両足を
くくられて木の枝にぶら下げられて、嬲り殺しに
あった写真報道があったが、共産党は「あれは
西側のスタディオで制作された、為にする
インチキ写真だ」とまで言っていた。

民族大移動の時期に、あの地に残された
アジアの民が作った国が、ハンガリーだ。
すごく親日的な国でもある。
赤ん坊には、蒙古斑点が、そのまま出るし、言葉の
体系も日本語とそっくり。ただし単語は難しい。
シーズンになると、エンドウ豆を入れて塩味をつけた
ご飯を炊く国、ハンガリーをボクはこよなく愛する。

こんな映画ができるほどに、ハンガリーは
自由国家になった。
おめでとう。    

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【 小説・第二作「はぐれ狼が奔る」が登場 】

2007-10-27 11:48:00 | 02 華麗な生活

Photo

「炎の商社マン」に続いて、「はぐれ狼が奔る」
出版されました。

有名書店に行きわたるのは、来週いっぱいかかる
でしょうが、前作の「炎の商社マン」が880ページ、
上下ニ巻の大作で、二冊購入に税込3000円を必要と
したのに対し、こちらは約300ページの単行本で、
税込1400円と、お求めやすくなっています。

「炎」は男のロマンを書き、「狼」は男のファンタジー
を描いたつもりです。

紀伊國屋、旭屋書店、ジュンク堂、文教堂、
福家書店、丸善などの、有力店舗、約150店で、
かなり目立つ平積みで展示されています。

ハッキリ言って、相当に面白い本であります。
どうぞ、よろしく。

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【 タイガース打線再構築案 】

2007-10-27 10:44:00 | 10 我ら猛虎党


先週、来期の投手陣はJFKを壊してでも、
先発投手陣を再構築と提案したところ、「とにかく
点が取れる打線にしなきゃ」との、ご意見を
いただいた。まさにおっしゃる通り。

岡田監督が、早稲田の後輩、鳥谷をショートに固定
し、競争原理から外して特待生にしたことから、
ばらばら打線が始まったというのが、ボクの意見で、
鳥谷も関本や藤本と同様に他の内野手と競わせ
ないといけない。
まして、鳥谷の一番となれば、相手投手に安心感
こそ与え、何も脅威は感じない。沖原を残しておいて、
競争相手が居ると認識させておけば、鳥谷も少しは
変わっただろうに。

金本も含めて、赤星、矢野、桧山それに投手の
下柳と、みんな盛りを過ぎたのが、主力扱いじゃ
打線の復活は無理でしょう。

シーツの再契約はないだろうし、いつまでも広島
からのFA頼みもミットモないが、金本を支える意味
からも新井は欲しい。

今岡がどこまで身体を直しているのか?それが
分らないから、これという案がでてこない。今岡
抜きで考えて、今岡が本当に復活したら、それは
望外の喜びとでも考えてよいのでは。

ともかく鳥谷は、守備範囲も狭いし、最大の欠陥は
ゲッツーが取れない。タイガースのゲッツーの
ほとんどは、関本がセカンドに入ったケース。鳥谷
がキイマンの時は、ぎりぎりセーフとなる。
スローイングに難があるんでしょう。

一二番をフレッシュメンバーに変えることが第一。
関本が二番をうまくこなしていたのに、なぜやめた
のかが分らない。一番には赤松を抜擢したら、今の
赤星よりも、はるかに足が生きてくる。

林は三番一塁で固定するべきだろう。ライトも桜井を
固定する。捕手も思い切って狩野を主戦とする。

問題はショートだが、新入団選手も含めて、一から
人材を発掘しよう。

で、さし当たりの打撃陣は、こうなる。

赤松・関本・林・金本・新井・桜井・狩野・
ショート・ピッチャー。

キイポイントは、鳥谷の特待生扱いをやめること。

もうひとつは、金本もいい加減に、フルイニング
記録の意識を捨てて、からだの調子がある時は、
ベンチに下がる柔軟な姿勢に変わって欲しい。
穴埋めには、赤星も葛城もおる。

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【 来期はJFKを壊して 】

2007-10-20 23:00:00 | 10 我ら猛虎党


ここ二年にかけて、タイガースはJFKに頼り過ぎた。
そして今シーズンの終盤に、酷使だれ続けた、
久保田と藤川が壊れてしまった。

先発投手陣が最後まで構成できずに終わった
ことの反省と、JFKの酷使をいたわる意味も兼ねて、
来シーズンは大胆な編成替えが必要だろう。

久保田も藤川も先発に回し、中5日の休養を与える。
この二人に加え、江草も渡辺も先発で使う。

野球は守りと言うが、所詮は得点を如何に取るかの
ゲームだ。
一方で先発がどこまで相手チーム打線を抑えるかだ。

リリーフには先発陣から外れた投手を当てれば良い。
結構意識を持って育つものだ。

まだドラフトもあるから、気が早すぎるのを承知で、
来期の先発投手陣は、

藤川、江草、久保田、渡辺、杉山、上園で行く。

リリーフにウイリアムスを残し、安藤、下柳、桟原、
福原、橋本あたりで、中継ぎと抑えを賄う。

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【 グレープフルーツ 】

2007-10-20 22:48:00 | 02 華麗な生活

十年にわたり、食べるのを我慢し続けてきたグレープ
フルーツを今日食べた。赤に近いオレンジの濃い色の
果実に、スプーンを差し入れる気持には格別のものが
あった。その感慨に増して、グレープフルーツは実に
美味であった。

阪神大震災に見舞われる前のことだが、ボクはある
時期の何年間か、朝食にグレープフルーツを食べるのが
日課のようになっていた。

そんなボクがグレープフルーツを遠ざけてから、優に
十年が経つ。
理由は人工透析の開始だった。生の果物にはカリウムが
多いからと、透析開始に備えて入院したボクに、まだ
看護学校を出たばかりの若いナースが言い、食べることを
禁じた。ジューシーなのが更にイケナイとも。透析患者は
一日に摂れる水分が800ミリ・リットルだと気が遠くなる
ようなことを言った。

あんな指導は良くない。すべてが、べからず集では患者が
滅入る。透析歴11年目に入ったボクは、血液データや
体重増を見ながら、食べ物をコントロールしている。
だからグレープフルーツの半分ぐらいどうってことはない。

今日まで食べずに通したのは、ある種の意地からだった。
これからは堂々と、食べたい時には食べることにする。

せっかくの人生、食べたい物を我慢してたんじゃ、そんな
人生に意味がないと思うから。

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【 こちらは65年前の同窓会 】

2007-10-13 15:06:00 | 02 華麗な生活


ヤマト運輸が、ちょっと重めの荷物を届けにきた。
その中味はカステラ、それも名店中の名店として知ら
れる福砂屋の品だった。

ボクが高校の同期会に参加していたその日に、実は
もう一つの同期会が開催されていて、それはボクが
小学校二年生の一学期で別れた、旧満州国奉天市
に在った、平安小学校の卒業生が福岡に集い、その
流れでクラスメイトたちが柳川で懇親したものだった。

ボクも出席について、さんざん迷ったのだが、腰痛が
こんな調子じゃまず無理なことと諦めたのだった。
そんなボクのために、担任の先生を含む9名の参加者
と、在京の5名の方が加わって、ボクのために心づくし
の名品を送ってくださったのだ。

福砂屋の創業は古い。寛永元年といえば西暦1624年
となる。まだ家光による鎖国令が出される前だから、
ポルトガル人の指導を受けての創業だった。

関ヶ原から24年も経過して、福島正則が後悔と失意
の中で没した年でもある。

高校といい、小学校といい、同期生の友情は涙を誘う。

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【 初恋の人? 】

2007-10-13 15:04:00 | 02 華麗な生活


11日(木)の26名の参加者の中に、4歳年長の
Sさんの特別参加があった。お互いが73歳に達
する今日まで、毎年ニ回は集まる、まことに仲が
良すぎる同期生の中で、Kさんと共に女性軍の
中心人物であり続け、高校時代はマドンナ的存在
であったSさんが、あろうことか亡くなった。

それも4月12日の例会には、元気な顔を見せて
いたのに、それから間もない4月29日の逝去だった。
ボクにとって大切な人だった。会社を辞めて独立
を図った時にも、ボクは彼女の意見を重視した。
Kさんと共に男女の別を越えた貴重な友人だったのだ。

彼女の代わりといっちゃなんだが、ボクらはご主人
に特別参加を要請し、それを受けてくださっての
ご参加だった。

出席した女性軍だけじゃなく、わざわざ電話でも
「悲しいでしょう」としばしば聞かれる。
「悲しいよ、当り前じゃないか」とボクは答える。
彼女がボクの初恋の人だと思っている者が多い。
名誉なことだ。

憧れた時期があったことは事実だが、お互い40歳
を越えたころから、ボクらは、何でも相談できる親友
だったのだ。

ご主人のSさんはおっしゃる。「どこか遠くに旅行
に行って、まだ帰ってきていない」。そう思うように
していると。
素晴らしい発想だ!そうなんだ、ちょっと遠くに旅行中
なのだ、彼女は。

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【 73歳の高校同期会 】

2007-10-13 15:03:00 | 02 華麗な生活


恒例となっている、四月と十月の第二木曜日の昼食会
に、今回も26名の参加があった。88歳の元体操の先生
が、わざわざ淡路島から出てきてくださった。ありがたい
ことである。

ボクらは、まだ占領下の淡路島南部に、もとは花嫁学校
だった女学校を、俄かに新制高校にした、兵庫県立
三原高等学校に、昭和28年4月、初顔合わせを行った。
全員が15歳の少年少女であった。なにしろ学区内には、
14の町村があったのだから、出身中学もまた、10校以上
あった。

戦後一年たって、ようやく満洲から渡来したボクは、栄養
失調で、運動神経ゼロの弱い子。当然典型的なイジメ
られっ子だった。
高校進学にあたり、ボクは自分に誓った。イジメられっ子
を卒業するチャンスだ!

皆が怖い先生と、一歩退く体操の先生が、そんなボクを
ことごとにかばってくださった。いまだに「大勢の教え子の
中でお前が一番可愛い」と言ってくださる。あの先生の
おかげで、ボクのキャラは変わり、いや変わり過ぎて、
世の中に波乱万丈を起こす人生を歩んでくることが出来た。

十年この方、週に三度の人工透析に通うボクに、時々
先生から「お見舞い」の品が届く。88歳の先生に見舞わ
れる73歳の生徒。
それがボクだ。情けないやら、有難いやら。

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【 TBSは何とか言えよ 】

2007-10-13 15:01:00 | 02 華麗な生活

遅まきながら、亀田一家のことである。
内藤大助チャンピオンは、よくぞ試合前の暴言、試合中
の暴力とそれを指示する父と兄の暴言、試合後の勝者
に対する欠礼の数々に耐えたと讃えたい。
まさに「国民の期待に応え」てくれた。
月収12万円で暮らす、33歳のボクサーに、CMなどの
支援があって欲しいと切望する。

亀田一家に、然るべきペナルティがあって当然。
相撲協会の轍を踏むようなことはしないでもらいたい。
TBSにも罰則が与えられて当然だろう。
今までが調子に乗り過ぎた。全国の青少年に及んだ
悪影響の大きさを知って、放送免許の返上ぐらいがあっ
てもオカシクはない。
リング席に座って、コメントに応じさせられた、元チャン
ピオンの立場には同情するが、あの試合を善戦と言い、
18歳にしてはよく戦ったとの発言に、心中恥じるところは
なかったのか?

今こそボクシング協会の良識が問われる時である。

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【 透析生活11年目 】

2007-10-13 14:59:00 | 02 華麗な生活


10月1日で透析開始以来、丸十年となり、遂に11年目に
突入してしまいました。始まった当初は、到底2年とは生きて
いけないと覚悟したものでしたが、過ぎ去ってみると、それ程
タイヘンなものではありませんでした。

いろいろと批判は受けましたが、やはりテニスの効用があった
と思います。もっとも、そのテニスのやり過ぎで、脊柱管狭窄症
になってしまったのですが。

その狭窄が発生してテニス不能となっていなかったら、
たぶんブログの世界を知ることもなかったでしょう。

ブログ連載を手直しして、『炎の商社マン』上下ニ巻の出版と
なり、
まだ東京、大阪、神戸などの中心部に偏ってはいますが、
全国110店を越す書店で、結構目立った展示を行っていただ
いて
居るわけで、更に今月中にも『はぐれ狼が奔る』が出ます
し、
次いで『ヨーロッパ浪漫紀行』も年内には店頭に置かれる
運びとなっています。

まさに「人間万事塞翁が午」。透析患者になっていなかったら、
こんな書物が出来ていたかどうか。すべては都合よく考える
ことにしました。

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