驚いた。あまりにも簡単に閣僚が辞任するからである。それも、まだ何もやっていない段階ではないか。私たちは政治家に政策を期待するけれど、人格や潔癖さを期待したことはない。あくまで政治家は政治能力がすべてであり、女にだらしなく金にだらしなくても、良い政策を残した人が偉大な政治家なのである。
私が若いころ長者町の大手繊維問屋に勤めていた時のことである。私は理科系人間ということで電算機の担当にされ、花形の営業にはなれなかった。そこの呉服部門に配属されるとある試練が待ちうける。なにせ呉服というのは古い業界で、常識が違うのである。名古屋市内のある呉服屋の担当になることが営業で出世する条件だったそうで、まず最初は担当になったあいさつに訪れる。「毎度どうも。●●のXXです。」と名乗ると、「声に元気がない。今日は会う気にならない。出直せ。」と門前払い。仕方がないので後日もう一度訪れ、今度は明るく元気に声を出す。すると、「おお、わかった。座敷にあがれ。」と最初の関門を突破。靴を脱ぎ、座敷に入るや、「おい、おまえはどういう教育を受けたんだ。靴の脱ぎ方がなっとらん。帰れ!」
まあ、こんなことの連続で、口のきき方、領収書の切り方、あいさつの仕方、すべてがチェックされるのである。とにかく、無事に集金が出来るまで数カ月は必要だったとか。
ただ、その店になじむと、もはやどの店も怖くなくなるそうである。誰もが行きたがらない店だが、会社としては新人教育には欠かせないお客であり、そうやって人を育てていくんだと若い私は実に感心したものである。
つまり・・・、民主党は若い。自民党やマスコミのいやらしさ、発言の重みなどを徐々に学び、政治家になっていくのである。いわば、今は研修期間みたいなものだ。今回の鉢呂氏は靴の脱ぎ方が悪かった程度のことである。会社は何度でも出直させるのだが野田首相はいとも簡単に辞任させた。これでは人は育たないし、閣僚を守れない首相に命をささげる人はいないだろう。もちろん、そんな軽い閣僚の言うことを聞く官僚はいないだろうな。
私の大嫌いな政治家はもちろん小泉だが、彼が唯一すごかったのは、閣僚を簡単にやめさせなかったことで、「一内閣一閣僚」という原則を最後まで守ったことである。
それと、国民は、閣僚を辞任させることに夢中の自民党を決して快く思っていないことで、自民党は日本を混乱させる張本人ということになる。つまり、やればやるほど自民党の支持率は下がるばかりだろう。野球選手はグランドで活躍すればいいみたいなもので、閣僚は日本のために政策を打ち出すことが重要である。自民党は正々堂々と論戦で民主党を圧倒すべきであろう。まったく、実にくだらない政党である。
今日は911事件から10年ということで、昨日は久しぶりにニューヨークのビル崩壊の様子をテレビで見た。そうそう、これが私の陰謀研究家へ変身した始まりであり、アメリカの没落の始まりだったのだ。それから10年。一体何がわかったのだろう。実は何も分かっていない。しかし、歴史書には「アルカイダのビンラディンが起こしたテロで、主犯はオバマ氏の指令でパキスタンで殺された。」と記録されるであろう。歴史とはそういうもので、それが真実から遠いことは誰もが思うのだ。しかし、百年もたてば、書かれたものが真実となるのである。よく「賢者は歴史から学ぶ」などと言うが、嘘だらけの歴史書から何を学べというのだろうか。そうではない、賢者は歴史の裏から学ばなければならないのだ。私たちは911から多くの物を学んだ。問題は、何もわかっていないし、今後も何も分からないだろうということである。
平成23年9月11日の10年前が911テロなら、11年前のその日に名古屋豪雨が起きた。私も長いこと生きているが、過去にあれほどのすごい雨は記憶がない。とにかく出張先から戻る途中で豪雨に遭遇したが、ワイパーがまったく追い付かないのである。地下鉄で帰宅した女房に連絡すると自宅へ向かう道路が冠水し、危ないから道を選んで帰るようにとのことだった。幸い高台を通る道を選び、無事に家に帰れたが、名古屋市内の被害は伊勢湾台風以来の惨状だった。思えば、この気圧配置が一つのモデルとなり、それ以後の豪雨の見本になったのである。
私は歴史の研究の中で海流と気流は軍事情報で、一般には知らされないことを知った。つまり、ジェット気流も軍事情報なのである。今回の台風12号は通常なら偏西風の影響でもっとはやく東へカーブするはずである。しかし、今年のジェット気流はなぜか北の方にあり、日本海に到達した後で東へ折れ曲がった。また、台風の向かう先に大陸性の高気圧があり、それが行く手を遮り台風が歩くような速度で停滞した。記録的な豪雨はそのような偶然が積み重なった結果である。自然災害とするなら、まさに1000年に一度の偶然だったのだ。
これらの中のどこに人為的な操作が介入したのか、私のような素人の知るところではないが、肝心の専門家である気象予報士は国家資格の制限の中で、知っていても真実を話せないのである。彼らがお得意のマニアックな知識を披露するなら、現状の気象操作は簡単に説明できるはずである。なぜ気象予報士という資格が出来、テレビなどで自由な予報が出来なくなったのか、そのあたりを国民は知るべきではないか。過去にもたしかに豪雨や地震はたくさんあった。だからと言って、現在の災害すべてが自然災害と決めつけるべきではない。まず疑い、見守り、警戒する。このことが気象操作をしている連中に対するささやかな抑止効果になるのだ。
私が若いころ長者町の大手繊維問屋に勤めていた時のことである。私は理科系人間ということで電算機の担当にされ、花形の営業にはなれなかった。そこの呉服部門に配属されるとある試練が待ちうける。なにせ呉服というのは古い業界で、常識が違うのである。名古屋市内のある呉服屋の担当になることが営業で出世する条件だったそうで、まず最初は担当になったあいさつに訪れる。「毎度どうも。●●のXXです。」と名乗ると、「声に元気がない。今日は会う気にならない。出直せ。」と門前払い。仕方がないので後日もう一度訪れ、今度は明るく元気に声を出す。すると、「おお、わかった。座敷にあがれ。」と最初の関門を突破。靴を脱ぎ、座敷に入るや、「おい、おまえはどういう教育を受けたんだ。靴の脱ぎ方がなっとらん。帰れ!」
まあ、こんなことの連続で、口のきき方、領収書の切り方、あいさつの仕方、すべてがチェックされるのである。とにかく、無事に集金が出来るまで数カ月は必要だったとか。
ただ、その店になじむと、もはやどの店も怖くなくなるそうである。誰もが行きたがらない店だが、会社としては新人教育には欠かせないお客であり、そうやって人を育てていくんだと若い私は実に感心したものである。
つまり・・・、民主党は若い。自民党やマスコミのいやらしさ、発言の重みなどを徐々に学び、政治家になっていくのである。いわば、今は研修期間みたいなものだ。今回の鉢呂氏は靴の脱ぎ方が悪かった程度のことである。会社は何度でも出直させるのだが野田首相はいとも簡単に辞任させた。これでは人は育たないし、閣僚を守れない首相に命をささげる人はいないだろう。もちろん、そんな軽い閣僚の言うことを聞く官僚はいないだろうな。
私の大嫌いな政治家はもちろん小泉だが、彼が唯一すごかったのは、閣僚を簡単にやめさせなかったことで、「一内閣一閣僚」という原則を最後まで守ったことである。
それと、国民は、閣僚を辞任させることに夢中の自民党を決して快く思っていないことで、自民党は日本を混乱させる張本人ということになる。つまり、やればやるほど自民党の支持率は下がるばかりだろう。野球選手はグランドで活躍すればいいみたいなもので、閣僚は日本のために政策を打ち出すことが重要である。自民党は正々堂々と論戦で民主党を圧倒すべきであろう。まったく、実にくだらない政党である。
今日は911事件から10年ということで、昨日は久しぶりにニューヨークのビル崩壊の様子をテレビで見た。そうそう、これが私の陰謀研究家へ変身した始まりであり、アメリカの没落の始まりだったのだ。それから10年。一体何がわかったのだろう。実は何も分かっていない。しかし、歴史書には「アルカイダのビンラディンが起こしたテロで、主犯はオバマ氏の指令でパキスタンで殺された。」と記録されるであろう。歴史とはそういうもので、それが真実から遠いことは誰もが思うのだ。しかし、百年もたてば、書かれたものが真実となるのである。よく「賢者は歴史から学ぶ」などと言うが、嘘だらけの歴史書から何を学べというのだろうか。そうではない、賢者は歴史の裏から学ばなければならないのだ。私たちは911から多くの物を学んだ。問題は、何もわかっていないし、今後も何も分からないだろうということである。
平成23年9月11日の10年前が911テロなら、11年前のその日に名古屋豪雨が起きた。私も長いこと生きているが、過去にあれほどのすごい雨は記憶がない。とにかく出張先から戻る途中で豪雨に遭遇したが、ワイパーがまったく追い付かないのである。地下鉄で帰宅した女房に連絡すると自宅へ向かう道路が冠水し、危ないから道を選んで帰るようにとのことだった。幸い高台を通る道を選び、無事に家に帰れたが、名古屋市内の被害は伊勢湾台風以来の惨状だった。思えば、この気圧配置が一つのモデルとなり、それ以後の豪雨の見本になったのである。
私は歴史の研究の中で海流と気流は軍事情報で、一般には知らされないことを知った。つまり、ジェット気流も軍事情報なのである。今回の台風12号は通常なら偏西風の影響でもっとはやく東へカーブするはずである。しかし、今年のジェット気流はなぜか北の方にあり、日本海に到達した後で東へ折れ曲がった。また、台風の向かう先に大陸性の高気圧があり、それが行く手を遮り台風が歩くような速度で停滞した。記録的な豪雨はそのような偶然が積み重なった結果である。自然災害とするなら、まさに1000年に一度の偶然だったのだ。
これらの中のどこに人為的な操作が介入したのか、私のような素人の知るところではないが、肝心の専門家である気象予報士は国家資格の制限の中で、知っていても真実を話せないのである。彼らがお得意のマニアックな知識を披露するなら、現状の気象操作は簡単に説明できるはずである。なぜ気象予報士という資格が出来、テレビなどで自由な予報が出来なくなったのか、そのあたりを国民は知るべきではないか。過去にもたしかに豪雨や地震はたくさんあった。だからと言って、現在の災害すべてが自然災害と決めつけるべきではない。まず疑い、見守り、警戒する。このことが気象操作をしている連中に対するささやかな抑止効果になるのだ。