マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

自分で紙巻きたばこを・・

2011年04月03日 14時41分36秒 | ひとりごと
今日はうどん屋に使う食器を探しに大須へ行くことにした。ところが肝心のお店は日曜定休だった。がっくり。せっかくなので大須商店街を回遊することにした。
「本日で閉店、時計が1000円均一!」と書いてあるので思わず写真の4点をゲット!

家に帰ってよくよく見るとやっぱし安物だった。でも中身は日本製のクオーツらしいから時間は正確かも・・・。まあ、いいやね。安いものだし、買っている時はとっても楽しかったからね。

次の写真は陶器につられて店に入ったら、中はアメスピが山積みのタバコ屋さんで、そこで自分で紙巻きタバコを作るためのセットを売っていた。DVDをもらい、自分で紙に巻きタバコを作り吸うことにした。
そして、家に帰ってやってみたけどやっぱし簡単じゃないな。やはりローラーを買わなければ無理みたい。一生懸命自分で巻き、そのたばこを吸っていたら、女房が「なにか大麻でもやってるみたいに見えるよ。」だって。たしかに・・・・。



この写真の容器が今日の目的の物。これにすし飯を詰め、ちらし寿司にしようという参段である。変かな?
もともとはグラタン用なのだが、マヨちゃんはこれが気に入った。夏のメニューは5月ごろから始める予定だから、明日からそろそろ試作に入らねばならない。

ちょうど10年前のことだ、私の会社の横にある木造店舗から出火し、その店舗はもちろん、その隣地二軒が全焼する火事に見舞われた。幸い、わがビル自体は無事だったが、店内の商品やビルの随所に被害を被った。火災保険や商品保険でいくらかは賄うことができたが、最終的に自分の責任ですべてをまかなったのである。出火元は何も弁償してくれないのだ、もちろん、放火の場合は別だが…。

今回の震災で国や自治体からの援助はあるだろうが、それですべてが元通りになるはずもない。私たちだっていつ何時同じような災害に見舞われるかわからないのだ。そうなった時にあわてないためにも、私は自分の命と財産は自分自身で守らねばならないと言い聞かせるのである。
火事に見舞われている時、私は自分のビルが焼け落ち、すべてを失うことを覚悟した。幸いなことに風向きと、ビル自体の耐火性が高かったこと、あるいは消防の努力で助かったのだが、その時の心境は当事者しかわかるまい。慰めの言葉など必要ない、そのショックは時間でしか解決しないものだ。
マスコミはいかにも被害者側に立ったような報道をするが、時間とともに忘れ去られ、数年もすれば災害の事実すらどこかへ行ってしまうに違いない。そんなことより、政治家や官僚たち、あるいは学者たちが自分に責任が及ばないようあたふたするのを眺め、「こんな人たちに国民の命を預けていた」現実を反省するべきである。
この期に及んでも政府や東電は真実を隠している。それが多くの住民の命を危険にさらしているにもかかわらずである。しかも政府はこの災害を利用し、政権の存続と増税のまたとないチャンスと考えている。今必要なのは火事場泥棒を防ぐことである。誰のことか?言うまでもないだろう。