マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

渤海はどこの国?

2021年06月19日 19時48分22秒 | 歴史の翻訳
今日は6月19日、明日までで緊急事態宣言が解除される。名古屋は依然まん延防止等重点なんたらが続くため、飲食関係はまだ手放しで喜べる状況にない。世界政府が決めた今回のイベントもそろそろ出口が見えつつある。さあ、もう少し我慢だな。
飯山さんのHPを見ると、G7の各国首脳がノーマスクで談笑している写真が出ていた。要は、「コロナはもう終わりです。」との宣言をしたわけですね。一般の新聞はちゃんと伝えてくれたのだろうか。最近、新聞の配達が遅くなり朝新聞を読む時間が無くなり、夕刊を断り、夕方朝刊を読むことにした。ネットのニュースがあるのでそれほど不自由は感じないが、自分の生活パターンがちょっと特殊過ぎるのかな・・・・朝3時半起床、午後八時就寝。誠に健全です。ここ十年、夜の街で飲食したことはありません。だから緊急事態宣言下でも全く生活を変える必要はありませんでした。ていうか、仙人にでもなってるのかな。

さて前回、高句麗の歴史はヒッタイトの歴史であると言いましたが、その詳しい論証は後回しにして、今日はその別種である渤海のことに触れたいと思います。
「渤海 は、高句麗の遺民 大祚榮 (だいそえい) がツングース系 靺鞨族 まっかつぞく を統一して、現在の中国東北地方に建国した。 698年 震国( しんこく) と称し、713年唐に朝貢して渤海郡王に封ぜられ、以後渤海と称した。 唐の文化を積極的にとりいれ「海東の盛国」と呼ばれ、日本ともひんぱんに交流した。」とあり、実は聖武天皇の時代、はるばる使節がやってきて「同族ではないですか、仲良くしましょう」と言ったとか…。いずれにしても正式な使節であり、これは事実だろうと確信していました。つまり、これは歴史的事実であると。
しかし発刊されていない「歴史は西から東へ」の第4巻(現在は第二巻まで発表)の予告目次を見ると第二章に「フリギヤと渤海史」とある。まさかとは思ったが、一応確認してみた。「フリギア (Phrygia): 現在のトルコの中西部に存在した地域・王国名。 ヒッタイト滅亡後トラキア方面から侵入したフリギア人が王国を建て、前8世紀を中心に栄えた中央アナトリア北西部地域。 王国は前7世紀初キンメリア人の侵略により崩壊し、その後リディア王国の支配下に入った。」とあり、ヒッタイトの後継国であり、高句麗の後継国である渤海と同じ位置づけになる資格がある。また、当時日本がギリシャあるいはアナトリアに俀国が存在していたとすると使節の往来は簡単で、十分に可能性はある。今のところこれ以上の情報が得られないのでまた新発見があれば発表します。
また、渤海を滅ぼしたのが契丹だが、オリエントに置いて契丹に相当する部族も探さねばならない。
契丹はキンメリ?・・・・これは後日調べてみよう。
若干気になるのはフリギヤの文化で、「山の神」(大地母神)、キュベレが信仰されていたという。以前、レバノン杉の信仰の時にやはりキュベレが登場したが、歴史を知るうえで重要だと思うのでぜひ記憶にとどめておきたい。
同様にヒッタイトにはイルルヤンカシュ信仰がある。要は、蛇信仰でヤマタノオロチであり、アロンの杖の蛇、アルファロメオの紋、WHOのマークなどなど、蛇信仰も文化の伝播を知るうえで重要である。

さて、フリュギア(フリギヤ)はトロイア戦争でトロイアに援軍を送ったという。つまり、トロイ戦争の時点で存在していた国家だったということだ。
トロイア戦争が古代オリエントで起きた戦争でも一番謎の多い戦いで、これを解くことが日本の歴史の謎を解くことにもなるはずだ。
まあ、それは今後の課題として、次に金管加羅国を調べます。