←昨年は大変お世話になりました。
本年もまたお手数おかけしますがクリックお願いいたします。
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久しぶりにお日様が顔を出した土曜日の、暇な木馬の昼下がり。
なんと、ふるじろうさんが、二年ぶりに木馬に来て下さる。
幾分貫禄がついたようにお見受けしました。、顔色は良くなり、落ち着きが出てきたというか、それともある意味開き直りともとれるかな?
「トンボさんにも会いたいなぁ。」とおしゃったけど「トンボは男は嫌いだそうです。『女性なら万難を排して会いに来るけど、男じゃねぇ、どうしてこの世に男がいるんだろうね。』」といつもバカ言ってますよ。」そう伝えた。
ふるじろうさんにお会いするのは、おととし家出をした時 ふらついた足取りで目に付いたこの木馬に突然入った時「コーラーフロート」をオーダーされて以来かな?
今回お話して ふるじろうさんの商売されてる場所もわかったし、今度宝くじでも当たったら、店ごと買いに行きますね。
え!?買ってもいないのにって? いいえ!!。ちゃんと毎回買っていますよ、そのうち幸運の女神がほほ笑んでくれるかもしれません。期待して待っていてください。
「もう今年は来れないかもしれません。」「そうですか?じゃよいお年を。木馬がもう消えているかもしれませんけど。また来てくださる日を お待ちしています。」
と言って笑いながらお別れしたけど わざわざ この場末の木馬にお越しくださり有難うございました。
ちょっと話は飛躍するけど・・
「待つ」
いつだか江國香織のエッセイを読んでいたら、手紙を書くのがあんまり好きじゃないと、手紙を書けば返事を待ってしまうし、待つのは、待ってもこないかもしれないと思うと不安なので嫌いなのだというようなことが書いてあったような・・
確かにそうだと思う。
私が主人と知り合ったころは、今のように携帯などなくて、電話だって仕事中に会社に電話するわけにもいかず、もっぱら手紙だった。(江津と益田と離れていたから・・)
手紙を書いてポストに入れるとどうしても返事を待ってしまう。
なかなか返事がこないと、不安になる。
何かあったんだろうか。もしかしたら、怒っているんだろうか。
この前の手紙に、あたし何か変なこと書いたっけ。
それとも、もう嫌いになったのだろうか・・。
何事においても「待つ」という気持ちは、たしかに辛い。
一度「待つ」モードに入ってしまうと、なかなかそこから抜けられない。
待たせているほうだって、それなりに気にはかけているのだけど、待っているほうの「気がかり」のほうがずっと大きくなってしまうのだ。
その昔、仕事現場に泊まり込みで仕事をしていた主人と、私は一週間に一度だけデートしていた。
待たせる者の「一週間」は文字通り「一週間」でしかない。
でも、待つ者の「一週間」は、2週間にも3週間にも匹敵するほどの長い長い時間なのだ。恋をしていれば、なおのこと。
そうはいいながら。くだんの「手紙」は、結局、いつのまにかこの世から途絶えてしまった。
私だって近頃は手紙はおろか、できることなら年賀状だって書きたくない。
パソコンや携帯が日常茶飯事に使われるようになって自然消滅してしまったんだろう。
最近は年を取ったせいか、メールにしても手紙にしても「待つ」(不安)ということがなくなった。何日たっても相手の心が感じられれば、もらった時のうれしさは同じだと思えるようになったのだ。
私のこの仕事だって、自分から積極的にお客を引っ張り込むことはできない。
ただひたすら、入ってきてくださるお客を「待つ」商売なのだ。
だから 失礼があったり、お客が腹を立てて帰ったりしたらもう二度と 来てはくださらない。それを肝に銘じて 感じのいい店を心がけているのですけど…
←最初にクリック押し忘れの方もう一度クリックよろしくです。
今日の写真は記事とは何の関係もありませんが、お正月の五十猛海岸を望む国道9号線です。
雲り 6℃
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「トンボさんにも会いたいなぁ。」とおしゃったけど「トンボは男は嫌いだそうです。『女性なら万難を排して会いに来るけど、男じゃねぇ、どうしてこの世に男がいるんだろうね。』」といつもバカ言ってますよ。」そう伝えた。
ふるじろうさんにお会いするのは、おととし家出をした時 ふらついた足取りで目に付いたこの木馬に突然入った時「コーラーフロート」をオーダーされて以来かな?
今回お話して ふるじろうさんの商売されてる場所もわかったし、今度宝くじでも当たったら、店ごと買いに行きますね。
え!?買ってもいないのにって? いいえ!!。ちゃんと毎回買っていますよ、そのうち幸運の女神がほほ笑んでくれるかもしれません。期待して待っていてください。
「もう今年は来れないかもしれません。」「そうですか?じゃよいお年を。木馬がもう消えているかもしれませんけど。また来てくださる日を お待ちしています。」
と言って笑いながらお別れしたけど わざわざ この場末の木馬にお越しくださり有難うございました。
ちょっと話は飛躍するけど・・
「待つ」
いつだか江國香織のエッセイを読んでいたら、手紙を書くのがあんまり好きじゃないと、手紙を書けば返事を待ってしまうし、待つのは、待ってもこないかもしれないと思うと不安なので嫌いなのだというようなことが書いてあったような・・
確かにそうだと思う。
私が主人と知り合ったころは、今のように携帯などなくて、電話だって仕事中に会社に電話するわけにもいかず、もっぱら手紙だった。(江津と益田と離れていたから・・)
手紙を書いてポストに入れるとどうしても返事を待ってしまう。
なかなか返事がこないと、不安になる。
何かあったんだろうか。もしかしたら、怒っているんだろうか。
この前の手紙に、あたし何か変なこと書いたっけ。
それとも、もう嫌いになったのだろうか・・。
何事においても「待つ」という気持ちは、たしかに辛い。
一度「待つ」モードに入ってしまうと、なかなかそこから抜けられない。
待たせているほうだって、それなりに気にはかけているのだけど、待っているほうの「気がかり」のほうがずっと大きくなってしまうのだ。
その昔、仕事現場に泊まり込みで仕事をしていた主人と、私は一週間に一度だけデートしていた。
待たせる者の「一週間」は文字通り「一週間」でしかない。
でも、待つ者の「一週間」は、2週間にも3週間にも匹敵するほどの長い長い時間なのだ。恋をしていれば、なおのこと。
そうはいいながら。くだんの「手紙」は、結局、いつのまにかこの世から途絶えてしまった。
私だって近頃は手紙はおろか、できることなら年賀状だって書きたくない。
パソコンや携帯が日常茶飯事に使われるようになって自然消滅してしまったんだろう。
最近は年を取ったせいか、メールにしても手紙にしても「待つ」(不安)ということがなくなった。何日たっても相手の心が感じられれば、もらった時のうれしさは同じだと思えるようになったのだ。
私のこの仕事だって、自分から積極的にお客を引っ張り込むことはできない。
ただひたすら、入ってきてくださるお客を「待つ」商売なのだ。
だから 失礼があったり、お客が腹を立てて帰ったりしたらもう二度と 来てはくださらない。それを肝に銘じて 感じのいい店を心がけているのですけど…
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今日の写真は記事とは何の関係もありませんが、お正月の五十猛海岸を望む国道9号線です。
雲り 6℃
>生きている内に「木馬で生そのさんに会える」ことはなさそうですね(笑)
そんなことないですよ、もう少し元気ピンピンでいてください。わたしも自由になったら絶対に落語鑑賞に(せんばい寄席)に行きますから。
いつかお会いできる日を楽しみに生きていきます私も。
そう。「待つ」のは好きではありませんが、「待たせる」方はもっと嫌いです。待つ人も、待たせる人もいなくなってしまいましたなぁ(笑)。あ、いました、いました。でも今はまだ行けないのです。もうちょっと待ってて。
上品なお客様は、私の同級生です。
新年のあいさつに来て下さったのです。
是非江津にお越しの時は木馬に寄ってください。
いつまで もつかわかりませんので。
印象の薄いおじさんなんだなー、とつくづくがっかりしました(うそです(笑))
楽しい時間をありがとうございました!
トンボさんにお会いするのはあきらめました。 きっと彼は男に生まれたことも悔いておられるんでしょうね(笑)
あ、それともう一人の上品なご婦人もおられて、どうやらその方もひさしぶりのお客様だったのでは? 私がワイワイ騒いでご迷惑だったかなとハンセイしています。
意外とG市に行くこともなく、今度はいつになるやらと思いますが、機会があれば前言をひるがえして又お邪魔させて下さいね。
今度はちゃんと珈琲をオーダーしたいな^^