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蔵出し写真、というほど昔の写真ではありませんが、京都御所内の大きなモミジかな?
スケールが違う、それほど立派でした。
樹齢何年かは調べていませんが、多分龍馬の時代にはそびえていたのでしょうね。
このモミジの木は、ここでその移りゆく怒涛の時代の情勢を眺めていたのでしょう。
さぁ、今日から師走です。
今年の秋は短かかった。それだからか果実がなかなか色づかない。猛暑日ばかりで、果実も戸惑ったのだろう。かといって残暑がぶり返すわけでもなく、抜けるような秋空も数えるほどしかなかった。ふいに篠突く雨が降ったりもして、微かに湿気をおびた風も、どこか秋らしくない。
そんな戸惑い気味な季節の中、散歩の途中で見かけるのは、成長しきってない、まだらに青い柿が無残に道端に転がっている姿なのだ。台風でもないのに、落ちている。
やはり季節の狂いがそうさせているのかもしれない。
でもそんな厳しい条件の中で熟した柿の甘いことと言ったらない。
私は 数年前亡くなられたお向いのIさんのうちの柿を食べ過ぎて太り始めたのだから、今はその経験上一日1個しか口に入れないことにしている。
柿と言ったら「柿の豊作、医者いらず」とか、「柿が赤くなると医者が青くなる」とかのことわざがあるように、カラダにもいい食べ物なのでしょうね。
私は果物の中で柿が一番好きかもしれない。
子供のころ 母の実家に蔵の屋根より高い柿の木があり、その実が子供の頭の大きさくらいあった。それを米櫃の中に入れてお正月に食べさせてもらった味、それが今まで食べた柿の中で一番おいしかったような記憶がある。
何て言う柿の種類なのだろう。
そして母方の祖母は、柿の渋でみだれ駕籠とか、渋団扇を作っていた。
障子を張り替える為はがした薄汚れた障子紙を、一枚一枚皺を伸ばし大事にしまいおき、それを祖父が裏山から切り取ってきた竹で作った駕籠に丁寧に何枚も重ねて貼っていく。乾いたところに柿の渋を刷毛で重ねて塗るのだ。
真っ黒でつやつやのみだれ籠は、寝る時枕元に置いて着替え用の洋服を入れていた。
柿の渋は防虫効能もあったらしい。
その柿渋液はまだ熟していない青い渋柿を潰してハンド(大きなつぼ)にいれそのうわずみを発酵させた液のこと。
漬物の納屋の隅に置いてあったその壺を、祖母が時々こん棒で混ぜていたのを覚えている。
昔は何でも自給自足だったんだなぁ、昔の人は偉いなぁ と改めて思う。
そういえば加賀の千代女の
"渋かろうか知らねど柿の初ちぎり"と詠んだ歌があるらしい。
当時「柿の木問答」という習慣もあったとかで、
「おまえのうちに柿の木があるか」
「あります」
「おれがとってもよいか」
「どうぞとってください」。
こんな新郎新婦の問答。
このやりとりのあと、はじめて夫婦の契りが結ばれたという。
加賀の千代女殿が結婚した時に詠んだとつたえられているとか。
千代女さんも柿の甘さにうっとりだったのでしょうね。
柿の思い出でした。
晴れ 18℃ 暖か・・・
蔵出し写真、というほど昔の写真ではありませんが、京都御所内の大きなモミジかな?
スケールが違う、それほど立派でした。
樹齢何年かは調べていませんが、多分龍馬の時代にはそびえていたのでしょうね。
このモミジの木は、ここでその移りゆく怒涛の時代の情勢を眺めていたのでしょう。
さぁ、今日から師走です。
今年の秋は短かかった。それだからか果実がなかなか色づかない。猛暑日ばかりで、果実も戸惑ったのだろう。かといって残暑がぶり返すわけでもなく、抜けるような秋空も数えるほどしかなかった。ふいに篠突く雨が降ったりもして、微かに湿気をおびた風も、どこか秋らしくない。
そんな戸惑い気味な季節の中、散歩の途中で見かけるのは、成長しきってない、まだらに青い柿が無残に道端に転がっている姿なのだ。台風でもないのに、落ちている。
やはり季節の狂いがそうさせているのかもしれない。
でもそんな厳しい条件の中で熟した柿の甘いことと言ったらない。
私は 数年前亡くなられたお向いのIさんのうちの柿を食べ過ぎて太り始めたのだから、今はその経験上一日1個しか口に入れないことにしている。
柿と言ったら「柿の豊作、医者いらず」とか、「柿が赤くなると医者が青くなる」とかのことわざがあるように、カラダにもいい食べ物なのでしょうね。
私は果物の中で柿が一番好きかもしれない。
子供のころ 母の実家に蔵の屋根より高い柿の木があり、その実が子供の頭の大きさくらいあった。それを米櫃の中に入れてお正月に食べさせてもらった味、それが今まで食べた柿の中で一番おいしかったような記憶がある。
何て言う柿の種類なのだろう。
そして母方の祖母は、柿の渋でみだれ駕籠とか、渋団扇を作っていた。
障子を張り替える為はがした薄汚れた障子紙を、一枚一枚皺を伸ばし大事にしまいおき、それを祖父が裏山から切り取ってきた竹で作った駕籠に丁寧に何枚も重ねて貼っていく。乾いたところに柿の渋を刷毛で重ねて塗るのだ。
真っ黒でつやつやのみだれ籠は、寝る時枕元に置いて着替え用の洋服を入れていた。
柿の渋は防虫効能もあったらしい。
その柿渋液はまだ熟していない青い渋柿を潰してハンド(大きなつぼ)にいれそのうわずみを発酵させた液のこと。
漬物の納屋の隅に置いてあったその壺を、祖母が時々こん棒で混ぜていたのを覚えている。
昔は何でも自給自足だったんだなぁ、昔の人は偉いなぁ と改めて思う。
そういえば加賀の千代女の
"渋かろうか知らねど柿の初ちぎり"と詠んだ歌があるらしい。
当時「柿の木問答」という習慣もあったとかで、
「おまえのうちに柿の木があるか」
「あります」
「おれがとってもよいか」
「どうぞとってください」。
こんな新郎新婦の問答。
このやりとりのあと、はじめて夫婦の契りが結ばれたという。
加賀の千代女殿が結婚した時に詠んだとつたえられているとか。
千代女さんも柿の甘さにうっとりだったのでしょうね。
柿の思い出でした。
晴れ 18℃ 暖か・・・