アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

人生で、一番「ウケ」た日

2024年08月28日 | Weblog
 人生を振り返って、「一番になった経験」が乏しいことに気づきます。何をやっても、「その他大勢」という指定席に座っておりました。「その他大勢席」これがまた居心地が良かったです。

 ブータンの首都ティンプーから、避寒地プナカへの途中、ドチュラ峠(標高3,150m。ちなみに富士山八合目は、標高3,250m)で休憩しました。
 駐車場でインド人の数家族と一緒になりました。
 彼らは、プンツォリン(ブータンの都市)の水力発電所で働いているという。インドから出稼ぎに来ているのですが、何年か後にインドへ帰るというものではなく、定住しているらしい。ブータンには、このようなスタイルのインド人が大変多いです。子どもたちは、ブータンのインド人として生涯を過ごします。
 
 休憩しているインド人の中に、子どもたちも5~6人いたので、早速、私の得意な、「イカサマとも思える手品」を披露しました。これが、大人たちにバカうけ。な、なんと、拍手喝采。別れ際には、十人もの大人たちから握手をもとめられました。
「僕たちも練習するから!」と、決意表明もいただきました。 皆さん、満面の笑み。よほど娯楽がない日々を過ごしているのか?はたまた、貧相な東洋人の老人(私なんですけどね)が、標高3,150mの峠で「バカマネをしてインド人の歓心をかう」のが、可笑しかったのか?
 歴史上、ドチュラ峠で最も人気があった日本人、それは私です。今思い出しても、身震いするほど感動がよみがえります。「一番」は、いいものです。蓮舫さんに教えてあげなければ。

 その後、中国の「盧溝橋(ろこうきょう)」へ、行きました。もちろん、盧溝橋事件の盧溝橋。
「そこって、やばくないの?日本軍と中国国民革命軍との衝突事件の場所でしょ」って?
 兵士の見張りは厳重でしたが、おかしなことをしなれは、「やば」くはないようです。で、お調子者の私のことですからぁ…やってしまいました。

 盧溝橋で、見学旅行の小学生の一団と一緒になりましてぇ…。ムラムラと、あのときの感動が!ドチュラ峠で世界一の人気者になったあのとき!感動をもう一度!
 中国の小学生に、「イカサマ手品」を披露。
「・・・・シーン・・・」
 なんなんだ!中国の小学生!子どもたちは、能面のように無反応。引率の教員が、鬼の形相で私をにらみつけました。
「まずい、兵士を呼ばれるか?」数秒の膠着状態。教員は、私をにらみつけたまま、元の位置へ。兵士を呼ばれなくて助かりました。

 子ども達に、手品を見せるときは、お国柄、場所、思想等を考慮してください。
 なぬ?「標高3,150mの酸素が薄いところで手品をしたり、盧溝橋で手品をする人はアンティークマン以外にはおりませんから、偉そうに考慮してくださいなど書く必要はないですよ」って?は、は~い、今後気をつけま~す。

 これが、日本でならどうでしょう。子ども達に、「みんなぁ集まってぇ。おじさんが面白い手品を見せてあげるよ。今だけ特別、ただ(無料)でぇ!」
「声かけ事案」として、警察へ通報されますね。日本で、人気者になる道は断たれました。


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