明けましておめでとうございます。トルコ物語も、2年越しとなりました。元旦を記念して、私にとってトルコ旅行のメインであった、「カッパドキア」について!
「イイゾ、イイゾー!カッパは何匹いたのー!?」…単独で盛り上がっております。今日は、年に一度朝から酒を飲んでもいい日。何を飲んだかって?「司牡丹 元旦を祝う酒」という名の酒です。高知在住の旧友、「哲ちゃん」が元旦に飲めるようにと送ってくれました。…早く着くと元旦前に飲んでしまうので、大晦日に配達指定で…ありがたいことです。司牡丹について情報がない方は、山本一力(高知県出身の直木賞作家)の、時代小説「牡丹酒」を御参照下さい。坂本龍馬も飲んだかって?当たり前です。
カッパドキアに興味を持たない人っておりますかねえ?いないと思いますが、それは個人の自由ですから…。私は、30年ほど前に知ったのですが、すぐに、「行ってみたい」と思いました。そして、この度実現させました。感想は、「素晴らしかった」です。え?新年なのに表現に新味がない?では、「筆舌に尽くしがたい…」あまり変わりないですね。
アンカラから南東へ車で3時間。ギョレメという町へ入ります(「ぎょろ目」ではありません。ギョレメ。ぎょろ目は、鈴木明子さん。オリンピック出場おめでとう!)。そこが、カッパドキアがある町。標高1,200メートル。ブドウ畑と、山肌を露わにした砂漠のような山々があります。大きな木は…見えませんでした。
カッパドキアがトルコ国内に知られ、世界に知られるようになって、まだ40~50年しか経っていない。知られるようになった当時の人口は、1,200人。現在の人口は、70,000人になっています。
私が想像したカッパドキアは、有名どころの数カ所…「ゼブレの谷(キノコ岩群と教会)」「ラクダ岩」「スリーシスターズ」「カイマクル地下都市」に、奇岩や洞窟住居があるのだろう…でした。その想像が、痛快なほど打ち砕かれました。
カッパドキアは、およそ250平方キロメートルという広大なエリア全体に奇岩や洞窟住居が散在、群在、はたまた列在しているのです。無条件降伏です。
一見普通の民家。実は、裏の洞窟住居から継ぎ足して建てられた家も。そういう家が珍しくないのですから、ボンヤリしていると見逃してしまう。老夫婦が洞窟に住み、近くに、若夫婦が普通の家を建てて住んでいるというケースもある。
カッパドキアに人が住み始めたのは、紀元前8000年~7000年以上前という…気が遠くなってしまいます。つまり、1万年以上も前に人が住み始めた。
2000年ほど前には、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、カッパドキアへやって来た。そして、先住の人たちのように、洞窟住居や洞窟教会を作った。そして、今なお洞窟住居で暮らしている人がいる!2010年元旦も!
ゼブレの谷、10kmにわたって谷の両サイドに洞窟住居が続く。もちろん、車では行けない。10km先まで徒歩で行く気力はあるが、人がいない。5km先で動けなくなったとして、永遠に発見されることがないのではないか?(携帯のGPSで見つけてもらえるかな?)谷の入り口に戻って、びっくり!もう一本の谷があった。その両サイドにも洞窟住居が遙か彼方まで続いている。…見なければ分からないですね。ゼブレの谷だけでもこの凄さ。なお、カッパドキアを、「100平方キロメートル」と、書いてある本を見ました。ゼブレの谷だけで、100平方キロメートルに近いのですが…。部分だけを見て、カッパドキアというなかれ。
「イイゾ、イイゾー!カッパは何匹いたのー!?」…単独で盛り上がっております。今日は、年に一度朝から酒を飲んでもいい日。何を飲んだかって?「司牡丹 元旦を祝う酒」という名の酒です。高知在住の旧友、「哲ちゃん」が元旦に飲めるようにと送ってくれました。…早く着くと元旦前に飲んでしまうので、大晦日に配達指定で…ありがたいことです。司牡丹について情報がない方は、山本一力(高知県出身の直木賞作家)の、時代小説「牡丹酒」を御参照下さい。坂本龍馬も飲んだかって?当たり前です。
カッパドキアに興味を持たない人っておりますかねえ?いないと思いますが、それは個人の自由ですから…。私は、30年ほど前に知ったのですが、すぐに、「行ってみたい」と思いました。そして、この度実現させました。感想は、「素晴らしかった」です。え?新年なのに表現に新味がない?では、「筆舌に尽くしがたい…」あまり変わりないですね。
アンカラから南東へ車で3時間。ギョレメという町へ入ります(「ぎょろ目」ではありません。ギョレメ。ぎょろ目は、鈴木明子さん。オリンピック出場おめでとう!)。そこが、カッパドキアがある町。標高1,200メートル。ブドウ畑と、山肌を露わにした砂漠のような山々があります。大きな木は…見えませんでした。
カッパドキアがトルコ国内に知られ、世界に知られるようになって、まだ40~50年しか経っていない。知られるようになった当時の人口は、1,200人。現在の人口は、70,000人になっています。
私が想像したカッパドキアは、有名どころの数カ所…「ゼブレの谷(キノコ岩群と教会)」「ラクダ岩」「スリーシスターズ」「カイマクル地下都市」に、奇岩や洞窟住居があるのだろう…でした。その想像が、痛快なほど打ち砕かれました。
カッパドキアは、およそ250平方キロメートルという広大なエリア全体に奇岩や洞窟住居が散在、群在、はたまた列在しているのです。無条件降伏です。
一見普通の民家。実は、裏の洞窟住居から継ぎ足して建てられた家も。そういう家が珍しくないのですから、ボンヤリしていると見逃してしまう。老夫婦が洞窟に住み、近くに、若夫婦が普通の家を建てて住んでいるというケースもある。
カッパドキアに人が住み始めたのは、紀元前8000年~7000年以上前という…気が遠くなってしまいます。つまり、1万年以上も前に人が住み始めた。
2000年ほど前には、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、カッパドキアへやって来た。そして、先住の人たちのように、洞窟住居や洞窟教会を作った。そして、今なお洞窟住居で暮らしている人がいる!2010年元旦も!
ゼブレの谷、10kmにわたって谷の両サイドに洞窟住居が続く。もちろん、車では行けない。10km先まで徒歩で行く気力はあるが、人がいない。5km先で動けなくなったとして、永遠に発見されることがないのではないか?(携帯のGPSで見つけてもらえるかな?)谷の入り口に戻って、びっくり!もう一本の谷があった。その両サイドにも洞窟住居が遙か彼方まで続いている。…見なければ分からないですね。ゼブレの谷だけでもこの凄さ。なお、カッパドキアを、「100平方キロメートル」と、書いてある本を見ました。ゼブレの谷だけで、100平方キロメートルに近いのですが…。部分だけを見て、カッパドキアというなかれ。