高校の家庭科が、男女共修になったのが1994年、その前の年が中学ですから、学校教育の家庭科が男女共修になったのは、まだ15年というべきか、もう15年というべきか。縁あって数年前から、高校の家庭科で絵本の授業をする機会をいただいています。今年も三木高校の「発達と保育」で、三木東高校で「児童文化」の時間で、絵本の紹介や絵本の読み聞かせの仕方などを授業しています。三木高は4コマ終わりました。
選択の授業なので、将来、保育や福祉など対人援助の仕事を希望する生徒さんが多く、たとえわずかな時間でも、絵本の魅力や力をお伝えできたらと張り切っています。
どちらも毎年男子生徒も一緒に学んでいます。その中には保育士を志望する生徒もいます。高校の家庭科は、今いろいろなテーマで学んでいます。昔の料理裁縫のイメージではなく(もちろん調理や被服もありますが)、子どもの発達や家族のあり方、幼稚園や保育園での実習を通した子どもとのかかわりなど、これから生きていくうえで必要なことばかりです。男女ともともに学ぶのは大きな意義があります。
限られた少ない時間ですが、絵本をとおして、少しでも、生きていくうえでの基本的なこと、こどもとかかわること、働くことなどを学ぶ機会になればと思っています。
先日、じゃがいもの家の収穫祭に行ったら、授業を終えたばかりの生徒に「先生」と声をかけられました。日ごろ、議員としては「先生と呼ばないで」を実行していますが、この日は違う意味の〈先生〉でちょっとうれしかったです。
選択の授業なので、将来、保育や福祉など対人援助の仕事を希望する生徒さんが多く、たとえわずかな時間でも、絵本の魅力や力をお伝えできたらと張り切っています。
どちらも毎年男子生徒も一緒に学んでいます。その中には保育士を志望する生徒もいます。高校の家庭科は、今いろいろなテーマで学んでいます。昔の料理裁縫のイメージではなく(もちろん調理や被服もありますが)、子どもの発達や家族のあり方、幼稚園や保育園での実習を通した子どもとのかかわりなど、これから生きていくうえで必要なことばかりです。男女ともともに学ぶのは大きな意義があります。
限られた少ない時間ですが、絵本をとおして、少しでも、生きていくうえでの基本的なこと、こどもとかかわること、働くことなどを学ぶ機会になればと思っています。
先日、じゃがいもの家の収穫祭に行ったら、授業を終えたばかりの生徒に「先生」と声をかけられました。日ごろ、議員としては「先生と呼ばないで」を実行していますが、この日は違う意味の〈先生〉でちょっとうれしかったです。
戦後教育は男女共学が原則であったのに、どうしてこのような事態になったのでしょうか。
その後、家庭科を男女共修にしたことで、男子から技術科教育の機会を大幅に奪ってしまったことは重大です。
本当に子どもたちのことを考えているのでしょうか?