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もんく [マレーシアで働いて13年→2022猫を連れて日本]

偶然には計り知れない価値がある

昼過ぎに6年ほど前に住んでいた家のオーナー夫婦からメッセージが入った。

ポストに日本からの年賀状が来ていたよと言うものだった。年賀状は裏表写真で送られて来たので内容がわかってそのまま捨ててもらってもよかったが、もしまだその家の近くにいるなら会いませんか?と言ってみた。あの家とこの家とは20分離れていないし、前に会ったのはもう2年ほど前になるから。

30分後に夫婦のKLの家への帰り道にあたるところで待ち合わせた。その店も前に連れて行ってもらった店だった。懐かしい。

やっとコロナ規制が緩くなり、持っている貸家を見に来たのだった。売る事に決めたそうだが今は買い手がいないとか。うーん難しい時代だね。前に乗っていたスクーターはまだあるの?あれは駅前のベスパ屋のおやじが買いたいと言ってくれたから売りましたよ。ああ、あのベスパ・キングか。あのおやじ、街ではベスパ・キングって呼ばれててね、一日中ビール飲んでタバコ吸ってるんだよ。自分もバイク屋で働いてたからよく知ってるよ。と言う感じで世間話で盛り上がった。

あの家、6年前に住んでいたんだった。そう、もうそんなに経ったんだ、早いものだ。あの家、最初に見に行った時には貸し家になってなくて、近所で電話番号教えてもらって交渉したのだった。つまり貸すつもりのなかった家だった。こちらはいくつか見て歩いていたけど、結果まともに交渉ができたのはそこだけだったので住む事ができた。だから偶然みたいなもの。いろいろあったよなぁ。強盗事件も含めて。そうそう、つぶあんと出会えたのもあの家に住んだからだし。長くなるから「いろいろ」の内容はここに書かないよ。

それにしても、偶然に偶然で、その結果またこうして再会して、人生のほとんどの部分がこんな偶然ばかりで構成されているように感じる。いつも言うけど、計画とか予定と言うのは人にとってとても限定的で長い時間の中では点でしかない。偶然には計り知れない価値があるなあ。



昨日の話の続きだけれど、あの活断層の母について思う事は、あの人は昔から他人についてツベコベ言うのが好きだったようだ。今でもきっとそうだ。一般にそう言う人の特徴は、他人を世話するとかそんな感じの事が好きだ。だから他人をケアする仕事とかを選ぶ。そしてケアする相手は必ず自分より立場が弱い者と決まっている。母は幼稚園で仕事をしていたからまさにそれに違いない。

それで思い出すのは亡き父への態度、亡きプードルへの態度だ。どう見てもやはりケアしたい派だった。文句言いながら自分がやらなきゃと。思い当たる伏、多々あり。さらに考えるのは、今、母に足りないのはそれじゃないかなと言う事。多少身体にガタが来ているにしても、実はできる範囲で何かやってもらった方が良い気がする。1人でいると自分だけだからテレビ見ているだけで済むがそれが一番悪いだろう。

この続きはまたそのうち。
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