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もんく [とある南端港街の住人になった人]

インスタコード、ほとんど挫折状態

昨日の続きだけれど、音楽が理解できないというあれ、調べてみたところ、子供の頃から楽器に親しんでいる人、途中から始めた人、全くやっていない人では脳の使い方が違うそうだ。それに、完全に解明されたわけではないが学習によって得られる効果に加えて遺伝的な要素もありそうだとか。

まあ、自分は遺伝的なことは気にしないよ。だって家族、親戚の中に歌や楽器が得意だった人って見たことがないから。それは仕方ない。でも、長期間やっていたかどうかについてももちろんダメなので救いようがないということもわかった。

で、さらに調べたところ、楽器をやる人(の脳)はそのことに時間を忘れるほどの喜びを感じるのだそうだ。そして自己表現の一部になっているとも。うーん、自己表現かぁ。そこも引っ掛かるポイントだな。

自分が育った家庭は父親が威張っていて子供(自分と弟)が自分がああしたい、こうしたとか、溌剌何か表現するってのはできる雰囲気じゃなかった。親はそんな意識はないのだろうが、子供であった自分は家でいつも萎縮していた。玩具を買って欲しい時に子供は大声を出したり叫んだりするのを見ることがあるけれど、自分にはそれができなかった。組み立て式の紙の飛行機が欲しいというのが言えなくて黙りこんでいたようなこともある。それでも長い間に自分の希望を通す方法は多少身につけていたとは思うけれど、何かしたい、欲しいと考えるとき、そんな事して良いのかな?言って構わないのかな?とつい思ってしまう。

そういう行動習慣があるから思い切り身体で表現とか動くとかやってみる的な事ができないでいる。身体が固くなって動かないのだ。表現として身体のどこかを動かすとかそんなこと以前に、極端な言い方をすれば表現してはいけないと思っている感じがある。つまり、つい出てしまうような感情とかそんなものが半分ほど死んでいる感じかもしれない。そこから身体への指令回路も繋がっていないとも考える。だからゲームで瞬時に対応するようなのがまるでできない。本当に完璧に無理だ。

そういうわけで、楽器やっても感情が出てこないし、身体を動かせるまで行けない気もするし、楽しくもないし、止めてしまおうかな?と思い始めた。

この近所でもなんとかメソードというので音楽教室があるらしくて、子供向けではあるけれど大人も受け入れできるとかなので見学だけでも行こうかなとちょっと思っていた。現役で活躍しているプロの方々もそこで習ったというすごい教え方だそうだけれど、やり方を調べたところやっぱり子供向けが主で無意味そうだから止めた。

音楽を聴くのは好きなのだけれど、きっとリズムとか抑揚とか音階とか複数の音の関連とか、全然聴けてもいないのだろうな。こんなことのために時間を使うのはやっぱり無意味なのだろうか?


ところで、明日の午後あたりにはきっと正式に癌宣告を受けるだろう。乞うご期待。
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