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もんく [とある南端港街の住人になった人]

そろそろ飽きよう

本1冊分の翻訳が終わった。長かった。
明日には見直して完璧にしよう。とは言え、完璧な美しい日本語にすることが目的じゃないので、英語の原文の雰囲気ができるだけ忠実に日本語になっていれば良い事にする。まあ、それはそれで、この仕事は明日までで終わるつもり。


ところで、1つの事を根気よく続けるのはなぜか人間にとって難しい。好きな事であってもなぜか難しい。

だいたいどんな事やっても飽きる。人間は飽きる動物らしい。好きな物を食べていてもいつか飽きる。うちの猫たちなんか生まれてオッパイが終わってからずっとカリカリだけ食べているけれども飽きない。一度きなこが裏の家で別のをもらったらいつものを食べないようになった事があったけれど、またうちのカリカリに戻ってきた。それ以外は彼らは何も飽きない。

パンダだって笹か動物園でもらえるパンダフードだけ食べていて飽きない。きっと他の動物も似たり寄ったりで、きっと飽きない。

人間なんかほんの1〜2ヶ月家に閉じこもっていろと言われるだけで飽きてしまう人が多い。行動制限解除になった途端に何か買いに出かけたりレストランに行ったりしている人が多い。大丈夫なのか?と側から見ると言いたくもなるが、それはそれとして、別にそんな物無くても、そんなの食べなくてもと思うけれど、きっと飽きてたんだろうから仕方ない。

してみると、人間は食べるのは生きるためじゃなくて脳味噌が飽きないために食べると言う側面が大きいのだな。それで、飽きては何か別のものを探す。こう言う、一見ネガティブな性質が人間と言う動物の進歩を促進する力になっているかもしれない。そうでなければ歴史の中のどこかの時点でずっと留まってしまって先に進んではいなかったかもしれない。

石器で動物を狩って食べたりするところで止まったらギャートルズの世界が未だにあったかもしれないし、稲作が始まったところだったらどうだろう?戦国時代で止まったりするとそれも怖い。

そう言えば、日本は失われた○○年とか言われているけど、そうだよな、最近の日本人って飽きないよな。電車のラッシュアワーとか、もう1970年代には問題化してて何も直してないし、政治と金の問題だって少なくともその頃と変わってないのに何も変えてない。

そろそろ飽きるべきじゃないのか?
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