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もんく [マレーシアで働いて13年→2022猫を連れて日本]

思考停止その2

昨日の続きだけれど、集団と言うには実に良い思考停止の隠れ蓑になる。

ある作業を誰かに指示すると必ず別に2人か3人が寄ってくる。それを見るとみんな協力し合ってよくやっているな、などと思ってしまいがちだが、実際それはそうではない。それはすぐにわかる。後ろから見ていると実際にやっているのは1人だけ。他は時々手を添える、もう1人はただ立って見ているだけだ。

それでも少し作業が早く済むなら良いかと思ってしまうかもしれないが、それは無い。遅くなるのはほぼ確実。なぜかと言うと、決定者がいなくなるからだ。1人でやる場合、その1人は自分でしなければならないので自分でどうするか決める。決めた通りに自分の手を動かすだけだからスピードは普通。複数人になるとお互いの関係が生じるので調整が必要になる。それだけで遅くなる。結果が遅い分良いかと言うと、それも違う。フラフラした分的が絞れていないから結果もダメ。

もう1つダメなのは、通常の手順と違ってしまう事。この意味でも結果はダメ。こう言う事に気付かない管理人はもっとダメだ。欲しいのは最終的には結果だけれど、結果はコントロールできない。ふとした時に始まる思考停止を管理しないと本当に何もできない。



思考停止のコントロールは難しい。

人間は簡単に自分自身に妥協してしまうし、自分をこんなものだと決めてしまいたがる。もちろんその方が楽だ。逆にそれが無ければ余計な事ばかりしていて人生にまとまりがつかないかもしれないし、もしかしたら危険だろう。

それともともと今やっている事をやるための動機と言うのは誰でもけっこう稀薄なのだ。よほど凄い事をやっている人でもそうらしい。昔ある有名な野球選手が野球をやめた。僕は別に野球好きだったわけじゃないよ、と。タレントさんでも有名になって稼げる人がふっと留学とか言っていなくなる。それだけやった人がそうなのだからまして何でもない一般人は深くて重くてどうしようも無い動機など無いに等しいのだ。

そりゃ思考停止して楽したいと思うはず。人間のこの性質は神様が決めた事でどうにもしようが無いのかもしれない。仕事でも何でも完了させるには思考停止の管理が必要だ。

その管理はモチベーションを上げる、やる気を出させるとかでなくてそれとどう付き合うかの方。重い病がある人がその病と闘うと言う場合と、その病といかに上手く付き合って生きていくかを選択する場合があるのと同じ。もしどうやっても治らないとしたら後者を選択する事もアリで、思考停止は重いのだ。
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