goo blog サービス終了のお知らせ 

もんく [とある南端港街の住人になった人]

日本人には"普通の"価値感が無い

日本人には"普通の"価値感が無いのではないだろうか?


仕事をしている日本人の頭の中は仕事や会社の中に必要な価値感に大きく支配されていて、それ以外のものが無い。

例えば仕事が混んでいるときにある人が家族のために休みをとったとしたらどう思うだろう? その人は仕事に対して積極的でないとかやる気が無いと思うだろう。例えばライバル会社の物が気に入って購入していたのがわかったら愛社精神が無いと言うかもしれない。


考えてみれば、学校に入ると学校の成績なり試験なりの価値に強制的に切り替えなければ不利になるのだし、会社に入れば会社の価値感に切り替えてそれを共有することが必要とされる。入学式や入社式はその価値感切り替えの儀式のようでもある。日本人の場合はそうした儀式を経ることによって自分以外の何者かに"なる"のである。○○大学の学生になる、○○会社の社員になる、○○と言う職業の人になる。

そして完全に何者かになってしまう。


海外にいると、そうした日本人と現地にいる(日本人から見た)外国人とのコントラストを強く感じる。

ここマレーシアではマレーシア人は日本人のように巧みに自分を"切り替える"事が無いように思う。例えば毎週金曜日のお祈りの時間は仕事がどんなに混んでいる状態でも必要であるし、家族と過ごす時間を仕事のために割くことも稀だ。

日本人からは、彼らについて仕事をしないしやる気が無い者とも見える。ただ、個別にその人たちと話をしてみると決してそうではない事がわかる。単に彼らは配分しているだけなのだと。


逆に言えば、日本人は仕事以外の生活や社会やその他いろいろな価値に対する配分ができないと言うか、もともと自分自身の普通の人間としての価値感と言うものが無いのではないだろうか。いつでもあるグループに所属してその中の価値に切り替えて生きてきた日本人。我々は、自分自身としのそれが必要ないものだったのではないだろうか。



長くやってきた仕事を退職した時に何も残らない日本人。仕事を辞めた後何年もの間、自分は○○会社で○○をやってきた人間だと自己紹介する日本人。

我々日本人には、普通の価値感は育っていないし持ってもいないのかも知れない。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日本脱出」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事