気になる記事↓
まず読むべし。
家を建てたい側からすると「なるほどなあ」なんて思っちゃう記事だけれど、建築という視点から見るとちょっとなあ...だ。
この記事、全体として「家造りの経済論」として書かれていることに注意しないといけない。つまり、そんなことにお金かけても無駄だよと言っているに過ぎない。
トイレが1つで良いというのはどうせ使用頻度が少ないからという理由。でもね、これが自然に感じられるのは従来から風呂やトイレがパーソナルに属していなくて(家内)パブリックの扱いだから。このことって、未来永劫そのままでOK にしておけるのだろうか? 寝室で汗くさいパジャマを脱いでシャワーを浴びるのに着替えて脱衣所でまた脱ぐか、お父さんがパンツ一丁で廊下を歩くのをずっと許し続けるのかという問題を全く解決していないでお金のことばかり言っている。
可愛い子供部屋はいつか無駄にというのも経済問題として言っている。建築を少しでも学んだならばあれっ?と感じるはず。近代の時代に既にそうした時間的「拘束」については言われていたし、いくつか解決策も示された。そもそも拘束から自由になろうというのが一つのテーマですらあったのに、なぜか住宅は治外法権に置かれて未だに間取りを施主に押し付けている。造りました、これで良いでしょう、さようなら。そう考えると可愛い子供部屋を子供が大きくなってもそのまま放置させるのは施主の責任なのか? そりゃないだろう、建築家さんよ。となるよね。
この記事、全体として「家造りの経済論」として書かれていることに注意しないといけない。つまり、そんなことにお金かけても無駄だよと言っているに過ぎない。
トイレが1つで良いというのはどうせ使用頻度が少ないからという理由。でもね、これが自然に感じられるのは従来から風呂やトイレがパーソナルに属していなくて(家内)パブリックの扱いだから。このことって、未来永劫そのままでOK にしておけるのだろうか? 寝室で汗くさいパジャマを脱いでシャワーを浴びるのに着替えて脱衣所でまた脱ぐか、お父さんがパンツ一丁で廊下を歩くのをずっと許し続けるのかという問題を全く解決していないでお金のことばかり言っている。
可愛い子供部屋はいつか無駄にというのも経済問題として言っている。建築を少しでも学んだならばあれっ?と感じるはず。近代の時代に既にそうした時間的「拘束」については言われていたし、いくつか解決策も示された。そもそも拘束から自由になろうというのが一つのテーマですらあったのに、なぜか住宅は治外法権に置かれて未だに間取りを施主に押し付けている。造りました、これで良いでしょう、さようなら。そう考えると可愛い子供部屋を子供が大きくなってもそのまま放置させるのは施主の責任なのか? そりゃないだろう、建築家さんよ。となるよね。